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短文

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2020年10月の記事一覧

美貌の人たち

美貌の人たち 所属していたコミュニティのなかに一人や二人はいなかっただろうか。凄い美人や美男子。 母集団が大きいほど存在確率は高くなると思うが、私が過ごしてきたコミュニティの中でも何人かいた。とんでもない高嶺の花。娘が学校で覚えてきた「高嶺の花子さん」という曲をリコーダーやウクレレでたどたどしく演奏する。何となく覚えてしまった。 その、高嶺の花とおつきあいした、などという輝かしい思い出が有るわけでもなく、そういった人のことをただ一方的に見ては「美人だなぁ」などと思ってい

もちもちの好き

もちもちの好き もちもちとした食感が市民権を得て久しい。外はカリカリ、中はもちもち。何でもそう。かく言う私も、もちもちした食感のものに目が無い。昔から好きなのはくず餅。あの、噛む歯や舌にまとわりつくような弾力のもちもち感がたまらず、一度腹がいっぱいになるまでくず餅をかみ続けてみたいと思うが、未だ果たせずにいる。が果たそうと思えばいつでも果たせる願いだ。そういう願い、誰でもひとつ二つ持っているのではないだろうか。 くず餅に黒蜜をかけて、きなこをまぶすのが一般的な食べ方と思わ

水車

水車 樹を渡すときに歌う歌を遠くに聞きながら、水車が回転するのを見て一日を過ごした。よく晴れて、日向では暖かいほどだったが、まだ、春先に咲く花のつぼみは堅く、憑き物の耳の皮も分厚かったが、弄んでも嫌がることなく、なすがままにされていた。次の日は水車の点検を眺めていた。流れている水に回転するものを止めるのはことのほか困難そうで、ただ、手を貸してほしいと言われるでもなく、憑き物の耳は昨日のいじり方のせいか腫れ上がってしまい、作業者たちはしきりにこちらを気にしながら作業していて、

淡い

淡い 淡い、という言葉が好きだ。きっぱりとしていなくて、ぼんやりと靄や薄布を感じさせ。 淡い色と言えば何を指すだろう。桜の薄桃色などは淡い色の代表のような気もするが、まとまって花盛りになると余り淡さを感じさせなくて人がいうほどあの色の束は好きではない。と考えて、淡い色の花、思い巡らせて、特にぱっと思い当たる物がない。花の種類や名などに詳しくない。と梅の方が淡い色の花をつけるかと思い立った。 実家に隣接する空き地に梅の樹を植えた。それはベランダで育てていた樹だったのだが大

玉主

玉主 詳しくはお問い合わせくださいと言っておきながら誰もいない。それはそうだ。こんなにも雪が積もってしまって、みんな心配して帰ってしまった。雪捨て場もすでに、行政の手には負えなくなって、だからといって用水路をこのまま雪で埋もれさせて置くわけには行かず、上流から、誰かが熱い玉を転がしてくれている。雪を溶かし用水路を流れてゆく白い玉。白といえば冷たいという概念を覆し、沸点などとうに越えた高熱を発しながらのんびりと転がってくる。触ったらひとたまりもないが雪とそのまま同じ色なのでう

井桁

井桁 井桁に組んで。後でとりやすくするから、といったもののどうしてこんなに高く積み上げてしまって。高すぎてとれない。背丈よりずっと高く豆の木か。ここまで積まれてしまったら、井桁もなにも無い。隙間に何か入り込まれても、もう手に負えるものではない。まさか芯棒なんて通してはいまいか。そこまで思い至らなかったか。で、この井桁の塔。どうするか。はじめは人の役に立とうとした製品も、こんなに積まれては下の方はすでに拉げて、あいだ、ところどころ訳の分からない青や黄のとげとげも混ざって、なん

詩集の造本

詩集の造本 本には四六版とか、菊花版、など定型の版型がある。普通の単行本などはほぼ同じ版型なので、本棚に並べるときれいに並ぶ。後は厚い、薄いがあってみたり、色があったり、モノクロ装丁だったりと、そのあたりは様々だ。ちなみに、本は十六枚を一単位として、作られていると聞いたが本当か。十六、三十二、六十四、八十、九十六、とページは十六の倍数と。また、奥付(作者や出版社などの情報の記載)は文芸書の場合、開いて左、と決まっていた(らしい)。何故か知らない。 だが、最近はそんなこと無

