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何処の坂

何処の坂

(十二ポ活字で印刷された谷中の記録は路地を二三割間延びさせた。入り組みがゆるやかになり心持ち行間を拡げた)

肉筆の小石川はどうか。巣鴨から古書店を探すうちに白山通りから逸れて坂を下ったりのぼったり……その間、多くの「をみな」の学生とすれ違う。彼女たちの大半はからだに昏いみずうみを持たず、指先から乾いてゆくように見えた。通りのあらゆるところからバスに乗れたが、もっと細く、もっと細くと狭くしっくりするほうへ、路地の奥へと分け入ったのだ。

長くも短くも坂は坂、平坦な直線よりも顔色をほの紅らませてゆく。植物園までの道行きには、雑念にふちどられたいぼのある足跡が続く。壁から重い葉がせりだすあいま、空が薄曇りから、次第にシーツをすり切らせてゆく。その坂の上からは町場が廃都を滲ませて見える。どこまでもどこまでも、凄みをきかせる、この下りを。

右側は植物園、左側は物想いに湿った苔の壁。……ここでは透いた細体に昏いみずうみをたたえ持つひとりの「をみな」がいたとして、その途方もない深いからだとつかず離れず坂をどこまでもくだってゆく可能を、不意に信じてみたくもあった。その深い静脈を進んでいって、ぬくもりの立ち込める高知低地を、みずうみのふちまでとぼとぼと、辿り巡って行きたくもあった。何処の坂。土留めの壁際にしだれる植物のこすれが音楽。この坂の坂すがら。

ともすれば、どこにもない巨大遊園に着けるのだろうか、道標が空を指していた。汗が吹く、そのとき、ひとりの「をみな」の辿り着けない水準点まで、このまま生涯、歩かされ続けるのかもしれないという底無い恐怖が、雨粒となって半身の溝をひとすじ、つっ、と滑り落ちた。……肉筆の小石川は、「をみな」の叙述に終わらせるべきなのだろうか。

ならば、いっそ翻って「花嫁」になりおおせたいと思う。労いたり食べたりをふと意識してしまったような、切実なはずかしさを持って、性を違え、駆け降りる誰かのなすがまま、その、受身となった叙述の傾斜へ。
肉筆のこの坂。

波打つ「をみな」の小石川から、しなやかな生え際を、何処へまでも下って行った。



1987年ごろ 早稲田文学新人賞詩部門候補 平岡篤頼氏推奨「一番しっくりきた」


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