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鰹のなまり節

鰹のなまり節

日曜の朝、さんざん朝寝をしたあげくぼんやりした頭でテレビを見ていたら、鰹のなまり節が画面に映っていた。確か、鰹節にする前段で、熱を通した物だったと記憶しているが、まあ、マグロにおけるツナ缶の加工のようなものだろうか。

その、鰹のなまり節を見聞きする度にある新聞の投書をいつも思い出す。魚屋に買い物に行き、鰹のなまり節を買ったところ、「はい、ねこのえさぁ」と手渡されたことを怒っている内容だ。いくら安い買いものでもそんな言い方はないではないか、いくら猫の餌にするようなものだとしても栄養があっておいしい、といった論旨が並んでいたような気がする。

まあ、一番悪いのは自らの商品を安いからと言って「猫の餌」と腹いせのように吐き捨てて売った魚屋だ。しかし、私は、その出来事をわざわざ投書した投稿主にも、数ある投書の中から、わざとそれを選んで掲載をした選者にも、何やら、微妙な感情を抱いてしまう。

三者三様にどこか歪んでいる。

ただ、この中で、私が一番邪悪さを感じるのは投書を取り上げた選者である。何か遙か上空から、庶民の些細な営為の中でのちょっとした諍いを公に取り上げ、見せ物としている底意地の悪さと選民感が投書の奥でほくそ笑んでいるように感じる。

その邪意は十分伝わりました。おかげで、なまり節と聞く度にこの投書が浮かんでくる。ただ、その邪意が伝わるということは自分の中にも選者に通底する邪悪な感性がきちんと在庫されていると言うことだ。あるいはそれが邪推であるなら、それ以上と言える心の醜さだ。

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