サンデーモーニング

<前回の話>

引っ越しをすることになりました。引っ越しの話をするのは、もう3度目ですね。今回は両親が別れることになったので、私は母についていくことになりました。父だけ置いていきます。

父は、あくまで大人の人間同士として、適切な距離感で付き合う相手としてなら「いつも偉そうだけど愉快な人」くらいのちょうどいい認識でいられます。しかし、長く一緒に住んでいる限りにおいては、最悪な昭和の男です。母が経済的に自立できる目処が立ち始めて、ようやく離れることができた、という感じでした。

私は、東京の真ん中寄りの場所で生まれ育ちましたが、それから十数年をかけて、バブル崩壊からの不景気と、我が家の経済力低下に比例して、少しずつ少しずつ、東京の真ん中から離れていって、とうとう今回の引っ越しで、川を渡って東京を出ました。

新しい家は、木々に囲まれた山の頂にあり、とうとうこんなところまで来たのかと思いました。まだ暑い時期で、セミがたくさん鳴いています。心なしか、キャンプへ行ったときのことを思い出す匂いを感じました。気付けば私も、あっという間に18歳になっており、見知らぬ土地での新たな生活に、心躍るものがあるのでした。

一方、父は父で、私たち家族と暮らしていた一軒家を早々に引き払い、様々なコネを駆使して、どういうわけか東京の臨海地区・有明の高層マンションに、一人で移り住みました。このことを最初に聞いたときは、意味がよくわかりませんでした。

その後、父と「再会」し、私が有明のマンションへ遊びに行くようになるのは、ここから数年先の話なのですが。せっかくなんで今回は、そちらの話をします。

父の家は、部屋の広さに対して、ほとんど何にもなく、ただ団塊の世代らしく強烈なテレビっ子なので、巨大なプラズマテレビだけが中央に鎮座しています。あとは、ソファと、エアロバイクと、バランスボールと、ミキサー。泊まりに行った朝は、ミキサーで作られた粘度の高い何とも言えない色のスムージーを飲ませてくれますが、のどごしの塊であると同時に複雑な味をしており、なかなか飲み切るのが大変です。父はミキサー山盛りを全て飲み干しますが、私はグラス一杯だけで勘弁してもらいます。

マンションの部屋には網戸がなく、高層階なので虫は一切入ってこないそうです。夏の夜も窓全開で、そこそこの夜景を眺めながら、近所のイオンで買ってきた焼酎を飲みます。友人と安くてうまい酒を探していたら巡り合った、最近のお気に入りだと言って飲んでいました。たしかに、焼酎はなかなかいける味でした。

それにしてもこの人は、本当に楽しそうに暮らしますね。

私は毎年夏、父の家へとお世話になる機会があったのですが、この家の感じにもすっかり慣れてきた、ある年のことです。キッチン上の収納を何となしに開けたところ、オプティーフリー(コンタクトレンズ洗浄液)の、大きなボトルが出てきました。父は昔から近視で、ずっとメガネなのですが、おそらくコンタクトはしないと思います。率直に聞いてみました。

「これ、どうしたの?」

「ああ、なんか、女の子が、置いてったんだよね」

女の子が、置いていった。

なるほど。

それ以上は、あまり知りたくないような気もして、踏み込みませんでしたが、父は父で、楽しくやっているのだなという感じでした。

父は基本的に「子育てはおれの役割じゃない」という昭和の最悪スタンスをそのまま行く人でしたので、幼少の頃から日曜以外は家にまったくおらず、たとえば何かを密接に教わったりとかいう記憶も全然ありません。ひどい言い方をするなら「おれはちゃんと家庭を持っているんだ」と言いたい父の「趣味」に、私たち家族が付き合わされて暮らしているような雰囲気さえありました。

そのうえ、後年は父の収入をあてにする限り、生活が不安定になることが必然となってしまい、母が離れたことも大いに頷けます。また父は父で、前述のように、一人になってからのほうが明らかに羽根を伸ばして生きており、我が家にとっては確実にこれが正しい道だったんだと、私は静かに思い至るのでした。

そんな父ですが、私が幼い頃から唯一、口を酸っぱくして私に言い続けていることがあります。それは「人にお金を貸してはいけない」「絶対に保証人になってはいけない」ということです。

私にとって「保証人」という単語は、きっと普通の子どもよりもずいぶん早い段階から、なんとなく概念としては知っていました。いつも聞いていたら、さすがに覚えます。レンタイ・ホショウニン。「もしお金を渡すなら、それはもうあげたと思え」とも繰り返し言っていました。

それら父の教えが頭をよぎるシチュエーションは、幸いにして未だ一度も起こっていませんが。このことは、私が生きるうえでの羅針盤の一つとなっています。

<次の話>

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