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文章を書くことは、意思をこの世に遺すこと

僕が死んだ時、世の中に何か残せるものはあるだろうか。

少し前の僕は、この疑問に答えることができなかった。
精々大学時代に作ったドラマ作品ぐらいだけど、今観返すとあんなもん恥ずかしくて後世に残したくない。

会社でも形に残るものをいくつか残しているけど、陰鬱な気分になるからあまり見返したくはない。

でも、今ならこのnoteがある。
とりあえず、読み返しても今のところはそんなに恥ずかしくない。書いてから無性に恥ずかしくなって消した記事もないし。
まあ、10年後読んだ時に顔面真っ赤になる可能性は否めないけど。

僕が死んでも、noteがサービスを終了しない限り書き綴った文章はこの世に残り続ける。なんというありがたい話だろうか。

考えてみれば、自分の考え方や意思をこの世に残すことができるものって文章だけだ。
だから遺書ってやつはなくならないんだと思う。

写真は姿形を記録してくれるけど、その人の内面まで遺すことはできない。
極端な話、僕が死ぬほどスケベなことを考えて写真に写っていたとしてもそうそう誰も気付かないと思う。

文章を書くことは、この世に意思を残すこと。
そう考えると、毎日更新を頑張る意欲も湧いてくる。

願わくばこの記事を読んでくれている人の頭の中に「ああ、oilっていう深いのか浅いのかよくわからない文章を書くやつがいたなぁ」ぐらいの記憶が残り続ければいいんだけど、多分それはなかなか難しい。
自分の次の目標かな、と思う。

まずは自分の足元を見て、考えたことや思ったことを書き記していくことを続けていきたい。

これが、いつか自分の足跡になると信じて。


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