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変わらなくてよかった、変われてよかった

先日、母と久々に会った。

生憎の天気の日だったので、湿気のせいか髪の毛がヴェートーベンのようになっていたが、これも"運命"と受け入れることを決めた中世の音楽家の顔つきをしていた。

今回は外で酒を酌み交わすこととし、小洒落た雰囲気は息苦しいと下町の居酒屋へふらりと入店。突き出しの充実っぷりに興奮ししつつ、排水溝のようにビールを流し込んでいくその姿は相も変わらず。「変わっちまったよな、アイツ…」と死ぬまでに一度は言ってみたいセリフをを全く与えない充実の変わらなさっぷりに、驚きとともに安心が湧き上がってくる不思議な感覚だった。

そんな母の近況はというと、通っている俳句教室の先生(母は「センコー」とよんでいた。グレ始めたようだ。)が自分のことを評価してくれないので仲良くハブられている生徒さんと組んでストライキを目論んでいるのだそう。余裕で還暦を迎えているくせに、こういう風に色々終わっているのも相変わらずだ。
ゴールデンウイークの予定を聞かれたので、好きなアーティストのライブに行くことを伝えたところ異常に食いついてくるが、めんどくさくなって「ギターを弾く人」としか答えなかったら「押尾学!?」とむちゃくちゃに当てずっぽうで来るのも相変わらずだし、たぶん押尾コータローと間違えているのもいつも通り。
違うと返すと「ココリコ!?」と訳の分からない変化球を放ってきたので正直困惑したが、3秒ほどで「それはゴンチチな」と正答できた自分を褒めてあげたい。
正直押尾コータローの伏線がなかったらかなりの難問であったが、親子の宿命か、昔から母の思考回路は手に取るようにわかってしまうのだ。やっぱりこれも変わらない。

私は大金持ちではないけれど、たまには親孝行でもと思い今回の居酒屋はご馳走することにした。「ゴチ!」とでっかい声で言われたことに照れがないと言えば嘘になるが、ご飯を食べさせてもらっていた人にご飯を食べさせられるようになったこと自体は、やっぱり嬉しかった。

変わらないことばかり目に付いたけど、こうやって変わった母との関係に少しばかり胸を張って歩いた帰り道は、なかなか酔いがさめなかった。

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