瞑想の奥義! 「離見」のテクニックを初心者向けに解説 ── 今からはじめるマインドフルネス入門⑲
「頭のなかが雑念でいっぱい」
「雑念が気になって、呼吸に集中できない」
「まるでアイドルの握手会に自分がトップアイドルとして登場したかのように雑念が行列を作るし、手放してくれない。剥(は)がしスタッフが欲しい」
などを瞑想中に思うかたもいらっしゃると思います。
今回はそのような状態から、簡単に注意を呼吸へと戻すことができる瞑想のテクニック「離見」について説明いたします。もし「剥がしスタッフ募集」のFacebook広告を出そうと考えている方はお金を出す前にぜひこの記事を最後まで読んで頂ければと思います(そもそも剥がしスタッフが何かを知らない読者がいることを想定したユーモアを選ぶべき)。
離見とは、どんな技術?
「離見」はその名の通り「離れて見る」という技術です。
たとえば呼吸瞑想の途中、雑念で頭がいっぱいとなり、呼吸に集中できなくなったとします。
あるいは呼吸へ注意を戻しても、すぐに雑念に気を取られて、「呼吸→雑念→手放す」という無限ループを繰り返すとしましょう。
そんなとき、あたかも自分から数歩離れて、もう一人の別の人間を眺めるイメージを持つ。その人間の頭にいろんな雑念が浮かんでいるところを観察する。
これが「離見」という技術です。
自分から離れて、自分を見る。
たとえば呼吸瞑想中に、今夜の夕食のことを考え、不安の感情が広がり、腰には痛みを感じているとしましょう。雑念が向こうの方からサンバのリズムに乗ってあなたに迫ってくるような状態です。呼吸から注意が逸れてしまうのもしかたありません、誰だってそのパレードに釘付けになってしまいます。
そのときに「いま呼吸から気が逸れていた」と自覚したら、自分から、あるいは雑念から、二三歩離れてまるで別人の雑念を眺めるようなイメージを持ちます。
そして広い視野でその雑念を観察します。
このときの注意点は、ふだんの瞑想と同様に「自分が○○について考えている」ではなく「頭が○○について考えている」と認識することです。自分と頭を切り離し、あくまで「頭」を主語にしましょう。なぜなら、あなた自身は「頭」ではないからです(このあたりは長くなるのでまた別の機会にお話ししますが、いまはそういうものとして理解しておいてください)。
「頭が夕食のことを考え、不安を感じて、腰は痛みを感じている」
このような客観的な観察をしていきましょう。言語化しても良いし、しなくても問題ありません。とにかく自覚があれば十分です。なにはともあれ雑念から距離を取って、自分と結びつけずに観察するということがとても重要です。
ここまでが離見です。
それから「呼吸に戻ろう。」と心に書きとめるようにして、注意を呼吸へと戻し、再び集中瞑想の基本スタイルへと移していきます。
離見は「瞑想の奥義」といっても過言ではない技術です。
とてもパワフルに機能する技術なのでぜひ繰り返し使ってみて練習してください。
また離見は瞑想中だけでなく、日常生活にも活躍します。怒りや不安や恐怖や心配といった強い情動に襲われたとき、そのことに気づいたらぜひ使ってみてください。冷静さを取り戻し、そのときに必要な最適な判断を下しやすくなります。
「離見」の由来
ちなみに「離見」という名前の由来は、日本が誇る舞台芸術の世界的天才・世阿弥(1363~1443)にあります。彼が残した芸術の奥義書「風姿花伝」のなかに、「離見の見」という状態の必要性が説かれています。
舞台に立って演じているとき、常に客席から舞台上の自分を見るような視点を持て、というのがその意味です。
そういえばマインドフルネスを語るうえで重要なキーワードである「ビギナーズマインド/初心」も、元はといえば世阿弥の言葉です。
「初心忘るべからず」
は皆さんも耳にしたことがあるかと思います。この初心を鈴木俊隆(1904~1971)がビギナーズマインドとして、禅を語る際に用いました。
瞑想における超重要技術「離見」については動画でも解説してあるので、よかったらこちらもご参考にして頂ければと思います。
https://www.youtube.com/watch?v=a0oVCE_ZWpc
さて次回は、こちらもまたマインドフルネス瞑想の基本となる瞑想「ボディスキャン」についてご紹介していきたいと思います。もしこの記事が参考になったり、気に入って頂けた方はいいね!フォローを頂けますと励みになります。
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