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耳をすませばとなりのマルチがきこえる

夏はジブリだ。zarinamoジブリ祭。

聞こえる。隣の席から聞こえる。
「今のままの生活でよいの?時間もお金も一気にGETできたら絶対よくない?」という、温度のない声が聞こえる。

喫茶店が好きでよくいく。お洒落なカフェではほぼ見ないが喫茶店ではありふれた光景、それがマルチ勧誘である。聞こえの良い言葉を並べて、あれよあれよという間に契約書にサインをさせる。働き方や生き方にも選択肢が増え、様々なことで多様化が叫ばれる昨今であっても、私はマルチが許されるとはやはり思えない。マルチに巻き込まれて生活が破綻した人間もたくさんいるという。何もわかっていない若者や老人を食い物にし、被害を無尽蔵に広げてしまうのならば、それはやはりしてはならないことで、撲滅されなければならないものなのだと思う。

ただ、マルチ勧誘に励む人々を心の底から憎めない自分がいるのも事実で、それはなぜかと考えたとき、彼らが「曇りなく」「悪気なく」「本気で」話しているからだと理解したときには私の猫のような丸まった背筋が凍った。

彼らはマルチを熱心に他者に勧めている。「この会員になれば、本当にお金が稼げるようになる」とか「この商品は本当に良いものである」とか「このままの生活で本当に良いわけがない」とか、彼らの言葉の端々には、「本気」が必ず見えている。本気で目の前の人間に、幸せを説いているのだ。それが人からどのように思われているのか、どのように見えているのかなどは関係ない。本当に幸せになれる方法を、まっすぐな目で彼らは説いている。だから悪気がない。話に乗ってこない相手に対して芽生える思いは「くそ、なかなか騙されないな」ではない。「どうしてこの素晴らしさが理解できないの?」である。そこに黒い思惑はないのだが、逆にそれが一層の悪を生む思考でもある。

彼らが特によく使うセリフは「ワクワク」だと思う。具体的にお金をいくら稼げるとか、生活がどれだけ変わるとか、そんな甘いことを話した直後に「ワクワクするでしょ?」がくっついてくるのだ。この「ワクワク」も人間の感情に直結した部分であるから、本当に彼らはワクワクしているのである。本当の本当に、楽しんでいる。これが厄介。無垢にはいかなる理屈も通用しない。魔人ブウにおいて「善」より「悪」より「純粋」が厄介だったのと同じ。戦闘狂。やられてもやられても立ち上がってくる。これすなわち、マルチ。マルチブウ。

そのような人々にはやはり関わらないことが一番であるが、どうしても距離をとることができないこともある。関わりをもってしまったときの対処法は、未だよくわからない。ましてや職場やご近所などの抜け出しにくいコミュニティに出現してしまったのなら、ますます対応が難しいだろう。私は運よく2回ほどしか勧誘されたことはないが。

以前みたマルチは興味深かった。
全員女性で3人が1人(以下さとみさん)に石鹸をおススメしていた。さとみさんはあまり乗り気ではないようでのらりくらりとかわしていたのだが、3人はなかなか引き下がらない。当然彼女らの言葉には「本気」がふくまれていた。攻防のさなか、3人が言った。
「そうださとみさん。ゆきさんも今日誘ったけど来れてないのよ。でも電話したいって言ったから、今電話していい?さとみさんとゆきさんふたり一緒にこの石鹸の良さ教えてあげるから!」
そう言って3人のうち一人がゆきさんにテレビ電話をし始めた。リモートワークなんてもはや当たり前のこの時代、マルチにも導入されていたとは知らなかった。3人はゆきさんとカメラをつなぎ一言二言会話を交わしたのち、なんとその場で石鹸を泡立て始めた。ここは喫茶店である。コメダ珈琲などをイメージしてもらえればよい。喫茶店では石鹸を泡立てても良い、というルールはないように思うが、逆に禁止を明文化しているところも少ないので致したかたないか。私がアイスコーヒーを飲むのも和売れて驚きながらそんなことを考えていると3人が「ほらほら!泡立ちすごいでしょ!」とのたまう。ゆきさんも「すごーい!」と判を押したような相槌ではやしたてる。まるでテレビショッピングだ。私も思わず「でもお高いんでしょ?」と参戦しそうになる。そんな中でもさとみさんは一切空気に流されることなく、最後まで淡々と対応し、購入も契約もせずに帰っていった。

残された3人。愚痴大会でも始まるのかと思い、引き続き耳を傾けていたのだが、開口一番

「いや~!さとみさんめちゃくちゃ良い人!真っ直ぐな意思を感じたわ!素敵!ぜひ一緒に売っていきたいわ~~~~早く一緒にやりたいわ~~~ん」

だった。一切さとみさんのことは否定せず、自分たちの幸せコミュニティの一戦力としてともに戦いたいと言うのだ。まさしく戦闘狂。ナチュラルバーサーカー。自分たちのやっていることが全く悪だとも思うことなく、逃した相手を褒めたたえる始末。ホームランを打たれて拍手したティモンディの高岸さんのようなその純粋なまなざしに、私はぞっとしたのだった。

その後石鹸を洗い流しにいった3人の後ろ姿に見えたオーラは、禍々しくもあり神々しくもあった。自分より強い相手に出会って「オラ、ワクワクすっぞ」と話す孫悟空のようなその姿をみながら、おそらくゆきさんはサクラだったのだろうなと、溶けた氷に薄められたアイスコーヒーをすすりながら考えた私であった。

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