Mita_Yonda_6 『羆嵐』と『ウィンド・リバー』
Yonda_『羆嵐』吉村昭
かつて運営に携わっていたイベントスペースでサックス奏者の吉田隆一氏が多分ただ好きだからという理由だけで催された文学イベント『吉村昭ナイト』で紹介されて以来、読もう読もうと思いながらも手が出なかった「三毛別羆事件」をモデルにした有名な小説。
この作品を読んで思い出したのが、テイラー・シェリダン脚本・監督の2017年の映画『ウインド・リバー』。
『ウィンド・リバー』は『ボーダーライン』とその翌年に公開された『最後の追跡』の三作で構成されるアメリカ三部作の完結編で、それぞれの物語は独立しているものの、ひとつひとつが現代のアメリカが抱える社会問題をテーマにした一連の作品になっていて、『ウィンド・リバー』ではネイティブ・アメリカンが今なお置かれている不条理な状況が描かれている。
かたや開拓民として北海道に入植してきた貧しい農民たち。かたや住む土地を奪われ各地から集められてきたネイティブ・アメリカン。ふたつの作品に共通するのは故郷から離れた極寒の地で、生き直さなければならなかった人々が主人公であるということ。
『ウィンド・リバー』の中で、フロリダ出身のFBI捜査官が「運が良かっただけ」と言うのに対して、ワイオミングで暮らす主人公が「運なんてものは都会でだけ通用するものだ。ここで選べるのは、闘うか諦めるかだけだ」と返す場面がある。
夜の闇の暗さ、厳しい寒さや、野生生物の恐ろしさ(ウィンドリバーのテーマからは若干逸れる部分になるけど)は、文明社会が連綿と積み重ねてきた努力と犠牲によって遠ざけてきた世界で、そんな私たちが忘れかけていた「闘うか諦めるかしか選択できない世界」の姿が、『羆嵐』と『ウィンド・リバー』の両作品には記録されている。
不便や自然の脅威を遠ざけること自体は決して悪いことではないし、むしろそのようにして文明を推し進めることこそ人間の存在意義だと思う一方で、そのようにして遠ざけてきた世界について、記録しておくことの重要さについて再確認させられる作品だった。
羆害事件だけではなく、自然災害や大事故、虐殺や差別や戦争など、忌避すべきもの、畏怖するものの怖しい記憶こそ、記録し語り継いでいかなければいけないのだ、と思いました。
あんまりまとまってませんが、『羆嵐』と『ウィンド・リバー』おすすめです。
ちなみに『ウィンド・リバー』はホークアイことジェレミー・レナーとスカーレット・ウィッチことエリザベス・オルセンのダブル主演なので、マーベル信者にもおすすめです。
マーベル信者なら。
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