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20060503 日本最初の歩道橋(3)

 日本で最初にできたと言われている歩道橋$${^{*1}}$$を見に行った。巷間では、最初の歩道橋は大阪駅前の歩道橋と言われているが、愛知県清洲市$${^{*2}}$$にある歩道橋が先にできたととも言われている。既に壊されたかもしれないと思っていたが、webで調べたらまだあることが判った。こちらの方を見に行った。

 道路を使う者の中で最も立場が弱いのは歩行者である。本来、この弱者が優先して道路を使えるはずである。そうでないと社会正義に反する。高度な人間社会とは言えない。それにもかかわらずその弱者にわざわざ階段を使わせて、自動車を優先させて通行させる。これが歩道橋である。「橋」と言うぐらいだから、自動車の流れを川の流れに見立てているのだろうか。河川は自然だからどうしようもないが、自動車は例外なく人間が操縦している。にも関わらずその流れは止められないかの如く橋を架ける。考えてみるとこういう発想は異常である。更には普段車椅子をなどを使用していて階段の利用がままならぬ人を完全に遮断している。

 自動車に轢かれて命を落としたら、歩行者優先も何もない。だから道路に橋を造って学童を守るのだ、と言うかも知れない。道路を使って通学している以上、危険なのは交差点だけではない。他の場所よりも危険の度合いは高いが、歩行者の相手は人間が運転する自動車なのである。法規制を厳しくするなど対処する方法はいくらでもあるはずだ。

 歩道橋は「自動車最優先」という歪んだ考え方が生み出した産物である。そんな不名誉なものの一番最初が愛知県にある。愛知県は自動車産業が発達している$${^{*3}}$$。人よりも産業が優先、という考え方の象徴とも言える。

 負の象徴として保存されるべきと思うのだが、一般には歩道橋がそう言った感覚で捉えられていないこと、また日本で最初もしかしたら世界で一番最初の歩道橋というのは史跡として取るに足らないことなので、そういった話は今もこれから先も出てこないだろう。ということでいつ何時取り壊されるか判らないので、見に行ったのである。

 これ$${^{*4}}$$がその歩道橋である。1959年6月27日に造られた$${^{*5}}$$といわれている。47年前だ。コンクリートが剥がれて鉄筋が見えているところ$${^{*6}}$$や砂利が浮き出ているところ$${^{*7}}$$を見ると歴史を感じることができる。これは戦争遺跡$${^{*8}}$$にも通ずる。

 銘板$${^{*9}}$$があった。ところが何が書いてあるのかさっぱり判らない。画像処理をしても字が浮き出てこない。これがはっきりすれば建造年月日も確定するだろう。この銘板は橋桁の端の方$${^{*10}}$$にあった。銘板を近くで写そうと思い橋の上で手すりの隙間から手を伸ばして、当てずっぽうに何回もシャッターを切ったが、見当違いな写真$${^{*11}}$$ばかりしか撮れなかった。

*1 20020307 日本最初の歩道橋(2)
*2 清洲市
*3 地域のレポート, DBJ 東海支店 愛知県における自動車産業クラスターの現状と発展可能性
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*5 夏休み自由研究「おたすけ隊」!!
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*8 高射砲隊・笠寺陣地
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