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顧客はアラブの大富豪たち! ギャラは五千万円!?- エジプトのベリーダンサー!

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アラブ版『マイフェアレディ』を憶えている人はいるだろうか。

確か70年代か80年代の、クウェート製作のミュージカル?だった記憶がある。

オリジナル映画では、ヒロインのイライザをか細いオードリー・ヘプバーンが演じた。

イライザは美しい英語や上流社会のマナーを学び、素敵な淑女になって自分の恩師と結ばれるという内容だった。

がこのアラブ版では、ヒロインはまず太い。マイフェアレディではなく、『マイ FAT レディ』のタイトルの方が相応しいくらいだった。

そして上流マナーではなく、ベリーダンスを教わる。

その後、売れっ子ベリーダンサーに成り上がり、成功に導いてくれた男を捨てる、という内容だった。

さすがアラブ女だわ、と感心したがその直後、この新聞記事を読み、

「一流ベリーダンサーがこんなに稼げるなら、そりゃあ男はいらないよね!」と思った 笑!!


そう、ある日、アルハラム新聞(=ピラミッド新聞)英語版に、こんな記事が載った。

『エジプト三大収入源は観光、スエズ運河そして、出稼ぎ者の送金によるものだと言われている。

しかし実はベリーダンサーがもたらす収入源も莫大なのだ。

なぜなら一握りだが、超トップレベルのベリーダンサーは一本(約40分)踊り、3000~5000万円稼ぐからだ』。

記事によると、顧客は湾岸人(ガルフ)。

プライベートジェットをカイロまで迎えにやり、自国のホームパーティーやイベントで、ベリーダンサーに踊りを踊らせる。

そのショー一本(約40分)に対し、数千万円をくだらないという。

恐ろらくだけども、ギャラ自体は数百万円だが、おひねりが桁違いなのだろう。だからワンステージの踊りで数千万円という稼ぎになるのだと思った。


なかでも、90年代になっても最も稼いでいたベリーダンサーのひとりは、エジプト人のフィーフィー・アブドゥーだった。

すでに結構お年を召しておられ、60代にはなっていたはずだが、まだ現役で踊っておられ、一番の人気を誇っていた。

確かにど素人の私から見ても、彼女の細かく刻むようなお腹の振り方や腰の揺らし方などの技術が圧倒的に素晴らしく、何よりオーラが別格だった。

女好きの湾岸人男たちも、フィーフィー・アブドゥーには一目置き、心の底から尊敬の念をおいているようだった。

フィーフィーはベリーダンスの女王として、成すことも立派だった。例えばラマダーンには、貧しい人々に無料のごはんを提供した。

ラマダーン中には日が暮れると、街中の方々でテーブルが並びホームレスの皆さんがそこに座りお肉料理をもてなされていたが、それらの多くがフィーフィーによるご馳走(無料提供)だった。


ところで、湾岸人(ガルフ)というのは石油で潤った、アラビア半島のお金持ちの国々の人々を指す。

私の見たサウジアラビア特集番組によると、そこの国では警察のパトカーがランボルギーニで、

ゴールドの塊が出てくるATMマシーンがあり、純金の外装車もいっぱい走っているという。

余談だが、以前私がサウジアラビア人を日本案内した時、彼らは宮型霊柩車に興味を持ち、欲しいと騒いだ。


彼らは派手で豪華絢爛なものなら、何でも好きなのだと思う。

当時聞いた話だが、東芝が普通の扇風機をアラブで売り出したがイマイチだった。

そこで扇風機にひらひらゴテゴテの装飾を付けたら一気に売れたという。(本当の話だったかどうか知らないけど、いかにもありそうだ!)

だからペットも普通の犬猫じゃなく、目立つライオンや鷹が人気なんじゃないかな。


湾岸人は毎年夏になると『避暑』でカイロにやってきていた。

もちろん、エジプトの首都カイロも暑い。真夏に街を出歩くと、バッグの中の口紅は溶けるし、ヒールの踵も熱で溶けるちゃうほどだ!

