長谷川健太郎

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長谷川健太郎

ディレクター / デザイナー / 写真家 お悩み、お仕事のご相談などお気軽に。 zacari0212@gmail.com / 090-1702-7506

マガジン

最近の記事

メモ3

最近は甘いもの一個は食い切れない。 LUUPで信号無視してるやつ多すぎ。 酒弱くなった。 もとからあまり強くないけど。 誰かと別れたあとの、帰り道のことばかり覚えている。 さんざんおねだりだなんだで煽った後で、人が亡くなってるんですよって詰め方は卑怯だと思った。最初からそこが焦点でいいだろ トランプの語彙のヤバさ、なんで前回はあまり取り沙汰されてなかったんだろう。されてたのか? 移民がペット食ってるから追い出すはパワーワードすぎて世界滅ぶ。 地面師たち、あんなに

    • メモ2

      ガワは暑いけど中の方はもう秋。 でも暑い。 行けないと思ってた小沢健二の武道館ライブ行った数日後に井上尚弥の試合のライブビューイング行ったら小沢健二のライブのことちょっと忘れた。 やらないと思っていた曲で始まって天使たちのシーンもやって、歌声が音源で聴くよりずっと図太かったことは覚えてる。 覚えている、という言葉が好きだと小沢健二がMCで言ってたことを思い出した。 思い出すって言葉もいいよな、とちょっと思う。 違反切符シカトしてたら警視庁交通執行課墨田分室まで出頭しな

      • メモ

        中年になることの1番の弊害は自分の選択や決断や発言がナウくないんじゃないかといちいち疑ってしまうことだ。ナウくないって言い方、ナウくないんじゃとか思ってこの一文にさえ疑問を抱いてしまう。ぴえん ミシェル・オバマのスピーチの韻律がドープだと教えてくれた友達はオックスフォード出身で4回目くらいに会ったのに午前4時まで付き合ってくれた。 なんで俺なんかと、とか考えるのは無駄 三人の子供が全力でマイケル・ジャクソンのbeat itを歌っている現場に遭遇した。間奏で三人が喧嘩する

        • ノートについてのnote

          むかし使っていたMoleskineによく似たRHODIAのノートを手に入れた。手に入れたはいいものの、その最初のページに何を書き込むべきかを考えてわたしは途方に暮れいている。 引越し以来開けていないダンボールのどれかにボロボロになったMoleskineのノートが十数冊入っていて、その中の何冊かの表紙にはわたしの名前が刻印してある。 刻印のあるノートは交際一年目の記念日に前の妻がモンブランのボールペンと一緒にプレゼントしてくれたものだった。 その頃わたしたちは二人とも小説家を

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        • Mita_Yonda
          14本
        • 配信日記集
          4本

        記事

          ここ最近のこと

          使っていなかった伊達眼鏡のレンズを変えてサングラスにした。 かけるとそれが何時でも夕方みたいな色になる。 会いたかった人に偶然会ってしまって、一言も喋れなかった。

          ここ最近のこと

          映像のためのメモ、あるいは愛しています、わたしも アーメン

          友人の公演の記録映像のためのメモ。 ユーマ、待機線 memo音楽 待機線 後続の列車を先行させるため、一時的に車両を待避させるための線路のこと。 美術作品について 馬の脚 ゲーテのファウストの中に「馬の脚を見せる」というような記述があり、それは悪魔的なものの正体が予期せずあらわれてしまうことの寓意だったと記憶している。馬脚をあらわすの慣用句に近いがより宗教的な意味合いを帯びる。 縄 これもゲーテのファウストにおいて否定的な意味合いであらわれる。「首に赤い縄を巻く」

          映像のためのメモ、あるいは愛しています、わたしも アーメン

          2024年4月7日の正午

          アトリエのベランダでポール・オースターの『孤独の発明』を読んでいた。 「見えない人間の肖像」と「記憶の書」の二編から成る『孤独の発明』はとても奇妙な本で、大雑把に言えば親子、家族にまつわる物語なのだが、語り手の存在が幽霊のように揺らぐので、読んでいるうちに今自分が誰の声を聞いているのかがわからなくなってくる。もちろんだからといって駄作というわけではなく、むしろ物語が要請するすべての声、いってみれば死者の声をより合わせたようなその奇妙な語り以外では、この物語を記述することは不可

          2024年4月7日の正午

          2024年3月下旬

          昔書いた短い小説の一節で、気に入って時々思い出す。気に入っているからといって良い文章とは限らない。 修理に出していたブーツが戻ってきた。ソールの交換に伴いウェルトが一回り小さくなった靴からはほのかに蜜蝋の香りがする。 ニューヨークへ履いていき、好きな人に会いに行った時も、尊敬するミュージシャンのアジアツアーに同行した際も、大事なときにはいつも履いていた靴なので、少し値が張ったが修理して良かったと思う。 ルイがミャンマーに撮影に行ってしまったので、オフィスをほぼ独占している

