20051201 人の寿命と宇宙
サライ$${^{*1}}$$と言う雑誌がある。爺さん向けの雑誌で読者からのお便りを見ると六十代、七十代ばかりが投稿している。写真が綺麗なので気に入った特集が組まれている時は買う。爺さん用のBRUTUS$${^{*2}}$$と言ったところか。
2003年1月23日号に銀座でバー「ギルビーA$${^{*3}}$$」を経営していた有馬秀子$${^{*4}}$$氏の記事が載っていた。当時、氏は百歳になっても現役の店の経営者として活躍$${^{*5}}$$されていた。しかし同年の9月に体調を崩されてそのまま帰らぬ人となった。数日前までバーのママを勤めていたらしい。
記事では、氏は店の後継者のことを一切考えていないと語っていた。生命保険もかけてないということだった。店は自分の人生そのものなので、自分が死んだらそれで終わり$${^{*6}}$$とも語っていた。百歳にもなれば生命保険の掛け金ばかりが嵩むだろうし、残すのに必要な金も葬式代ぐらいだろう。葬式代にしたって現役で店をやっていれば、香典のみで十分賄える。
百歳ともなれば死に対する感覚はどういうものなのだろう。子供の頃、死は恐怖だった。死ぬとどうなるか判らなかったが、死ねば両親、特に母親に会えなくなるということは理解していたのでそれが怖かった。馬齢を重ねる内に死ぬとどうなるかと言うことを理解できるようになってきた。死は子供の頃に思っていたほど恐ろしくはないが、今死ぬと困るとか、勿体ないとか、死ぬ前に痛かったり苦しいのは嫌だなと思う程度である。それが百歳まで生きられるとどう思うようになるのか。「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」という感覚に自然となれるのだろうか。子供の頃は死の恐怖を克服するなどとても考えられないことであったが、現在はそれは殆どない様に思う。まぁ、これは死に直面しないと何とも言えない。同じように百歳ぐらいになると道を知ることができればたとえ今から十分後に死んでも「可なり」と思えるようになるのだろうか。
人間の最長寿命記録は百二十歳ぐらい$${^{*7}}$$だから、有馬氏の様にまともに活動できるのはせいぜい百歳ぐらいまでだろう。「100」という数字は何とも切りがいい。「ゾウの時間・ネズミの時間$${^{*8}}$$」ではないが、何か決められているような感じもする。太陽の周りを百回回ると死が訪れる。人間も宇宙と連動している存在と思うと感慨深い。
*1 サライ ホームページ
*2 BRUTUS ONLINE
*3 Lefty 2003年 冬号 Vol.08 掲載
*4 東京女学館のホームページにようこそ 銀座のバー「ギルビーA」 有馬秀子さま
*5 ***夢ふぉと*** 明治の人 -明治の人の人生 第7回-
*6 ◆ストリートストーリー 銀座コリドー通り (銀座)
*7 泉 重千代
*8 20020728 哺乳類の時間
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