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20090420 百歳まで生きる

 最近、百歳まで生きたいと思う様になった。何歳でも長く生きられれば長い程いいと昔から思っていた。が、人間には限界がある$${^{*1}}$$ので「長く生きられれば、長い程いい」と考えるのは無意味だと今更ながら気付いた。統計学的にヒトの最長寿命は120歳程度$${^{*2}}$$らしいので、ひとまず目標を百歳にしてみた。

 百歳と言うのは非常に切りのいい数字$${^{*3}}$$である。それが人間の限界にほぼ近いと言うのは、偶然なのだろうか。まぁ、偶然だろう。百年と言うと太陽の周りを百回廻ることになる。日本にいれば四季をそれぞれ百回経験する。梅や桜の花を見るのも、暑い暑いと文句を言うのも、紅葉を見るのも、初日の出を見るのもそれぞれ百回である。こう考えると「たった百回」という気もしてくる。鼠の寿命は数年$${^{*4}}$$しかないので、これに比べれば「たった」ではない。

 既に何十回も太陽の周りを回ってしまっているので、これから百回までの残りの回数を全うするにはどうすればよいか。死ぬ原因を極力取り除けば百歳まで生きられるであろう。死因は大きく分けて三つある。事故、病気それに自殺だ。

 事故の内、大地震のように大規模な自然災害など全くの偶発的に起こる事故の場合があるので、それに対する予防は不可能であるが、それ以外は予防可能である。病気に偶発は殆どないだろう。遺伝が由来の病気があるが、既に何十年も生きているのだから遺伝的に発病してそれが主な原因で死に至ることは殆どないに違いない。今後百歳になるまで遺伝がきっかけで何らかの発病があるかも知れないが、それのみで死に至るのではなく、他の要素の方が大きい様な気がする。つまり予防は可能と考える。自殺は私の生き方からしてある条件がないとあり得ないので、これは除外してもよい。ある条件は後で書く。

 まず事故に依る死の予防である。交通事故が最も可能性が高い。これは気を付ければ防げる。どう気を付けるかが問題だが、常に何が起こるかを想定しながら通行するのである。漫然と通行するのは極力避けなければならない。七十歳以上になれば、交通事故に加え、転倒に細心の注意を払う。転倒し骨折して寝たきりになれば他の病気を誘発し死亡する確率が一気に上がる。また他者に相当な負荷を掛かることになる。

 病気に依る死の予防はどうすれば良いか。病気に罹らないためには、日頃から健康的な生活を送れば良い。病気にならないことが健康なのだから「健康的な生活を送れば良い」と言う表現は何も言っていないのと同じだ。病気にならない様にする具体的な行動は何か。歩くことと適切な食事だろう。日頃から歩いていれば転倒の予防にもなる。老化は足腰から進むので、老化を少しでも遅らせて活動範囲の縮小を止める。活動範囲の縮小は精神にも悪影響を及ぼす。ぼけ$${^{*5}}$$を防ぐためにも足腰は重要である。食事では発癌性のある食品はできるだけ食べない。全てを排除することは難しいし、味気ない食生活になってしまうので、神経質にならずにできるだけ食べない様にする。ただ、排除のしすぎも良くない。免疫におけるがんに対する耐性を維持するためにはある程度の誘発物の摂取も必要だろう。規則正しい生活も重要である。過度な精神的緊張は避ける。くよくよしない。他人を許す$${^{*6}}$$。身体的にも精神的にも健康$${^{*7}}$$であることが百歳まで生きる条件である。

 途中で寝たきりになったり、ぼけてしまったらどうするか。これでは生きていても仕方がないので自ら命を絶つしかない。精神がはっきりしていれば、まだ生きる意味はあるかも知れないが、精神が朦朧としていてはどうしようもない。死ぬ他ないが、そうなれば自殺することもできない。自殺ができる内にしておけば良いが、もしかしたら元に戻るかも知れないと言う期待もある。結局、百歳まで生きるのは自分の努力ではどうしようもない部分もあるので、後は天に任せるしかない。

*1 東京都老人総合研究所
*2 寿命と遺伝子
*3 20051201 人の寿命と宇宙
*4 ねずみ
*5 認知症の原因
*6 20020720 恕
*7 World Health Organization - Centre For Health Development

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