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バックパッカーズ・ゲストハウス㊹「悲しい焼きそばパーティー」

 前回のあらすじ:ゲストハウスに住む家出青年「仰木」から彼の名前が刺繍された体操着を譲り受ける。それは10年以上たった今でも私の手元にある。今度運動する機会があれば久しぶりに着てみようかなと思う。【これまでのお話https://note.com/zariganisyobou/m/mf252844bf4f2


 話は戻るが、高田がカップルの女のゴミの分別が甘いと怒った日、「東京の都知事を目指す人間はさすがにリサイクルに対しての問題意識が高いな」とはならず、みんなの顰蹙を買った。
 私がバイトだったのか、どこかをプラプラしてたのか、とにかく出先から戻ると、何人かの住人とビギンで四階のリビングを片付けていた。高田の私物は隅にゴミを積むようにまとめられ、ゲストハウスのものであるデスクや椅子は高田が作業をする場所を無くす目的で撤去されていた。

 片付けはあらかた終わっていて、キッチンでは仰木が焼きそばを作っていた。
「ちょうど良いところに帰ってきた。これからみんなで食べるので、太郎さんもどうですか」とビギンの奢りで焼きそばと、ビールを振る舞われた。
 高田が選挙事務所代わりに使えなくすることを目的に行われた模様替えのせいで、いくつかあった椅子が全てなくなっていて、みんな床に座った。ヨシノブは調子に乗って高田のプリンターにわざと水をこぼした。

 当の高田は丼物屋にバイトに行っていて不在だった。例の入居とともに起こした、ドミトリーではなくワンフロア丸々借りる権利があると主張する問題に始まり、高田は今までいくつも住人やビギンとの間に衝突を起こしていた。
 私には彼の被害妄想なのか、実際に嫌がらせをされていたのか分からないが、「自炊するために炊飯器を持ち込み米を炊いたら、中に洗剤を入れられた」「マウスのケーブルが誰かに切られた、選挙妨害だ」などと主張して、何度も警察を読んだことがあった。

 彼は確かに団体で暮らすには向いてない攻撃性があった。ただ、私は自分自身が彼からなにかで迷惑を掛けられたことはないので、趣味の社交ダンスについて語るときや、「電車賃を節約するために自転車でどこそこまで行った」なんていう世間話を私にしたときのことを思うと、――やべぇやつというのは大体そうだが――無邪気な感じがして、何となく憎めなかった。

 中谷と私がリビングに居たときに、高田が私達に、
「君たちは年収いくら欲しい」という質問をしてきたことがあった。
 私は、「三億」と答え、中谷は、「三〇〇万」と言った。高田が言うには、明確な金額を出す時点で私達は二人とも健全なのだそうだ。

「あればあるだけ良い。いくらでも欲しい」というようなことを答える人間はどうのこうのというようなことを中谷は話した。細かい内容は覚えていないが、私も中谷も、その後の人生で、欲しいと言った年収を稼いだ年はまだ無いし、当時の高田は出馬の委託金を用意できる目処が無かった。

 彼がなか卯でバイトしている間に、選挙事務所が撤去されていく光景は、狂人の夢が破壊されているようで一抹の切なさを感じた。それでも焼きそばは旨かった。

 適当なタイミングで焼きそばパーティーが解散になると、私は少し近所をプラプラした。秋葉原に住んでいたときは、とにかく意味もなくほっつき歩いた。
 万世橋から神田川をよく眺めていた。その姿を、ゲストハウスの住人に見られて、
「太郎さんがまた黄昏れてた」なんて言われることがあった。私は、
「旅人は黄昏れるもんだと思って」と良く分からない言い訳をした。

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