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ノートについてのnote

むかし使っていたMoleskineによく似たRHODIAのノートを手に入れた。手に入れたはいいものの、その最初のページに何を書き込むべきかを考えてわたしは途方に暮れいている。

引越し以来開けていないダンボールのどれかにボロボロになったMoleskineのノートが十数冊入っていて、その中の何冊かの表紙にはわたしの名前が刻印してある。
刻印のあるノートは交際一年目の記念日に前の妻がモンブランのボールペンと一緒にプレゼントしてくれたものだった。
その頃わたしたちは二人とも小説家を目指していて、ことあるごとに書くことにまつわる品を贈りあった。
ペンやノートからはじまり、筆入れや付箋、文鎮、書き物机、キーボード、ワードプロセッサからマインドマップを作成するソフトウェア、プロットを書き込むためのでかい紙、初代のiPad、QWERTYキーボード付きの謎のスマホ、最終的には封印と封蝋までプレゼントしあった。わたしは手持ちのあらゆるものにKの封印を施し、あらゆるものを封蝋でベタベタにした。

新しいノートをおろすとき、そのまっさらな最初のページにひるんでしまって、いつも何を書いていいのかわからなくなる。
その頃、わたしたちが小説家を目指していて、お互いを今では考えられないほど憎からず思っていた一時期、おろしたてのノートの最初のページにはお互いにメッセージを書き込むのが決まりごとのようになっていた。
彼女は小さく几帳面で少し不恰好で愛嬌のあるアルファベットで、わたしは彼女にもらったモンブランで、わたしたちの前にひらけた無限(のように思えた)の可能性に対する期待と不安、お互いを励まし合う文章を書き込んだ。

いつからかMoleskineのノートは紙質が著しく落ち、市販のボールペンのインクですら裏写りするようになったので使わなくなってしまった。

ノートを最後まで使い切るのが苦手で、いつだって最後の数ページを残したところで突然書き込みが終わっている。
老舗の喫茶店に保管されていた30年前の連絡帳(駅の伝言板のようなもの)の余白に細切れに書き込まれた小説を発見するというプロットの小説を考えたことがあり、ダンボールの中のモレスキンにはその小説に関するアイデアがそれこそ細切れに書き込まれているが、その小説が書かれることはありそうもない。なぜならわたしはノートを最後まで使い切るのが苦手で、だからこの文章も唐突に終わるから


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