マガジンのカバー画像

「不登校の話」シリーズ

23
全23回。不登校の話と銘打ってはいますが、大半は私の半生を追ったものとなっています。
運営しているクリエイター

2018年7月の記事一覧

ワープロ

<前回の話>

我が家にパソコンが導入されました。世間的にはWindows 95や98が出るような時期で、家庭にパソコンが普及し始める大きな流れがありました。家族兼用のパソコンを、当面はダイヤルアップ回線で使います。私のインターネットとの初遭遇でした。

念のため説明しますが、当時のダイヤルアップ回線は、接続時間ごとに電話料金がかかりました。我が家で一日に使ってよいのは、一時間程度までと定められま

もっとみる

多頭飼い

<前回の話>

また、新しく猫が来ました。細かな経緯はあまりよく聞いていないのですが、急に母が連れて帰ってきました。どこかの野良猫が産んだ子どものうちの一匹のようで、他のきょうだいも別々の家に引き取られていったとのこと。家にやってきたのが日曜日の夕方だったことを何となく覚えています。またしても茶トラのオス。生後2ヶ月に満たないくらいでした。

先住の猫1は、いかにも普通の日本猫といった愛らしいずん

もっとみる

家族の宗教の話をします

<前回の話>

我が家には昔から小さな祭壇があり、朝と晩に、母がお祈りしていました。幼い頃からそれは自然な光景だったのですが、成長していくうちに「どうやらこれは他の家ではやっていない行為らしい」ということに、段々と気付いていきます。

生まれた時から、母と月に一度くらい「参拝」に出かけるのが恒例行事となっていました。そこでは、母の顔馴染みらしき、通称・田中のおばちゃん(仮名)に私たち兄妹を見てもら

もっとみる

コンビニの棚

<前回の話>

一度も通っていない、二つ目の中学校の卒業証書をフワッともらいました。筒に入った紙がやってきて、特別なことは何も感じませんでしたが、もしこれから私が罪などを犯した場合は、「無職」という肩書きで報道されるんだ、ということは理解しました。

不登校の人たちが使うフリースクールなどの仕組みは、当時もすでにあって、おそらく知ってはいましたが、近くにないとか、基本的に誰とも関わりたくないとか、

もっとみる

<前回の話>

漕ぎ出しが硬く重い、牛のような自転車で郵便物を配達します。

初めてのアルバイトは、年賀状の配達です。年賀状本番に向けて、まずは一般の郵便物を12月初旬から配達して、住所や道などを覚えます。

家の近所の大きな郵便局から私の担当エリアまでは、牛の自転車で20分くらい。あとは住所の通りに、郵便物をポストへ投函します。たまに住人の方などとお会いしたら、軽く挨拶します。やることはこれだけ

もっとみる

2つ目のトンネル

<前回の話>

自分で稼ぐお金の味を知った私は、しばらくして何かまたバイトをしようと思いました。ところが、まだ金髪でした。金髪のままスーパーのレジの面接へ行ったことがあるのですが、金髪ですから、もちろん落ちました。

どう考えても当たり前の結果なのですが、そんなことすら「自分で試してみるまでは何も社会のことがわからない」という感じだった気がします。金髪だった時期にいくつか試みたことは、すべて挫かれ

もっとみる

日本語の工事

<前回の話>

欧州サッカーやゲームやインターネットなどによって、昼夜逆転生活の引きこもりが板についてくると、日々何かしら文章を書くことにも弾みがついていきました。

深く静まり返った深夜は、何かを書くのに、とても適していました。

この頃すでに、インターネットに何かしら書いたものを載せており、趣味で小説も書いていました。当時の私の文章は、基本的にしゃべることの代替手段であり、小説も同様に、私自身

もっとみる

サンデーモーニング

<前回の話>

引っ越しをすることになりました。引っ越しの話をするのは、もう3度目ですね。今回は両親が別れることになったので、私は母についていくことになりました。父だけ置いていきます。

父は、あくまで大人の人間同士として、適切な距離感で付き合う相手としてなら「いつも偉そうだけど愉快な人」くらいのちょうどいい認識でいられます。しかし、長く一緒に住んでいる限りにおいては、最悪な昭和の男です。母が経済

もっとみる

合流

<前回の話>

私は、18歳になったことによって、いよいよ何かしらの「仕事をしなくてはならない圧力」を感じるようになっていきました。若すぎる年齢を盾にして仕事を探さない理由が、もう使えません。

不登校をはじめた当初、「こんな調子では、私は遅くとも10代のうちにどこかで命が尽きるんじゃないか」ということを、けっこう本気で思っていました。それは甘い願望に過ぎないのですが、10代も終わりに向かっていく

もっとみる