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イスラエル出国は一筋縄じゃいかないよ!-まさかのスパイ容疑!?(下)

↑続き

イスラエル観光を終えて、出国はテルアビブのベン・グリオン国際空港からだった。

さすがに帰りもあの不快適長距離オンボロバスに乗りたくなかったので、イスラエル滞在中、飛行機の予約を入れていた。

この選択が大間違いだった。陸路で国境を越え出国するのと、テルアビブの国境空港から出国するのでは、当時は検閲の厳しさが全く違ったのだが、そのことを私は甘くみていた。


ベン・グリオン空港に到着し、搭乗手続きはあっさり終わった。ところが出国審査に進むと、ギョギョッ。

長い。列が異常に長い。

その理由はすぐに分かったのだが、見ているとひとりひとりにかける時間を取りすぎている。

イスラエル滞在中、どこに行って何をして誰に会って、というのを滞在中の全ての日にちについての行動詳細を全員が言わされている。

少しでも食い違いや矛盾があったら、鋭く徹底的に突いてくる。これじゃあ列がちっとも進まないわけだ。

特にベトナム人のジャーナリスト二人は、厳しく詰問され続け、彼らが持っている書類の類いはすべてイスラエル人役人にコピーをとられていた。

(「私達は正式なジャーナリストビザも持っているし、何も違反しているものはない。なぜこんなにめにあうのだ!」

とブチ切れわめいていたので、ああ彼らはジャーナリストなのか、など知りました)

そして案の定、このベトナム人たちは、どこかに連行された。

「一体いつになったら私の番になるのだろう。カイロ行き便の出発時間に間に合うのだろうか」

とこっちは内心ヒヤヒヤ。こんなに出国手続きに時間を取られる、というのを知っていたなら、搭乗3時間前ではなく、6時間前に来たのに。(普通は3時間前でも早いですよね…)



ようやく私の番がきた。

兵役中の任務であろう、t.a.t.uのショートの黒髪の女の子によく似た小柄キュート子が出国審査係員だった。

イスラエルはロシアからの移民が多いので、見た目もロシア人ぽい白人系も多く、この若い女性も本当にt.a.t.uのショートヘアーの方に激似だった。この時はまだt.a.t.uはデビューしていなかったけれども。

大きな機関銃を提携している可愛い小柄兵役子は案の定、私にも矢継ぎ早に細かい質問をしてきた。

並んでいる最中に、ちゃんと頭の中で整理していたので、問題なくすらすら返事をした。

トータル十日ぐらいしか滞在していないし、観光地にしか訪れてもいないし、アラブ人やユダヤ人の民家訪問なども一切していない。だから何も問題なく、すんなり通してくれると思った。

が、全て答えた後も、小柄兵役子は私にパスポートを返さない。それどころか、全てのページをじっくりと真剣に見ている。

「パスポートに押されているエジプトのビザを見る限り、あなたはもう一年以上もエジプトに住んでいるようだが、エジプト人と結婚しているのか」

いいや、独身だと答えると

「独身でエジプトに住んで何やっているのか」

「アラビア語の勉強だ」

「なぜアラビア語を学ぶのか、その目的は何なのか。どういう魂胆があるのか」

「珍しい言語を学びたかったし、日本ではアラビア語を話せる人間が少ないので、いずれ日本で就職する時に役立つであろう、と思ったからだ」

とまるで、就職活動の面接の場でのような返答をした。

が、小柄兵役子は何か気に入らない、何か腑に落ちないような険しいしかめっつらをしている。

後で思えば、私はすっかりアラビア語訛りの入った、アラブ英語(R発音がキツイ)を話したのもまずかった。そもそも、英語を話しながら「ヤーニ、ヤーニ」言ってしまっている。

ヤーニというのは、「ええと」の意味なのだが、イスラエルの空港で、アラビア語のヤーニを何度口にする日本人..確かに怪しい。

それだけじゃない。アラブ風の濃いメイクだったのも胡散臭かったのだと思う。(どぎついアイライナーやアイシャドウを塗っていた)

服装もシマッタだった。

カイロに戻るので、またカイロ国際空港でタクシーを乗る際に、ぼられないように/痴漢に遭わないように、とバタ臭いエジプト人のような、もっさりとしたダサいぶかぶかロングワンピース姿だった。スカーフも頭に被っていたし。