居候

居候 居候も明日には終わる。中学の同級生の家に私、子二人、妻、老母、死んだ父、叔父で世話になり数日。別居の同級生が家主に呼び戻されたので、こちらはすぐさま叔父を呼んだのだ。何を対抗しているのか。居候の分際で。家主、つまり同級生の母親と生活の時間帯を完全に違え、極力顔を合わせないようにはしている。困ったときはお互い様だから、とか、遠慮はなしで、など扉の向こうで大声で呼びかけられるが、怒声に近く、死んだ父と叔父は向かい合わせにトランプに熱中するふりをしてやり過ごし、私の子二人は

文章の透明感

文章の透明感 文章の透明感について考えてみる。 文章には端々に必ず書く人の人柄がでる。ということは透明感のある性格、思想の持ち主は透明感のある文章を書くのだろうか。 そもそも、文章の透明感といっても人によって様々な感じ方があると思われる。たとえば、透明とは全く逆の争い、暴力、人の心の醜さなどを書いたとしても透明感のある文章を書くという人は居そうだ。フランス文学あたりに例が見あたりそうだが浅学のためよく知らない。 フランスといえば、フランスの透明感と日本の透明感もおそら

鰹のなまり節

鰹のなまり節 日曜の朝、さんざん朝寝をしたあげくぼんやりした頭でテレビを見ていたら、鰹のなまり節が画面に映っていた。確か、鰹節にする前段で、熱を通した物だったと記憶しているが、まあ、マグロにおけるツナ缶の加工のようなものだろうか。 その、鰹のなまり節を見聞きする度にある新聞の投書をいつも思い出す。魚屋に買い物に行き、鰹のなまり節を買ったところ、「はい、ねこのえさぁ」と手渡されたことを怒っている内容だ。いくら安い買いものでもそんな言い方はないではないか、いくら猫の餌にするよ

音楽をとっかかりに

音楽をとっかかりに 音楽を聴くとき、まずどこを聴くか。歌、歌詞。メロディ。私の場合はドラムのリズムをまず聴いている。そして瞬時に、自分に叩けるものかどうかを頭の中でより分けてしまう。叩けない、と感じるものはどうやって手足が組み合わさり、どのようなリズムになっているか無意識に分析してしまう。ドラムを叩き始めた頃からの癖だ。 次にベースラインを聴く。ベースの聞き分けは割と難しい。ネットの記事で読んだのだが、ひとは無意識に音楽を聴くときはベースを聴いているという。私はおもに軽音

一夏過ぎて

一夏過ぎて 一夏過ぎて本当に夏の一日らしい一日を送れたのは何日ぐらいだろうか。その、夏らしい一日には当然、快楽が含まれていなければ納得できず、ただ、暑いだけの日を過ごしたのではとうてい認定いたしかねる。まあ、自分の中でだけの決まりを偉そうに、声高に叫ぶ必要なしに。 或る夏の一日は子供たちと出かけた市民プールの日だった。わずか半日。温泉のように妻と浅いプールに浸かりながら子供たちの喜ぶ様子を見ていた。 もっと時間を巻き戻して、まだ妻と一緒になる前。大学のプールの一般開放に

蟷螂

蟷螂 中秋は蟷螂の季節だ。ススキの葉が枯れ始める頃、蟷螂は道ばたに迷い出てみたり、ベランダに現れる。 妻が蟷螂をタオルとともに取り込んでしまい、脱衣所で騒いでいた。 我が家のベランダには季節によっていろいろな昆虫が迷い込み、またはそこで命果てる。コガネムシ、カナブン、カブトムシ、タマムシ、カミキリムシなどの甲虫類、とかげ、蛾、野鳥、蜂、亀虫、蝉、そして蟷螂。 蟷螂の形態はユーモラスで好きだ。三角の頭を傾げて両鎌を折って構える。腹には卵が詰まっているのか、必要以上にふっ

夜中の風呂

夜中の風呂 めっきり深夜の風呂をしなくなった。近所迷惑もある。しかし、深夜風呂をするときはたいてい飲めない酒を飲んで、または呑まされて、頭痛を治すために首まで浸かるという危険きわまりない入り方で、好き好んでというよりは必要に迫られての場合が多い。これもまた勧められたものではないが、頭痛薬と胃薬を飲んで、熱い風呂に長い間浸かると、寝付けるほどには調子が戻る。そして、無理に寝付き、短い睡眠時間で翌日の予定をこなす。そんな日も時折あった。が、今回は泊まりで行った研修会での話。