見出し画像

20020720 恕

 日本の経営者は「恕」という言葉が好き$${^{*1}}$$らしい。最近気付いた。

 「怒」ではない。「恕」である。「女のまた」ではなく「女の口」である。「ジョ」とよく読むが、これは慣用的な読み方で本来は「ショ」らしい。「ジョ」と読むのは「如」からの発想だろう。意味は「思いやり、大目に見る、いつくしむ」と言うような意味である。

 中国の古典からだろうか。論語に「恕」という言葉$${^{*2}}$$が出てくる。座右の銘を中国の古典から持ってくると何かしら教養があるように思われるからか。そういえば私自身の座右の銘も論語から$${^{*3}}$$だった。

 「恕限量$${^{*4}}$$」という言葉がある。高圧ガス関連$${^{*5}}$$では、その雰囲気の中で健康な成人が8時間の軽作業をして影響を受けない最大量という意味で使われる。「健康な成人がそのガスの中で軽作業をしても大丈夫」という事を誰がどうやって確かめたのか多少の疑問はあるが、そういうことらしい。

 「恕限」とは「大目に見ることが出来る限界」という意味だろうか。「許容量」とすると全く問題がないという意味に取られてしまうので、「恕」という曖昧な表現を探し出したのかもしれない。

 有毒ガスの雰囲気で作業$${^{*6}}$$をするのは「経営者」ではなく「労働者」である。「恕」の心で労働者に作業指示を出すのだろうか。一体、誰が何に対して「大目に見て」いるのだろう。

*1 恕を得るも仁を得ず | デジタル版「実験論語処世談」 / 渋沢栄一 | 公益財団法人渋沢栄一記念財団
*2 論語
*3 20000305 座右の銘
*4 毒性ガスの例と恕限量等一覧
*5 高圧ガスの用途と安全な取扱方
*6 19991001 臨界

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?