確かにこりゃー、疑わしいですな…


ちなみにこの時、時代は1996年。その前の年の11月4日にイスラエル首相だった、イツハク・ラビンが暗殺されている。

犯人は同じユダヤ人だったけれども、裏でエジプトが絡んでいるのではないか、と噂されエジプトのニュースでもめちゃめちゃ取り上げられ、大騒ぎになっていた。

だから、「いよいよ第五次中東戦争勃発するんじゃないか!?」という噂も飛び出していた。

(結局、ラビン首相暗殺にエジプトの関与はなかったが、こういう暗殺とかテロが起きれば真っ先に疑われるエジプト…苦笑)

またいわずとしれた1972年の、”日本”赤軍派によるテルアビブ空港(現ベン・グリオン国際空港)乱射事件。

そしてラビン首相暗殺が起きた、その1995年には日本で地下鉄サリン事件が起きている。

オウム真理教による地下鉄サリン事件は、中東で大きく報道された。

宗教とテロがセットだなんて、中東のマスコミが飛びつかないわけがないし、アラブ人/イスラエル人(ユダヤ人)が関心を抱かないわけがない。

よって、この頃はイスラエルでは日本人もちょっと要注意扱いされていた。

小柄兵役子は何も言わず、私のパスポートをどこかに持っていってしまった。多分、偽造の日本国旅券じゃないかどうか、徹底的に調べたのだと思う。

もちろん、すぐに本物というのは判明した。だから、これでパスポートを返され無事に飛行機に乗れるだろう、と思った。

が、そこは再度言うが世界一厳しい異名を持つベン・グリオン国際空港。しつこい。

小柄兵役子は無線で男兵士を呼び、出国審査の役目をその男の同僚にバトンタッチし、自ら私を取調室に連れて行った。私のパスポートもまだ取り上げられたままだ。

「フォローミー」

大きな機関銃を背負った(背の低い方の)t.a.t.u.似小娘に、えらそうにフォローミーと命じられ、ムッとした。

取調室に連れて行かれるんだろうな、というのはすぐにぴーんときたが、怖い気持ちは全然なかった。

むしろ、この後シリアに行き、シリア出国でちょっとひかかった時の方が、よほど恐怖で足がすくんだ。

イスラエルは、法と知性とシステムのある先進国だ。そもそも一切やましいことはないし、何も心配や不安の種は皆無だ。

ただ、カイロ行きの飛行機に間に合わないんじゃないか、ということだけはドキドキだった。


取調室は狭くて床も壁も天井も真っ白だった。

まず小柄兵役子によって身体検査をさせられた。服を脱がされることはなかったが、まさに頭のてっぺんから足の爪先まで徹底的に調べられた。

例えば、口の中(特に歯の銀のつめもの)にも何か隠しているのではないか、履いているブーツの底やかかとの”中”にも何か埋め込まれているんじゃないか、とブーツを壊された。

(その後、スーツケースに入っていた、別の靴に履き替え、小柄兵役子からは壊したブーツ代金(米ドル)を受けとった。)


身体検査が終わると、今度は荷物検査だということで、ここで男性の役人(おそらく小柄兵役子の上司)も入室してきた。青い目の金髪の男性だった。ユダヤ人の風貌は本当に様々だ。

