合流

<前回の話>

私は、18歳になったことによって、いよいよ何かしらの「仕事をしなくてはならない圧力」を感じるようになっていきました。若すぎる年齢を盾にして仕事を探さない理由が、もう使えません。

不登校をはじめた当初、「こんな調子では、私は遅くとも10代のうちにどこかで命が尽きるんじゃないか」ということを、けっこう本気で思っていました。それは甘い願望に過ぎないのですが、10代も終わりに向かっていくにつれて、「どうやらこのまま生きていってしまうらしい」ことを、受け入れるしかなくなっていきます。18歳の私の肉体は、健康きわまりないのです。エネルギーで満ちあふれています。

それに、18歳という年齢は、普通に学校へ行っていた人々が、社会に出てくる一つのタイミングでもあります。レースゲームで言うなら、私はかなりの周回遅れですが、「(まるで不登校なんてなかったかの如く)素知らぬ顔でレースに紛れ込み、人々と肩を並べて走れるかもしれない」という、一種の希望を抱かせるものでもありました。外へ出るには、良いタイミングだったのです。

もちろん、今までの周回遅れが、やがて重くのしかかってくることは、言うまでもありません。ただ、のべ6年近い、人生の3分の1もの期間を引きこもってきた18歳の私には、そんなことはわかりません。社会をまったく知らないのですから。

そういえば書き忘れていましたが、15歳のとき、焼肉屋でバイトしていたことが一瞬だけありました。そのお店は、オープニングでたくさん人を雇って人海戦術で乗り切ったあと、客足が落ち着いてくると使える人だけを残し、あとは次々クビにするというやり方でした。雇用契約書もなく、それがおかしいことをわからないような、15〜16歳の子どもばかり雇っていました。お店はその後、あっという間に無くなった様子でした。

そうして焼肉屋をクビになった経験が、なんとなく納得いかなかったものですから、18歳のときにも、リベンジのつもりで焼肉屋でバイトしてみました。が、こちらは3日で辞めました。最初の焼肉屋より短かったというオチですね。私がこの頃のバイトで長続きしたものは一切なく、ごく短期間で転々としていました。

バイトが続かない要因としては、まず私には「社会の基礎」が、まったく備わっていませんでした。対人コミュニケーションにもまだ多少問題があったのかもしれませんが、どちらかといえば「社会のシステムに収まったときの心身の有り様が、何もかもわからない」という感じでした。

もう少し具体的に言えば、「どこまで自分を捧げなければならないのか」のレベルが、私の考える認識と、社会が一人の労働者に求めてくるものとでは、大きな差があります(これは今でも、そう感じています)。中学・高校という、社会へ出るための訓練期間の大半をパスしたことで、多くの人が当たり前のように馴化されていたり、自然と折り合いをつけていくような部分を、当時の私はほとんど持ち合わせていませんでした。

むしろ、苦しいながらも、気ままな引きこもり生活を送ってきています。自分の内面と多く向き合い、心の声を抑圧しないよう、しっかり聴き取ろうとする生活を意識して続けたことで、「社会への適応」という点では逆行しています。心の声の優先順位が異常に高く、働くことで発生する日常的な負荷をいなしたり、融通を効かせることも全然できなかったため、「イヤなら辞めればいい」に、今よりも素早く、とても簡単に到達する状態でした。

この時期のバイトで、比較的続いたものでは、某ファミレスがあります。

私はキッチンを担当していましたが、食事休憩時には、メニューにあるチョコレートパフェを自分で作って食べていました。スタッフが食べるものは一律負担なので、ハンバーグのような料理も選べるなか、安価なパフェばかり食べるのは少しもったいないのですが、パフェの食べたさが上回りました。

いま考えると、まるで夢のような、ほぼ毎回パフェを食べられるバイトであっても、3ヶ月に満たない期間で私は辞めています。パフェのパワーを持ってして、ようやくそれくらい続けられる、という程度でした。

<次の話>

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