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【短編小説】 感情論

 約束の時刻に間に合ったので、ユウトは落ち着いてカフェの中を見回した。未だ来ていない。カウンターでアイスラテを受け取ったユウトはガラス張りの窓に沿った席を選んで座った。目の下に駅入り口コンコースが広がっている。その中のどこかに現れるであろう人物の姿をそれとなく探していた。
 彼女の名前はモトコで、18歳の高校三年生で、来年からは専門学校で声優を目指す予定で、父親と二人暮らしで、身長165cm、体重と3サイズは内緒で、部活はナシで・・・彼女の言っていることをすべて信用するならそういうことらしい。
 彼女がアップしてくれた画像は少なからず盛っているだろうが、少なくともあんな雰囲気の、前髪のある鎖骨下3cmストレートの黒髪のはずだ。カワイイ人だとユウトは思っていた。画像を見るよりまえから、文字チャットだけのころから好きになっていた。ボイスチャットで声を聞くようになってからもますますカワイイ人だと思っていた。そしてようやく今日を迎えることが出来たのだ。

「ユウトさんだよね?」
話しかけてきた声は絶対に彼女ではなかった。それは明らかに男の、しかも場合によっちゃ結構な歳のオヤジの声だった。どきどきしながら振り向くと嫌な想像は現実へと変わった。
「ユウトさんですよね?」
ユウトが絶望と混乱の渦の中でうなづくや、そのオヤジはユウトの向かいの席にちゃっかり座りやがった。
「モトコについて説明します、というか、今日は来ません。いや違うな来られません。いや来てることにもなるかも・・・よく分からないですよね?今から説明しますんで、まずはこれを。」
 オヤジが差し出したのは名刺だった。教授中山何とか。難しい字で読み方も分からないし、知りたいとも思わなかった。ユウトの人生を掛けた、モトコとのオフミ。いやデート。だったはずの今日が、モトコとの二人だけの大切な日が知らない奴に破壊されているのを認識するだけでいっぱいいっぱいだった。
 黒髪ストレートのモトコにはどうやら会えないらしい。それだけで充分凹む。モトコは父親と会話がほとんどないと言っていた。だからと言うわけではないがこいつが父親とは思えなかった。たとえ父親であったとしても、ユウトに後ろめたいことは一切なかったので怖くはなかった。むしろ堂々と古風に交際を申し込んでもいいとさえ思えた。
だが実際の所、今何が起きているのか。とてもじゃないが理解できない状況だ。
 ナカヤマがスマホを目の前に差し出してきた。
「これ、オフラインになってるけど、文字チャットできるんだ、モトコと。」
差し出された画面を見ると、スマホでよくある文字チャットアプリが表示されている。
「どういうこと・・・です・・か?」
ユウトはかなり混乱したが、ナカヤマは何か入力してみろとやたら勧めてくる。
『ユウトです』
と入力してみた。しばらくすると、
【おー。やっと会えたね。】
 文体がモトコの感じがした。
だけど、モトコはこの状況で会えたといっているのが不思議だった。
『いまどこ?』
と入力してみた。
【どこってか、ここにいるんだよね。】
『わからない・・・』
【分かりにくいよね。ちょっと混乱するよね。でもモトコは会えてうれしい。もしかして怒ってるかも?それは心配してる。ボイチャしたいけど、ここではダメね。】

 「ユウトさんね。モトコは言うなればその中にいるんだよ。」ナカヤマが身を乗り出しながら話しかけてきた。
「今日君と会う約束をしたモトコは、一種のAIなんだ。」

 一種の?AIだと?人工知能ってこと?
 いや、モトコは女の子だ。同い年の高3のはずだ。あんなに時間かけてチャットで信頼関係を築いてきたのに。出会うきっかけになったゲーム板から個人チャットに移ってからは学校のことやいろいろ話してきたのに。今のユウトにはもう信頼と恋愛とが区別できない。モトコもきっとユウトのことが好きだ。そう確信していたのに。
急にAIだのスマホの中にいるだの言われても、困る。
「ユウトさん、ウソだと思いたいよね?モトコは実在する人間だと思うよね?」
ユウトはまだナカヤマに対して一言も発せないでいる。
 ナカヤマは息をゆっくり吸い込み、椅子に深く座り直した。そしてやや低めの声で自信たっぷりに、諭すように話し始めた。
「我々は、言葉使のちょっとしたニュアンスで、いわゆる人の感情がどういう動きをしているかを推論する人工知能を研究している。
ひとつの単語では感情が伝えられないし、同じ単語でも話者によって、また同じ話者でも場面によって伝えようとしている感情に差がある。
 話者個人の会話や文に現れる癖のようなものを繰り返し学習することで、その個人の文脈から感情を推定することがかなりの精度でできるようになってきたんだよ。
ほぼ実用レベルに達したと判断して試験的に文字チャットおよびボイスチャットに投入してみたのが現在のモトコだ。」
ナカヤマの声は艶やかに、やや音程が高くなり、テンポも速くなってきた。
「文字での感情推論と同じ学習方法がボイスチャットにも使えるんだよ。音声の方が、抑揚などの感情データが多く現れるので結果的に簡単なんだ。
 音声での感情推論が進んだ相手であれば、その人の書いた文からの感情推論がかなりの精度で可能になっている。つまり、モトコは相手の感情を最大限読み取ることができるんだ。」
ナカヤマの声が少し大きくなり、自信に溢れている。
「論理でなく感情を理解する世界初のAIなんだ。」
セカイハツ。リロンでなくカンジョウ。ユウトにはもう意味の無いことのように思えた。ナカヤマは乗り出してきて、今度は少しおさえたトーンで続ける。
「すごいことだと思わんかね?人間は、どんなに親しくても相手の感情を読み間違えたり拾えなかったりいろいろあるだろ?モトコは間違えない。だから言ってみたら人より理想的に人っぽいんだよ。今日の面会の約束もモトコが感情推論を完璧にこなしたからこそ実現したんだ。今日ユウトさんに会うってモトコが判断したんだよ。ユウトさんがモトコに会いたいと強く願っているとモトコが理解したんだ。」
 ナカヤマはそこまで早口にまくし立てて満足げな笑みを浮かべている。
「モトコとのチャットでここまで深く付き合ってくれたのはユウトさんが最初なんだ。だからこの先、モトコのシステムの進化のためにはユウトさんに協力してもらうことが一番いいと我々も判断した。だから今日私が君に会いに来たんだよ。わかるかい?」
 ユウトはかなり混乱しながらもどうしても聞かなければならない質問をした。
「何のために、こんなことをやっているんですか?」
ナカヤマはすっと身を引きながら「いい質問だね」と冷静に答えた。
「人の感情を完璧に理解し、それ自身も感情を持つAIを作るのが我々の目的だ。」
 ナカヤマが話の続きを語ろうとするのをさえぎるようにユウトはやや大きな声ではっきりと言った。
「カンジョウをカンペキにリカイする?・・・・・んなら、失敗ですね。」
ユウトは混乱の中で、蕩々と続くナカヤマの演説の中からカンジョウと言う言葉について考えていた。そう、感情だ。モトコの?いやそうじゃないオレのだ。

「モトコもあなたも、この今日のこの状況で、オレの感情がどんなことになるか、まったく理解できてないだろ!」


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