湿気はほぼゼロだけど、美しい緑もほとんどない。どこもかしこも埃が舞っている。なので視覚的にも暑苦しく、決して夏が過ごしやすい街ではない。

でも『比較』の問題なのだ。

50度になる国々の湾岸人にとって、40度そこらの気温のカイロは涼しいのだ。

またカイロは物価安く、同じアラビア語で同じイスラム教のアラブの国なので生活しやすい。

そして湾岸諸国ほど戒律が厳しくない上、そちらにはないカジノ、バー、ベリーダンスを愉しめるショーステージなどが、カイロでは満喫できる。

よって湾岸人は夏になると、サマーバケーションで『避暑地カイロ』に飛んで来るのだった。

(※ドバイは除く。ドバイにはベリーダンサーがいます)


湾岸人が一斉にやって来る - 

そのため毎夏になると、カイロ国際空港の到着ターミナルの光景ががらりと変わった。

通常は、まあ見た目も普通のエジプト人や、リュックサックを背負ったTシャツとジーンズ姿の外国人観光客ばかりだ。

ところが夏に入ると、到着ターミナルが一気にエキゾチックなオリエンタルムードになった! 湾岸人ファミリーが続々と到着するからだ!!

赤白チェック柄のターバンを頭に巻き、ぱりっとした白い民族衣装姿(絶対汚れもシワもない!)のお父さんがまず、空港の到着ゲートから姿を見せる。

次に同じ格好をした、ターバン&白衣装の成人息子たちがぞろぞろ出て来る。そして真っ黒いアバヤ姿の妻『たち』。

その後、フィリピン人のベビーシッターさんたちと一緒の幼い子供たちが到着ゲートから登場。子供はまずみんなぽっちゃり。ほぼみんな肥満体型だ。最後尾にはそのほかの使用人たち。

湾岸人一家の荷物の量も半端じゃなく、段ボールやスーツケースを何十も(使用人たちが)持っていた。飛行機の手荷物持ち込み重量オーバー料金、一体いくらかかっていたのやら...

でもそういえば、車の駐車場が装備された巨大プライベートジェットでカイロまで飛んできたサウジアラビア人一家もいたなあ。

ちなみに見ていると、湾岸人の母親たちは、自分の子供が転ぼうが泣きわめこうが、無反応だった。

子供にぱっと駆け寄るのも、子供をあやすのも、子供に何か教えるのもそして可愛がるのも全て、ベテランのフィリピン人ベビーシッターさんがやっていた。


彼らの宿泊先は大まかに、五つ星ホテル(もちろんスィートルーム)か高級アパートをひと夏中借りるかだった。

金銭感覚が桁違いの湾岸人たちが家を借りる - 

エジプト人大家たちは大喜びして、夏になるやいなや、えげつないほど家賃値上げを一気に吊り上げていた!!

これは一般の外国人には恐怖のほかなにものでもない。だから特に(ヨーロッパ人や日本人含む)普通の外国人留学生は、

「引っ越ししたい!でも湾岸人シーズン前に急がないとね!家賃が爆値上がりしちゃうもの!」。


湾岸人の中には夏の間だけ、エジプト人の女性を娶る男もいた。短期限定婚だ。

どういうことかというと、エジプトには法律婚と契約婚、と二種類の結婚が存在する。婚姻届からしてもう全然別物だ。

法律婚の方の婚姻届は役所の印紙もベタベタ貼られ、何やらいっぱいサインや文字が書かれている。しかし契約婚の方は、婚姻届の紙がぺっらぺら。弁護士のサインだけが入っていた気がする。