「スーツケースを開けてくれないか」
と金髪氏長官は私に言った。その言い方は丁寧で物腰も柔らかく、人当たりがよいものだった。

.…

嫌だなあ恥ずかしいなあ、としぶしぶスーツケースの四桁暗証番号を回し、パカッと開けた。

スーツケースが開くと、小柄兵役子が中の物を全て机の上に並べていった。

ウィスパーが一個、ウィスパーがまた一個、ウィスパーがまたまた一個、その次もウィスパー、ウィスパー、ウィスパー…


シーンとなった。

小柄兵役子も金髪長官も目をぱちぱち。

「な、なんなんだ、これは!そっちの手荷物も開けろ!」。

仕方ないので、ボストンバッグのジッパーも開けた。その中を覗きこんで、またもや二人は無言になった。ぱっと見えたのがウィスパー、ウィスパー、ウィスパーだったからだ。



「なんでこんなに”ウィスパー”を持っているんだ!!!」。

ウィスパー…
女性は全員ご存知ですが、ウィスパーとはアメリカに本社を持つメーカーの生理用ナプキンだ。

私の荷物の多くはウィスパーだった。

「エジプトにはウィスパーは売っていないからです。ウィスパーはおろか薄型も入手できない。だからイスラエルで買いだめしたんです」。

さすがの私もちょっとしどろもどろ…。


口をパカパカさせた金髪長官は、私のほかの持ち物もいろいろ触った。

「ネスカフェ(インスタントコーヒーの粉)が数袋、アメリカのロック音楽のカセットテープ…

ウ~ン、イスラエルでの君のショッピングは謎だ。まさか、エジプトではウィスパーもネスカフェも(ロックの)音楽テープも売っていないのか?」

私は真面目な顔つきでうん、と頷いた。

「There is nothing in Egypt EXCEPT Pyramids 」。ピラミッド以外何もない、といたって本気できっぱり答えた。

すると金髪長官はププッと吹き出した。

「ピラミッドしかない国!! ワハハ、最高だ!!」。

よほど愉快でたまらないらしく、手を叩いて笑い続けている。

まさかこんなにウケるとは思わず、逆にこっちがポカーンだったが、その後、気を取りなし厳しいチェックが再開された。

化粧品や乳液も全て中身を流され、カメラフィルムも全部勝手に現像され、旅のメモ帳や電話帳は全ページ、コピーをとられた。

もちろんうんざりしたけれども、ただ不躾な言い方や態度は決して取られなかった。


後に日本に帰国してから、

「どうも見た目も怪しいと思われ、取調室に連行されいい気はしなかった」

とこの話をして、一番理解を寄せてくれたのは親戚の伯父さんだった。

伯父さんは関西人で、一代で大きな会社を立ち上げ、海外数ヶ国も支社を持っていた。

見た目は恰幅がよく、いかにもthe 関西の成金社長という派手な格好ばかりしていた。けばけばしいネクタイに真っ赤なシルクのマフラー、大きなサングラス、ゴールドのローレックスの腕時計とか…

この伯父さんは昔、自分の所有する工事に視察に行った時、うっかり機械に手を突っ込み、片方の小指がない。

えらそうに見える風体、生粋の関西弁、けばけばしい身なり、そして小指は失っている…

だから観光や仕事で海外に行き、日本に戻ると必ず成田でも伊丹、名古屋空港でも

「ちょっとこちらへお願いします」と100%必ず取調室に連れて行かれていたそうで、

この伯父さんだけが
「何も具体的な疑惑がないのに、取調室って腹立つよな~」と共感してくれた。笑

(ちなみに伯父さんの会社はバブル崩壊後、あぶくとなって消滅、伯父さん自身もとうに亡くなっています...)


カイロ行きのフライトは、なんと私のために待機させられていた!これに一番びっくりした。1時間以上も離陸を遅らせたんかいな!

機内に入ると、乗客全員に拍手喝采を受けたのにもっと驚いた。だって私が取調室に連行されていたのをなぜか皆さん、ご存知だったのだ。

「よかったよかった、無事に解放されて本当に良かったな!」

といろいろな人種の皆さんに言ってもらった。申し訳ないやら有り難いやら。


と、ここでめでたし、おしまいとなるところだが、番外編が実はあって…


それから数年後-

頼まれた添乗で、日本からエジプトに飛んできたツアーグループを、今度は私がエジプトからイスラエルに引率する、というものだった。(私のパスポートは新しくなっていました)

これが変わったツアーで、今じゃ考えられないが、ゴラン高原(言わずと知られた紛争地)に訪れるというありえないコースも含まれていた。

イラクだがイランの軍事施設を訪れるというツアーも企画していた、某日本旅行会社のツアーだった。

イスラエル出国が、あのベン・グリオン国際空港だったので、私はお客の皆さんに、自分があの空港で取調室に連れて行かれた話をし、いかに厳格なすごい空港なのか、事前にとくとくと説いていた。

