見出し画像

【#ゆたかさって何だろう】溢れる想いと溢れる涙

こころも体も壊れかけたことがある。

もう20年も前の事だ。朝早くから働きながら、夜は大学に通う。今と将来への不安。

こころと体、どちらも悲鳴を芯からあげていて限界だった。

大きな病院を紹介されて、その病院の受付で気を失って倒れてしまい長い間、入院をした。

そして私には、その長い入院期間の記憶がほとんど無い。気を失い、病室に運ばれた後に意識は回復していた。

意識は回復していたが、断片的な記憶の僅かな思い出だけがある。

具合が悪くなってから、入院中までは全ての感覚を正確に感じることができなかった

ものを見ること。
ものを聴くこと。
ものを嗅ぐこと。
ものを味わうこと。
ものを感じること。

自分自身が別の誰かになってしまったようで、感覚が正常で無いのはショックだった。

突然に壊れてしまった、こころと体。
何故に自分がこんな目になっているのだろうか。
病室で色々なことを考えた。自分自身と向き合い、今と未来を考えていた。

自分の人生の終わりを意識した時、突然に涙が出てきて止まらなくなってしまった。

誤解の無いように伝えるとすれば、
あの時にあの病院で人生が終わってしまうはずだったわたしが、
運よく生かしてもらっているという感覚が、今も常にある。

病室で、止まらない涙。
お見舞いに来てくれた母が病室の窓を開けた。

初夏の強くしっかりとした日差しを受けて、鮮やかで綺麗な緑の木々があった。

柔らかな心地よい風に乗って小鳥達が鳴きながら木々にやってくる。

新緑の匂い。
柔らかで優しい匂い。
外に出てもっと匂いを感じたい。

運ばれてくる料理にも、味を感じることができて、また涙が溢れてきた。

入院してから少しずつノートをつけていた。
自分が無事に退院をすることができれば、やりたいことを記録するノート。

入院直後は、全く書くことができなかった
何の感情も感覚もない
そして今でも記憶がほとんど無い。

病室から見える風景。
様々な情報が脳に入ってきて正常に働く感覚。
正常に働く感覚への感謝。
自分の体が正常に機能してくれていることへの感謝。

感謝が溢れてきて止まらなかった。
ノートには、もっと人生を楽しんでみたかったとして沢山のことを書いた。

もっと色々なところに出かけてみたかった。
もっと色々なものを食べたかった。
もっと色々な人と話をしてみたかった。
もっと色々な音を聴きたかった。
もっと色々なものに触れてみたかった。
もっと人に貢献するようなことがしたかった。

わたしは、わたしの人生は、こんなにもやりたいことがあって、そして、だけど。

沢山の溢れる想いを書き出したノート。
退院も決まらずに病室にいるわたし。
溢れる想いと溢れる涙。

何回目かの検診で、先生が突然にノートを見せてくださいと言った。
わたしが、退院できたらやりたかったこと。
静かに優しく言った。

「石澤さんは、退院できます。良かったですね。これからは、このノートに書いてある1つ1つを楽しんでくださいね。」
この時の想いは生涯忘れる事は無いだろう。

無事に退院となり、働く全ての人にお礼を伝えて外に出た。

日差しは更に強くなり、汗ばむ陽気だ。
服が肌に張りつく感覚。
風が強く吹き、巻き上がった砂塵の味。

なつかしい、ずっとずっと昔の友人と久しぶりに会う感覚。

体が健康になると、健康な感覚を持つ体にも感謝ができる。
感謝ができるこころにも、ありがとうと呟いた。

目に映る風景や感覚、全てのことに感謝できるようになった時にわたしの人生は、より豊かなものになった。

世の中が色々と大変な状況で、こころにも体にもストレスを感じている人も多いと思う。

まずは、自分自身のこころと体を大切に労って欲しいなと思う。ゆっくりと、こころと体を休めて感謝をしていく。

そして、こころと体が元気になるような楽しいことを焦らずに行っていく。

こころと体にいつも感謝を。ありがとうを。

サポートめちゃくちゃ嬉しいのですが【面白い】と思っていただいた場合は『フォロワーになる』『SNSなどで紹介する』『ハートマークを押す(note会員じゃなくてもOK)』が励みになります!読んでいただきありがとうございます!