長谷川健太郎

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長谷川健太郎

ディレクター / デザイナー / 写真家 お悩み、お仕事のご相談などお気軽に。 zacari0212@gmail.com / 090-1702-7506

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最近の記事

映像のためのメモ、あるいは愛しています、わたしも アーメン

友人の公演の記録映像のためのメモ。 ユーマ、待機線 memo音楽 待機線 後続の列車を先行させるため、一時的に車両を待避させるための線路のこと。 美術作品について 馬の脚 ゲーテのファウストの中に「馬の脚を見せる」というような記述があり、それは悪魔的なものの正体が予期せずあらわれてしまうことの寓意だったと記憶している。馬脚をあらわすの慣用句に近いがより宗教的な意味合いを帯びる。 縄 これもゲーテのファウストにおいて否定的な意味合いであらわれる。「首に赤い縄を巻く」

    • 2024年4月7日の正午

      アトリエのベランダでポール・オースターの『孤独の発明』を読んでいた。 「見えない人間の肖像」と「記憶の書」の二編から成る『孤独の発明』はとても奇妙な本で、大雑把に言えば親子、家族にまつわる物語なのだが、語り手の存在が幽霊のように揺らぐので、読んでいるうちに今自分が誰の声を聞いているのかがわからなくなってくる。もちろんだからといって駄作というわけではなく、むしろ物語が要請するすべての声、いってみれば死者の声をより合わせたようなその奇妙な語り以外では、この物語を記述することは不可

      • 2024年3月下旬

        昔書いた短い小説の一節で、気に入って時々思い出す。気に入っているからといって良い文章とは限らない。 修理に出していたブーツが戻ってきた。ソールの交換に伴いウェルトが一回り小さくなった靴からはほのかに蜜蝋の香りがする。 ニューヨークへ履いていき、好きな人に会いに行った時も、尊敬するミュージシャンのアジアツアーに同行した際も、大事なときにはいつも履いていた靴なので、少し値が張ったが修理して良かったと思う。 ルイがミャンマーに撮影に行ってしまったので、オフィスをほぼ独占している

        • 2024年3月中旬

          未開封で車に放置していて、ホットレモンのようになっていたCCレモンを飲んだ。 撮影の合間の移動中に荒川土手の満開の河津桜を見た。 尊敬している人の演奏を頼んで撮らせてもらいに行った。 わたしは変な姿勢でカメラを構えたままじっと自分を信じようと努めていた。 誰かを傷つけたことの後悔を、ひととき振り払って、わたしが待っているその一瞬に間違いがないことを信じたかった。 父親の再検査の結果を母親に問い合わせた。 真夜中に車の窓から、轢かれて死んだ猫の目がヘッドライトを反射して光り

        映像のためのメモ、あるいは愛しています、わたしも アーメン

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        • Mita_Yonda
          14本
        • 配信日記集
          4本

        記事

          2024年3月15日

           午前中に取材。すぐ終わるだろうとたかを括って車で出かけたら3時間半かかった。小伝馬町の適当なパーキングに停めていたので、清算の際に目玉が飛び出した。左目はそのままどこかへ行ってしまったので、今わたしはこの文章を片目で書いている。  取材を終えて、借りていた機材を返却しに行き、中野のインド料理店でビリヤニを食べた。取材の中でビリヤニみたいなものを食べている写真を見せられて、それがとてもうまそうに見えたからだ。 当然路駐した。  午後いちで仕上げて送らなければいけないデザイ

          2024年3月上旬

          ようやく秩父に荷物を少し動かした。杉並のオフィスから高速と有料道路を使って1時間半。部屋のある町の手前に冗談みたいな急カーブが続く道があって、否応なく運転技術が向上するが、鹿飛び出し注意の看板を目にするたびに、どう注意すればいいのかわからず途方に暮れる。 ※ なんだかんだ杉並でやらなければならないことがあるのと、やはりかなり心細いので、まだ秩父の部屋には泊まっていない。 テレビのアンテナの差し込み口が旧式で持っていったケーブルが挿さらなかったことも大きいかもしれない。 心

          2024年3月上旬

          2024年2月下旬

          映像に「愛してる」という文字をたくさん載せる仕事をした。あまりにも愛してるという文字を見過ぎたせいで、次第に愛してるのかもしれないという気分になってきて、納品した直後の今はもう完全に愛してると思う。 ※ フリーレンがいい。という話はもうみんながしているのでいまさらする必要はないのだけれど、フリーレンが良い。 とても限定的なある一面において、ミシェル・ウェルベックの「素粒子」と似ていると言えるかもしれない。 ※ フランス人の前でウェルベックの話をすると露骨に嫌な顔をされ

          2024年2月中旬

          日記 翌朝が早いからとアトリエに泊まって行った後輩が出て行った後のベッドメイクされた寝床を見て、わたしが思春期のころ母親が「結局ベッドメイクできる男がモテるのよ」と言っていたことを思い出した。 なにが結局なのかわからないが、彼の前途に幸あれと思った。 ☞ 4月に公演があるアーティストの知人が、制作に没頭するあまりトークがつまらなくなったという噂を聞いた。かつてそういう状態になった覚えがあったので懐かしかったし羨ましかった。 ☞ 運転中に音楽家の友人が「最近の女の子っ

