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疎遠

疎遠


内階段を降りると暖簾代わりのカーテンを分けて、私と友人は古書店にいた。電気がついていないため暗く、奥にある窓からの薄明かりで背表紙を見て回る。友人はおそらく本に興味が無く、それでもつきあってくれてポスターなどをぺらぺらしていた。一応店主に声を掛けると代替わりの途中でこんなだけど、と言い訳していた。眼鏡をかけた面長の女性でタオルを頭に巻いていた。私が一冊の本を見せ、ここの数字が値段ですか、と尋ねると、それはそうなんだけど、でも、この値段は高すぎるわね、とそのまま私に返してきた。友人は何か、古いアニメのポスターをコピーしていた。コピー機の光が後ろから瞬いてきた。一通り店内を覗いて、いい本屋に育つね、と根拠のない論評を友人にして店を出た。線路沿いに大通りがあり登っていけば上野に至る。私たちにはとくに話すことがなかった。もう、三十年は会っていない。ひととき親しくはしていたけれど、本当に親しかったのか微妙な、たとえば、本当に伝えたいうれしいことやつらいことは決して言い合わない、ふたりはそういう仲なのだった。人づてに聞いて、なんで言ってくれなかったのか、と苛立ったことももう遠い話だ。言葉ごく少なく大通りを抜け上野に至る。ここから道は参道で、急に細くなりにわかに登山めいてくる。途中にはあちこちで露店がでているのだが、それは自主アイドルとファンのためのもので、テントの中でもめていたり隙間から女性の白い尻が見えたりしていた。下手をすると絡まれるかもしれない。だからここは通りたくない、と友人に告げ、しかし黙ってこちらへ来てしまったのは私の方だとすぐ思い直した。こういうところだったのかな、と少しは思った。ここの道を通り抜けると、神社の境内に出るはずで、昔、ここでライブをやったことがある、と友人に告げると、じゃFテレビの「ビニール」に出たの、と聞かれたので、いや、昔、組んでいたバンドで、この神社であったライブに出たんだよ、と言ったものの、友人はライブという行為について何も知らないようだった。平行線のまま裏改札に並んだ。入場制限をしていて、細く並ばされた人の、短い列の後についた。友人との間に、ひとひとり挟まれて並ばされた。私たちの生まれ育った町に戻ろう。改札を抜ける際、検札機に女子高生が腰掛けていて、切符を通しづらかったので少しスカートをめくって、すいません、すいません、と小謝りしながら入札したが、何でこんな、と見上げると女子高生がすごい形相で睨んでいた。こうして、やっとプラットフォームに至ったのだがここで友人をすっかり見失った。幅の狭いホームにはそれなりの密度で人が居て、線路の向こうにも何人か人が渡っていた。鉄路の内側のへこみには大きな蟹が何匹もハサミをかざしたりしていた。それを見ながら正直、一人になってほっとしていた。もう特に、話すことなどなかった。私たちの町までのわずか数十分、どう過ごしていいものか。考えていると電車がきたが、細長すぎて乗り切れない。あわててほかの扉を探したがいっぱいだったり四人乗りの屋根のないゴンドラだったりで乗れそうもなく、あきらめて次を待つことにした。停止位置の線上にぴったりと合わせてしゃごみ、絶対に座る意気込みでいた。ともすると横から入ってくる人を危ないから、けがするから、と押しのけて扉の隙間を正確に捉えようと殺気立っていた。すこしおのれがいやになった頃、入ってくる電車が近づいてきて、そのとき、わっ、と後ろから抱きつかれた。友人だった。待っていてくれたのだ。そのとき、私が悪かったのだ、とはっきりした気持ちが胸に広がり、次はもう会えないのだと思い知らされた気がした。私たちは席を勝ち、狭いシートに肩を詰めてきつく座った。妙に明るい車内には、若いグループの会話が聞こえる。……それさえなければ、いくらでも働ける。それこそ、七十八十まで、と言っているのを聞いて、そんなこと最低でも三十年は働いてから言えよ、と私は毒づく。一つ目の鉄橋は墨田川を超える。お互いの知らない人生の期間を打ち明けあうこともなしに過ぎる。


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