婚姻届を見て分かるとおり、契約婚の方は簡単に結婚できて、そして簡単に(男から一方的に)離婚できる。

でも契約を結んでいる限り夫婦としてみなされるので、一緒に暮らすことができる。

息子が産まれたら、父親の苗字を名乗らせることもできる。だが契約婚妻は法律婚妻に比べ、全てにおいて得られる権利が全く少ない。

契約婚をする湾岸人男性は、ブローカー通し若くて可愛いエジプト人の娘を自分の借りたアパートに住まわせる。名目上は契約婚をした妻だ。

が、夏が終わり国に帰る時にその娘とは離縁し、アパートからも追い出す。90年代にはよくあったことで、いわば同棲/売春免罪符に近いものでもあったんじゃないだろうか。


エジプトで避暑を過ごす湾岸人たちの起床は日没後だった。

もともとそういう生活スタイルなのだろう。さらに暑い国に住んでいるのだから。日が暮れると彼らはベッドから起き上がる。

そしてホテル滞在の場合、ぞろぞろとホテルロビーにおりてくる。彼らが通る廊下もエレベーターもむせるほどの香水の匂いで充満する。

あるとき、ホテルのエレベーターの中で、見知らぬ湾岸人男性と私は一緒になった。

その湾岸人男性が自分の体をくんくん嗅ぎだし、匂いが足りていないと思ったのだろう。ポケットに忍ばせていたフェラガモの香水を取りだし、自分にシュッシュ降りかけだした。

おいおい、エレベーターの中で勘弁してくれ、と思ったが香水を何回体にふりかけるのかな、とそばでカウントしてみた。

なんと!

18回! 18回もシュッシュ香水を全身にぶっかけていた! そりゃあ香水の匂いが方々に充満するわけだ!


また、欧米系五つ星ホテルのカジノは湾岸人だらけだった。

大勢の赤いターバンと白色民族衣装姿の湾岸人たちが、虚ろな表情で黙々と、明け方までカードやルーレットに興じているものだった。

見ていると、賭け方が豪快そのものだった。大損しても全く焦ったり悔しがらないところが凄かった。

彼らにとって一万ドルは1ドルのような感覚だったにちがいない。一体一晩でいくら使っていたやらだ。(ちなみにエジプト人はカジノに入れない。賭け金は米ドルのみだった。)


カイロアメリカン大学に通う湾岸諸国出身の、スーパーお坊ちゃまお嬢様の生活レベルも半端じゃなかった。

どうでもいいことを覚えているものだが 笑、私が本革のパンツをクリーニングに出したかった時-。

カイロではレザー製衣服を取り扱えるクリーニング店がなかった。ナイルヒルトンホテルに入っていたクリーニング店でも不可能、と断られた。

それをサウジアラビア出身の女の子に話すと

「あら、クリーニングはパリまで持って行くものよ」。

パンツ一枚をクリーニングに出すために、そうかあ、パリまで飛ぶものなんだ...ぶっ飛んでいるなと思った!!


裕福の意味で恵まれている湾岸人だが、お金持ち過ぎて逆に夢も希望もなく自殺したサウジアラビア人の青年がいたり(ニュースに出ていた)、

もともとすでにお金持ち過ぎる身分なので、いい大学を出ていい仕事に就いて高収入を得たいとかがないため、

学歴なんか別にいらないと大学に行きたがらない若者が増えて問題になっているとか(これもニュースになっていた)

もう意味不明のお金持ちだらけ!! むろん、そんな湾岸人たちを一般のエジプト人たちが嫌っていたのは、言うまでもない。

嫉妬も大きかったと思う。同じイスラム教のアラブなのに、石油採出有無で、こんなに天と地ほど経済格差が生まれたのだから。


とにかく桁外れスケールの湾岸人をみていると、ベリーダンサーに数千万円のギャラ(チップ含)もドカンと払うのはうん、さもありなんだ!!


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ベリー(bellyお腹)ダンスは、エジプト人なら誰もが踊れた。男も女も踊れた。幼い子供たちももちろん踊れる。

赤ん坊の時から見馴れているのと、やっぱりベリーダンスのDNAが流れているからなんだろう。

ただ、やはり腰や胸(正確には上半身の両肩)をゆさゆさ揺らすので、セクシーだ。なので普通の(かたぎの)女性は家族や同性の前でしか踊ってはならない。


実際、カイロのクラブ(ディスコ)に行くと、ウケることに!エジプト人の男ばかりだった!

で、男たちみんな、ベリーダンスを踊っている!! 男のみがぎゅうぎゅう詰めのフロアで一斉にベリーダンス!!

