日本語の工事

<前回の話>

欧州サッカーやゲームやインターネットなどによって、昼夜逆転生活の引きこもりが板についてくると、日々何かしら文章を書くことにも弾みがついていきました。

深く静まり返った深夜は、何かを書くのに、とても適していました。

この頃すでに、インターネットに何かしら書いたものを載せており、趣味で小説も書いていました。当時の私の文章は、基本的にしゃべることの代替手段であり、小説も同様に、私自身がやりたいけど現実にはできないことを、小説の中の人たちに代わりにやってもらう、という性質の強いものでした。

色々と書いていくなかで、私が持つ語彙の少なさを如実に実感していき、それを補うように、この頃は人生で最も多くの本を読みました。もともと幼少時から本を読むほうではなく、読書感想文の宿題では、苦悶の末にあらすじをそのまま書いて提出するタイプでした。

とはいえ、私の本体を言語で形成していく必要があり、そうも言っていられず、とにかく言葉が足りない。貪るように読み倒しました。当然、面白いものがたくさんありましたし、印象的な作中の風景をいくつも目に焼き付けてすらいますが、とにかく苦しみながら無理して読んでしまったため、ある程度「摂取」を終えたところで、本からは完全に距離を置くようになり、今に至っています。

本を好きな人からしたら、これは非常にもったいないと思うことかもしれません。しかし、ああいった時期が、私には必要でした。

思ったことを言語化できるようになっていくことは、本当に素晴らしいことでした。何なら生きるうえで、最も必要な能力だと思います。これらのプロセスを経たことで、少なくとも「基礎」にあたる部分を、そこそこ形作れた気がしています。

また、思ったことを言語化するという点に関しては、夜な夜な出没していた当時のテキストチャットも、私をいくらか育ててくれたかもしれません。

行きつけのコミュニケーションサイトがいくつかあって、知っている人がいれば入っていき、誰もいなければ空室に入って、誰かが来るのを待ってみるなど当時からしていました。仲良くなった人とは、MSNメッセンジャーのIDを交換して、そちらでクローズドなチャットのやり取りをすることもありました。

今でもLINEなどに関して言われているようなことですが、リアルタイムで行う文字だけのコミュニケーションは口語と異なるので、細かなニュアンスを伝えるために表現を工夫したり、誤解されないように知恵を絞ったり、いい意味で神経を使います。そうした中で、なるべく私は、虚飾なく私の本体がそのまま文字列に現れてくれるような言葉のチョイスを意識していましたが、これは今とほとんど変わらない感覚ですね。

このような経緯もあって、後年出会うことになるTwitterは、私にとってとても親和性が高いものでした。

一つだけ、チャット時代に後悔していることがあって。いつもMSNメッセンジャーでやり取りをする中でも、特に仲良くなった一人の大学生の方がいたのですが、あるとき彼は私との「親愛の証」とでも言いましょうか、「お互いの個人情報を軽く交換してもいいかなと思うんだけど、どうかな?」という感じのことを持ちかけてきました。

あくまで、いつか会って遊ぼうよ的なノリだったかとは思います(あるいは、ひょっとして何か送ってくれようとしたのかもしれない?)。私は絶賛引きこもりの最中でしたし、もちろんその話もしっかりしていたのですが、思いがけずドン引いてしまい、とっさに断ってしまいました。

今までここに書いてきた内容をはるかに超えて、お互いのことを深く話していた彼とは、これをきっかけに自然と疎遠になっていきました。あのとき彼の呼びかけに応じていたら、もしかしたらその後も、長くいい関係を築けていけたのではないかと、今となっては思っています。

彼のハンドルネームすら、今となっては忘れてしまいましたが。私が反射的にドアを閉ざしてしまったときの、とても残念そうな彼の反応だけは、なんとなく覚えています。

<次の話>

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