『臆せず挑戦できる人』の理由
今日もよろしくお願いします。
前回の記事に関連する内容になるかなと思います。
自分は、以前は本当に憶病で(今もですが)
大きいことに限らず、小さな挑戦でも尻込みしてしまうぐらい、本当に「挑戦すること」が苦手でした。
ですが、今となっては、自分のやっていることのある種イタさを認めつつ、このnoteなんかもそうですが、挑戦しやすいマインドになりました。
自分がそうなれた変化の経験を踏まえ、「挑戦できる人」、「行動力がある人」は、いったい何が違うのか、考えてみたいと思います。
~「自己肯定感」が高い~
自分の今の仮設として、こういったことを思っています。
では、「自己肯定感」が高いと、なぜ行動力が上がるのか。
それは、行動したことに対して、失敗を起こしてしまったときの反応に現れると思います。
ここでは、「自己肯定感」が高い状態を、「自分はこの世に存在するだけの価値がある」という感覚が強い状態と定義します。
付け加えて、それが、存在そのものを肯定するものであり。
「何かを成したから」、「何かができるから」自分の存在を肯定できるといったように、行動ベースのものではないと定義します。
そういった状態の人。「自己肯定感」が高い人は、例え大きな失敗をしてしまったとしても、自分の存在を否定することはありません。
なので、たとえ挑戦し大きな失敗をしてしまったとしても、その時は落ち込むでしょうが、すぐに切り替え、次の行動に向かうことができます。
それは、「自分はそのままで十分に、生きるに値する」という感覚が、大きな失敗をしてしまっても、決して揺らぐことがないからなのです。
一方、「自己肯定感」が低い状態のときに、大きな失敗を引き起こしてしまうと、反応が異なります。
「自己肯定感」が低い時は、自分がまさにそうでしたが、
「自己肯定感」と、「行動の結果」が完全にリンクしていたんです。
それは、「何かを成しているから」、「何かができるから」、自分はこの世に存在する価値があるという世界観で生きている状態。
すなわち、「自己肯定感」を保つのに、外部のもの、行動に依存している状態。
なので、そんな状態で、大きな失敗しようものなら、「自己否定」スパイラルまっしぐら。
「行動の結果」と、「自分自身の存在意義」がくっついてしまっているので、それはもうフットワークが重くなるしかない。
挑戦には失敗はつきもの。ゼロなんてありえません。どんなに注意していても。
「自己否定」が強い人は、失敗しようものなら、自分が世界から拒絶されたかのように感じてしまうので、挑戦ができないマインドになってしまうのです。
簡単にまとめたつもりが、難しい表現になってしまったかもしれません。
自分なりに、「自己肯定感」が高い・低いで、こんなにも行動マインドが変わり、差がついてしまうのだということを伝えたかったです。
自分自身本当にここには苦労しました。
「高い」人は正直、「低い」人の気持ちが分からなく、「なんで挑戦しないの」って思ってます。
逆に「低い」ひとは、「高い」人のことを、「なんであんなに身軽なんだ、こっちはこんなに1歩が重いのに」って思ってます。
何か心に残る文章になったなら幸いです。
長文お読みいただきありがとうございました。
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