洋楽がかかっている最中は、カウンターで気取って大人しくアルコールを飲んでいても、

怪しいミステリアスな音階がメインの、アラブ音楽に切り替わると、

こぞってフロアに飛び出し、くねくね踊り始めるのだ!ベリーダンスの血が疼くのだろう!笑


しかし男でも子供でもベリーダンスを踊ってはいけない時期があった。ラマダーン(断食祭)だ。ラマダーン中は一切禁止だった。日没後でも踊ってはいけない。

なのでラマダーン中は、ベリーダンサーたちは湾岸からも仕事の声がかからなかった(はず)。彼女たちの安息の時期でもあったことだろう。

ラマダーン中は、ナイルクルーズ船でもベリーダンスショーは法律で禁止になっていた。

そういえば、ナイルクルーズ船は一体何隻あっただろうか。

船によっては専属のベリーダンサーを抱えていたが、そのうちの一人から実情を聞いてびっくりした。

ナイルクルーズ船専属ベリーダンサーの多くは貧しい村で生まれ、事実上、どこかの観光クルーズ船に『買われ』船長と結婚する。

観光シーズン(冬)毎日船で躍らされ、シーズンオフ(夏)になると離縁されて捨てられる、という。気の毒過ぎる..


しかしベリーダンサーの世界そのものは平等といおうか、民族や年齢の壁はないように思えた。

美貌、踊りのテクニック、そしてスター性があればエジプト人でも外国人のダンサーでもいっぱい声がかかり、人気者になっていた。

「伝統舞踏の世界に外人を入れるなんて」という野暮をほざくエジプト人(アラブ人)は皆無だったなあ。

だから日本人のベリーダンサーの女性もおられた。カスミさん、と仰ったかな。純粋に踊りも見事だったので、カイロのディナークルーズ船などでご活躍されていた。

ただ、失礼ながらトップランクのダンサーではなかった。私の読みでは、胸とお尻がまず問題だったのだと思う。胸、お尻周りの肉付きのボリュームがイマイチ迫力に欠けていたのだ。大和民族の女性だもんなあ、仕方ないよなぁ..

ただ、カスミさん(もしお名前がちがっていたらゴメンナサイ)は、いかなるときも真面目で熱心でおられたので、誰からも信頼を置かれていた。

というのも、エジプト人やヨーロッパ人のベリーダンサーだと、日本人観光客しかいないステージでは踊りに手を抜いた。

どうせ日本人観光客たちにはベリーダンスの技術が分からない、しかもチップも払わない。だから適当に踊っちゃえ!、と。

でも、アラブ人で満席のときはそりゃあもう、どのベリーダンサーもとっておきの技を披露し、真剣に全力投球して汗だらだらで情熱的に踊りまくっていた。

また、日本人観光客の場合は「爺」たちが問題だった。ごく一部だったけれども、ベリーダンスショーをストリップショーと勘違いする日本人爺たちがいたのだ!

日本人爺に突然胸やお尻をわし掴みにされ、激怒したベリーダンサーがショーの真っ最中に退散する、という場面が何度もあった。

なので私は観光案内のバイトをしていた時、ショーが始まる前に

「いいですね、皆さん。くれぐれもベリーダンサーを触らないでくださいね。」

と何度も念を入れるようにしていた!「もし触ったら警察に逮捕されますからね!エジプトのムショはテロリストだらけですからね!恐ろしいですよ!」

とここまで脅すようにしたら、アルハムドゥリッラー!!(おかげさまで!)、誰も触らなくなりました!! (※若い日本人男性は誰も触ろうとしていませんでした、スケベは爺ばかりでした 苦笑)


ベリーダンスの世界もむろん、厳しいと思う。それこそ野望を抱えた女たちが世界中から集まるのだから、裏ではいろいろあると思う!

だけど、その中を勝ち抜いて頂点に立てば、冒頭の新聞記事の紹介のように、一回のステージで数千万円稼げる話も出てくるのだ!

ああ、私もせっかくベリーダンスの本場カイロに住んだのに、しかもベリーダンス教室まで通ったのに! (先生はスペイン人女性でした) だけど...

美貌と脂肪と才能とスター性と音感がまるでない自分が恨めしい...(追記: その後脂肪だけはツイタカモ!)

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(白黒写真↑:フィーフィー・アブドゥー)

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