          2024年3月中旬

          未開封で車に放置していて、ホットレモンのようになっていたCCレモンを飲んだ。 撮影の合間の移動中に荒川土手の満開の河津桜を見た。 尊敬している人の演奏を頼んで撮らせてもらいに行った。 わたしは変な姿勢でカメラを構えたままじっと自分を信じようと努めていた。 誰かを傷つけたことの後悔を、ひととき振り払って、わたしが待っているその一瞬に間違いがないことを信じたかった。 父親の再検査の結果を母親に問い合わせた。 真夜中に車の窓から、轢かれて死んだ猫の目がヘッドライトを反射して光り

          2024年3月15日

           午前中に取材。すぐ終わるだろうとたかを括って車で出かけたら3時間半かかった。小伝馬町の適当なパーキングに停めていたので、清算の際に目玉が飛び出した。左目はそのままどこかへ行ってしまったので、今わたしはこの文章を片目で書いている。  取材を終えて、借りていた機材を返却しに行き、中野のインド料理店でビリヤニを食べた。取材の中でビリヤニみたいなものを食べている写真を見せられて、それがとてもうまそうに見えたからだ。 当然路駐した。  午後いちで仕上げて送らなければいけないデザイ

          2024年3月上旬

          ようやく秩父に荷物を少し動かした。杉並のオフィスから高速と有料道路を使って1時間半。部屋のある町の手前に冗談みたいな急カーブが続く道があって、否応なく運転技術が向上するが、鹿飛び出し注意の看板を目にするたびに、どう注意すればいいのかわからず途方に暮れる。 ※ なんだかんだ杉並でやらなければならないことがあるのと、やはりかなり心細いので、まだ秩父の部屋には泊まっていない。 テレビのアンテナの差し込み口が旧式で持っていったケーブルが挿さらなかったことも大きいかもしれない。 心

          2024年2月下旬

          映像に「愛してる」という文字をたくさん載せる仕事をした。あまりにも愛してるという文字を見過ぎたせいで、次第に愛してるのかもしれないという気分になってきて、納品した直後の今はもう完全に愛してると思う。 ※ フリーレンがいい。という話はもうみんながしているのでいまさらする必要はないのだけれど、フリーレンが良い。 とても限定的なある一面において、ミシェル・ウェルベックの「素粒子」と似ていると言えるかもしれない。 ※ フランス人の前でウェルベックの話をすると露骨に嫌な顔をされ

          2024年2月中旬

          日記 翌朝が早いからとアトリエに泊まって行った後輩が出て行った後のベッドメイクされた寝床を見て、わたしが思春期のころ母親が「結局ベッドメイクできる男がモテるのよ」と言っていたことを思い出した。 なにが結局なのかわからないが、彼の前途に幸あれと思った。 ☞ 4月に公演があるアーティストの知人が、制作に没頭するあまりトークがつまらなくなったという噂を聞いた。かつてそういう状態になった覚えがあったので懐かしかったし羨ましかった。 ☞ 運転中に音楽家の友人が「最近の女の子っ

          2024年2月5日

          前の晩、キッチンに電気ヒーターを引っ張っていって900Wで体を炙りながらオムレツを作り、缶ビールを飲んでシャワーも浴びずに眠ってしまったので目が覚めると口から灰皿のような匂いと味がした。 コーヒーを入れて風呂を溜め、バスルームで先日途中で止めていた映画の続きを観る。 アキ・カウリスマキの『パラダイスの夕暮れ』は恋愛の只中で降りかかる突然の理不尽な暴力が羨ましかった。 カーテンがない作業部屋に着替えを置いてきてしまったので、朝の鎌倉街道から見上げれば半裸のわたしが中腰で部屋

          僕にとって祈り、僕にとって射す光

          参加するのに勇気が必要な飲み会があって、道すがらこの曲を流して車を走らせていた。 飲み会にはわたしがずっと好きだった女性が来ていて、わたしには彼女を傷つけてしまった過去があって、どういう顔で彼女に会いに行けばいいのかわからなかったが、どうしても彼女の顔を見たかった。 フランス人の友人ルイいわく「愛はバトルじゃナイ」。 しかし、愛に至るまでの道筋はある意味では戦場で、毎日はバトルだろう。 飲み会の顛末についてここで詳しく書くつもりはないが、そこはまさしく戦場で、さまざまな

          僕にとって祈り、僕にとって射す光

          Mita_yonda 14 ゴーストワールド、そしてher

          シネマート新宿で恋人だった女性とゴーストワールドを観た。22年ぶりのリバイバル上映で、22年前といえばわたしはまだ10代で、きっとそのときこの映画を観たならイーニドのようにグレイハウンドに飛び乗っていただろうと素直に思った。 今やわたしは下手をしたら劇中のスティーブ・ブシェミよりも年寄りで、いつのまにか自分なりのやり方で生きづらさとは折り合いをつけてしまっていて、あの一夜の後のシーンすらブシェミの側に立って観てしまい、ラストシーンの潔さに嫉妬すらできなかった。 恋人だった女

          Mita_yonda 14 ゴーストワールド、そしてher