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年収200万円以下でも幸せに生きる方法

■本日のコラムの音声ver

■活動の経過報告

昨日は久々に支援現場に行ってきました!1ヶ月ぶりだったので僕も行く前から家の中で少しドキドキしてました。笑 子どもたちは僕の元気とやる気の源と言えます!

今はバイトの男子大生がかけ算まで教えてくれてます。

だいぶ前に進んでるっぽいので嬉しいです。ただし奥の子はかけ算もできるんだけど手間の子は昨日見た感じまだ微妙です。手間の子はプライドが高く負けず嫌いなのでめちゃくちゃイライラしてました。笑 でも手間の子は奥の子よりもカンボジア🇰🇭語はできるのでお互い良いもの持ってるよなって感じです。
昨日はベトナム🇻🇳人の子どものお母さんの機嫌がめちゃ良くて、多分僕が久々に来たからだと思うんだけど卵アイス?バニラアイス?かわからんなんとも言えない味のアイスをもらったのですが美味しかったです。この2人の子どもとも久々に会って一緒にたわむれて楽しかったです。


■これからの日本の治安をよくするために必要なこと

僕は前からツイートで話してたんですが、これから日本の治安が悪くなることが本当に心配です。

今日の23時にもツイートするんだけど、🇯🇵は労働人口5,000万人いて20%の年収200万円以下で働いてる1,000万の人らは犯罪予備軍と言えます。

先日21日にまた秋葉原で殺傷事件がありました。

福岡でも30代女性が中学生を切りつけた事件も1週間ほど前にありました。

安倍晋三襲撃事件とその国葬を発端にしてどんどん連鎖のごとく殺傷事件が出てくるんじゃないだろうか?って考えたら恐ろしいんですよね。

日本っていうのは、てか資本主義社会では年収が低い人はどんな理由があろうとも「 ダメ人間、価値のない人 」として当たり前のように周囲からレッテルを貼られます。

だからどうしても活躍できない人、周囲から認められない人は非常に生きにくさを感じてることと思います。幸せ、楽しいなんて到底思えないでしょう。

この気持ちは僕も凄くわかります。

僕は大学も4年で卒業してないし遊んでばかりいたので「 あいつはダメだ 」というレッテルをかつて貼られたので。今でもそのツケは残ってます。

だからわかるんです。僕は自分がダメになったことを自己責任だと思ってる部分もあるんですが親の教育が悪いとも思ってます。

全てが自己責任じゃないんです。これは親に責任を押し付けてるとかじゃなくてロジカルに考えた結果、実際に親の教育がデタラメだったことが間違いないと言えるからです。

人には色々と事情があるのであくまでも僕の場合は自己責任の部分はあるけど、生まれた環境が悪すぎて自己責任の要素が一切なく年収200万円以下になるしかない、なるしかなかった人が世の中ごまんといます。

そういう人たちをも問答無用で「 ダメ人間 」としてレッテルを貼るのが今の超冷たい日本社会です。

そら安倍晋三襲撃事件を起こした山上容疑者みたいな人からしたらたまったもんじゃないです。山上容疑者の境遇が明らかにされていますが彼は絶対に努力家です。

でも様々な不祥事が起こったり、親が宗教にのめり込んだりして色々と悩んでいたことがあったんです。結果的に最悪な結果になってしまったことは本当に残念です。

さらに今年の1月か2月に大阪の北新地で放火事件もありました。この事件の容疑者も普段から孤独に苛まれていたことが事情聴取でわかってます。

つまり山上容疑者と境遇は大雑把に言えば一緒なんです。社会がこの2つの事件の犯人のような人たちを平気で見捨ててるのが現状です。

人を殺したり暴力をしたり放火したりするのは絶対ダメだけど、山上容疑者らのような人間を生んでるのは日本社会、国民である意識を絶対に僕らは持たないとダメだし、

現代は努力しても報われない社会だから、どうしたら誰もが努力したら報われる社会に変えれるのか?をみんなで考えないとダメです。

僕がカンボジア🇰🇭で学習支援してるのも子どもらが努力したら報われるようにサポートしてるわけです。

努力したら報われるようにするためには周囲の人間のサポートや応援が絶対に欠かせないんです。

だってわかりやすく言えば、子どもらが教科書だけ買って自分らだけで勉強して、努力してもその努力が報われると思います?絶対無理でしょ。

つまり、僕も今自分1人で活動してても思うけど人は人の力を借りない限り努力しても報われにくい、というか報われないってことなんです。

僕は昨日、支援現場に行って思ったんだけど、凄くほっこりしたというか久々やっただけに僕も楽しみやったし、昨日は久々やったからみんなが特に笑顔やったような気がします。

当然、僕の支援現場の周辺に住んでるベトナム🇻🇳人の方々は経済的には凄く貧しいです。でも低収入の日本人みたいに「 人を殺してやろう、もうどうにでもなれ 」みたいな感じで思ってる人たちは誰1人としていないと思います。

誰1人としていないから僕もほっこりするんです。

「 確かにお金があればもっと良い暮らしだってできるし、お金はほしいことはほしい。でも私たちは幸せです。」

って途上国の経済的に貧しい人たちは言うと思います。

なぜなら途上国の経済的に貧しい人たちは日本の経済的に貧しい人たちとは違って人間同士の繋がりがあるからです。

同じ境遇同士の人間で集まってみんなで暮らしている。

昨日もベトナム🇻🇳人の子どものお母さんが牛肉の野菜炒めみたいなんを作ってそれを近所の人間に配りに行ってました。

僕も食べたけど少し辛いし薬草みたいなんが入ってて苦かったけど全然美味しかった。( 写真撮っておけばよかったー )

途上国の経済的に貧しい人たちに共通してることは食べ物や飲み物は積極的にみんなでシェアする、です。

でも日本だったらこういう社会問題のことを理解してるNPOやNGOしかやらないじゃないですか?

弁当を配ったりとか。それもたまにしかやらないし、資金的に難しいからできないってのもあると思います。

じゃなくて、日本でもたとえ年収が低くてもその人たちがもっと繋がりができる社会になれば全然幸せに暮らすことはできるんです。年収が低い人たちは孤立してるのが日本社会の特徴なので。

これが今日の答えです。

僕が日本帰った時に現金を会った人に配布したのもシェアの意味を込めてたんです。

まぁー日本で年収が低くて息苦しさを感じてる人や、孤独な人が途上国の経済的に貧しい人たちが住んでるエリアに来たら非常に居心地の良さを感じると思うなー。

年収低くても幸せに暮らすには繋がりがやっぱ欠かせないと改めて昨日思ったので、そのきっかけにこれからもなれたらいいなと考えてます。

積極的に日本にもできることないか考えてカンボジア🇰🇭からにはなりますが何かやるために頑張っていきます。

引き続きぜひ応援の方よろしくお願いします!以上です。


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