          2024年2月5日

          前の晩、キッチンに電気ヒーターを引っ張っていって900Wで体を炙りながらオムレツを作り、缶ビールを飲んでシャワーも浴びずに眠ってしまったので目が覚めると口から灰皿のような匂いと味がした。 コーヒーを入れて風呂を溜め、バスルームで先日途中で止めていた映画の続きを観る。 アキ・カウリスマキの『パラダイスの夕暮れ』は恋愛の只中で降りかかる突然の理不尽な暴力が羨ましかった。 カーテンがない作業部屋に着替えを置いてきてしまったので、朝の鎌倉街道から見上げれば半裸のわたしが中腰で部屋

          僕にとって祈り、僕にとって射す光

          参加するのに勇気が必要な飲み会があって、道すがらこの曲を流して車を走らせていた。 飲み会にはわたしがずっと好きだった女性が来ていて、わたしには彼女を傷つけてしまった過去があって、どういう顔で彼女に会いに行けばいいのかわからなかったが、どうしても彼女の顔を見たかった。 フランス人の友人ルイいわく「愛はバトルじゃナイ」。 しかし、愛に至るまでの道筋はある意味では戦場で、毎日はバトルだろう。 飲み会の顛末についてここで詳しく書くつもりはないが、そこはまさしく戦場で、さまざまな

          僕にとって祈り、僕にとって射す光

          Mita_yonda 14 ゴーストワールド、そしてher

          シネマート新宿で恋人だった女性とゴーストワールドを観た。22年ぶりのリバイバル上映で、22年前といえばわたしはまだ10代で、きっとそのときこの映画を観たならイーニドのようにグレイハウンドに飛び乗っていただろうと素直に思った。 今やわたしは下手をしたら劇中のスティーブ・ブシェミよりも年寄りで、いつのまにか自分なりのやり方で生きづらさとは折り合いをつけてしまっていて、あの一夜の後のシーンすらブシェミの側に立って観てしまい、ラストシーンの潔さに嫉妬すらできなかった。 恋人だった女

          Mita_yonda 14 ゴーストワールド、そしてher

          詩歌は誰に書く手紙

          タイトルは昔働いていたイベントスペースで開催した枡野浩一さんと千野帽子さんの対談イベントから拝借した。めちゃくちゃいいタイトルで羨ましかったので、勝手に拝借できて気分がいい。 ついでに昔、枡野浩一さんにサインに添えてもらった短歌を拝借する。 このサインをもらったとき、とても嬉しかったのを覚えている。 そこで働いていた頃、誰もがわたしのことを店長と呼んだのに、ドラァグクィーンのヴィヴィアン佐藤氏だけがわたしのことを必ず「長谷川選手」と呼んでくれたことの喜びと同じくらい嬉しか

          詩歌は誰に書く手紙

          Mita_Yonda_13 『ブレードランナー2049』

          父親に腹部大動脈瘤が見つかったと母親が言って、死んじゃったらどうしようと彼女は続けた。 両親は長い結婚生活の果てに寝室を別にしていて、病が明るみになってからというもの母親は毎朝、もしかしたら死んじゃってるかもと思いながら父親の寝室を確認しに行くのだそうだ。 すると父親は得意そうに、死んだふりをしてやるんだ。と顔をしわくちゃにしながら笑う。 わたしは両親の正確な年齢を覚えていない。誕生日さえ覚えていない。 あまり興味がないから、というのは虚勢ではないが(わたしは非常に薄情な人

          Mita_Yonda_13 『ブレードランナー2049』

          アメリカ再訪

          プロトタイプの掌編を書いてから、8年ものあいだ書き上げたと思っては書き直している『アメリカ』という小説がある。 何人かの限られた親しい人にだけ、そのいずれかのバージョンを押し付けるようにして読んでもらい、困惑と気遣いの入り混じった感想をもらっては少しの間満足して、それからまた何かの強迫観念に駆られるようにして書き直しを始める。 途中で止めることもあれば、一応最後まで書き上げることもあって、英字でAmericaと名付けられたフォルダの中には最初の掌編も併せると8つのバージョン

          アメリカ再訪

          Mita_Yonda_12 『セロトニン』と『君たちはどう生きるか』

          死者の埋葬1922年に発表され、のちに彼の代表作にして紛れもない世界文学の一角となる長編詩『荒地』の第一部に、T.S.エリオットが付けたタイトルである。 The Burial of the Dead 「死者の埋葬」 それからおよそ100年後の夏、本邦で最も注目された映画のタイトルは「君たちはどう生きるか」だった。 死者を生者が埋葬する。1922年、一度目の世界大戦を経験して荒廃しきったヨーロッパにおいてさえ、生は自明のものであった。ロンドンブリッジがその重みで落ちてしま

          Mita_Yonda_12 『セロトニン』と『君たちはどう生きるか』

          小説 『森のこどもたち』

          ※縦書き版PDFが末尾にあります。お好みでどうぞ ※末尾、途方もなくスクロールしなきゃだったのでPDFここに置きます。  1  わたしはその日、数学研究所の帰りにラスベガスのとなりの縦長の本屋に寄って漫画雑誌を読みたかったのだが、所長に居残りを命じられたために断念し、まっすぐ自宅へ帰るために自転車に乗っていた。  いつもなら夕方の五時に数学研究所を出るのだが、その日はなんと六時半までわたしは研究所に居続けなければならなかった。  所長はわたしにだけ数枚余分にプリントをやら

          小説 『森のこどもたち』