「出国審査では、ツアーとはいえどもひとりひとりにイスラエル滞在中、どこに行ったのか細かく聞かれます。

でもいいですね、絶対絶対、ゴラン高原にも行った、とは言っちゃだめですよ。絶対黙っていてくださいね」

英語が不得意のお客さんのためにも、出国審査でコミュニケーションがうまくいかない時のために、ゴラン高原観光を明記していない、英語の旅程表も全員分用意し、事前に配っておいた。

お客さんは軍事マニア(オタク)、落合信彦ファン(モサドに詳しい)、大学の先生(協調性ゼロ)など一風変わった方ばかりだったが、

だからこそ皆さん中東事情をよくご存知だったので、説明しなくてもなぜゴラン高原観光を隠さなければいけないのか、よく理解してくれた。

よって、皆さん全員、ゴラン高原のことを黙ってくれて、英語のやり取りに詰まったら、あの英語旅程表を見せ、次々に問題なく出国審査を通過できた。

ところが、ひとり"やらかし"てくれた...

裕福そうなご年配夫婦だったが、ご主人が国際情勢に詳しい方だったものの、奥さんの方は全くそうではなく、天然で呑気で無知で無邪気なケラケラした女性だった。

この奥さんが"やって"くれて、出国審査で(珍しく)フレンドリーなユダヤ人兵役君が

「コンニチハ」と奥さんに日本語でニコッとした。

すると何を思ったのか、この奥さんは

「アンニョンハシムニカ」と答えたのだ!


あとで聞くと「冗談つもりだった」と。

めまいを覚えたっていうものじゃない。韓国のパスポートを持っているなら、アンニョンハシムニカはオッケー。当たり前だから。

でもなぜ、日本のパスポートを提示しながら、しかも出国審査で、しかもしかも世界一厳しいこの空港で、

なぜなぜなぜ、あなたはこの場所でこのタイミングで、ニコニコと
「アンニョンハシムニカ」って言ったのだ!

言うまでもなく、奥さんとそのご主人、そして添乗員の私はあの思いでの取調室に連れて行かれた...まさかの二回目…人生で二回も同じ空港で取り調べをされるって…!

取調室で、奥さん(多分、当時60歳ぐらい)はずっと震えてシクシク泣くし、ご主人が役人たちの前で妻を怒鳴って叱り、

そしてこのご主人は英語も堪能な紳士で(何者だったのだろう)、結局添乗員の私というより、有能なご主人の謝罪と説明によって、比較的簡単に釈放された。


でも、すっかりベン・グリオン国際空港アレルギーになった私は、その次にイスラエルに来た時は、陸路経由で出イスラエルをした。噂どおり、陸続きの出国は(あの空港の出国審査比べれば)ずっと簡単だった。

ところで最近(2021年11月)に、オミクロン株のウィルスの件で、イスラエルのベン・グリオン空港が、真っ先に空港閉鎖をした。さすがだな、やっぱりだなとつくづく感心した。

そもそも、あの徹底した出国審査の時の膨大な質疑のやり取りや、あの狭い密閉取調室など、このコロナ下では大問題だろう。

でも、コロナが収束してベン・グリオン空港も正常に戻って、多くの利用者をぜひ再び震え上がらせてください。(苦笑)


*通常は日本人はここまで出国審査で”やられ”ないので、安心してください。ただしイスラエル滞在中にどこに泊まり誰に会い何をしたか、という細かい質問は必ずされます。

また、イスラエル/エジプト国境事情はよく変わる上(実際、私がエジプトに住んでいた時も、イスラエルに隣接したエジプトのタバの出入国コントロールは閉鎖されることもあった)、

イスラエル/アラブ諸国出入国制限有無なども今では変わっていると思う。なので諸々あしからず!

Mazal tov!! (= Good luck)


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↑右の絵葉書: ユダヤ教のメノラーをIsraelのIに見立て、ユダヤ人は鼻に特長が出ることが多いので、鼻を強調しているのが上手い!

旅行中、親しくなった在エルサレムの人々と文通しましたが、みんな住所が私書箱でした。郵便物テロで狙われないよう、手紙も小包も自宅配達ではなく、郵便局に取りに行くのが普通だ、と言っていました。

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↑ヨーロッパではありません、テルアビブの住宅街。

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