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ミッドタウンで拾う、未来のかけら

有給を取って、東京ミッドタウンのギャラリー”21_21 DESIGN SIGHT”へ行った。
ずっと気になっていた企画展、『未来のかけら』を見に行くのである。

すっごく良かったので会期終了(8/12)までにまた行きたい。あれこれ話しながら見るとまた楽しい気がするので、もし相互フォローでご興味ある方がいらっしゃいましたらぜひお声がけください……!
一緒に未来のかけらを愛でましょう。

ディレクターの山中俊治先生は、言わずと知れたインダストリアルデザインの大家。
最先端のテクノロジーと機能的でうつくしいデザインが融合する様によってもたらされる興奮はほかのものでは代替できない種類のもので、山中先生のお仕事を目にするチャンスがあると、しっぽを振って駆け付けてしまう。

今回の展覧会はそのものずばり、科学とデザインのコラボレーションがテーマ。
エリアごとのキャプションに、関わった研究者とデザイナーのお名前の一部を融合させたハンコのようなマークが付されていて、かわいくて可笑しかった。

「稲」と「遠」の合体はんこ

展示作品の量にもよるけれど、私は普段美術展などに行くと、たいてい1時間~1時間半くらいかけて見て回れば十分満足する。2時間近くいればまあ、「ゆっくり見たなあ」と思う感じだ。
それが今回、14時くらいに会場に入り、気づいたら17時……! さすがに足が痛くなってきて退散したのだけれど、体力が許せばもっともっと見ていたかった。

なんでこんなに長く滞在していたのかというと、とにかく「触れる・動く」展示が多いのである。遊園地に放たれた幼児のようなものだ。

たとえば入場してすぐの空間の展示は、動物の骨格がテーマ。
キリンやナマケモノの骨格標本を実際に手に取って組み立て、動き方を観察できる(漫画『ダンジョン飯』がお好きな方はきっと、とあるシーンを思い出されることになると思う)。
私は最近豚足を食べたばかりだったので、キリンのひづめの骨格を触りながら「ああ、きれいに軟骨まで食べられている……」と思ってしまった。不謹慎。

最後のエリアには山中研究室お馴染みの、3Dプリンターで作られたプロトタイプが並べられており、実際に手で触れることができた。

以前行った『もしかする未来』展ではこのコーナーが人気すぎて他の人が触っているところを見つめることしかできなかったのだけれど、平日とあって人はまばら、すなわち触り放題。無機質な樹脂と少しの継ぎ目でできた真っ白な物体が、ひとたび触れると生物の背骨や尾ひれ、翅などを彷彿とさせる動きを見せる。なんでこんなに滑らかに、いきものらしく動くんだろう。それが不思議で、なめらかな樹脂の表面をいつまでも撫で続けてしまった。

ロボットの展示も好きだった。乗用車型やバイクのような形のものなど、多彩な4台の模型と設計図、スケッチなどが展示されていて、壁にはそれらが実際に動く様子が投影されていたり、設計図の詳細を確認することができたりする。
まるまるとしたダンゴムシのような「未来の車」がハルキゲニアと名付けられていて、なんでそんな名前に? と思ってスケッチを見ると、そこには確かにひょろながいハルキゲニアの姿が。
全体の形というよりは、足元の機構に反映されているようだ。

この構想からこんな丸っこい姿になるのか、というのが不思議でしかたなくて、私にこの分野の知見が少しでもあったなら、と焦がれる。

そして、心臓を撃ち抜かれてしまったロボットがこちら。

CanguRo

一見バイクなのだけれど、正面に回るとなんとまあ、たれ耳のワンちゃんみたいなお顔!
そう見えるのは全然偶然ではなくて、コンセプトは「主人に寄り添うパートナーロボット(移動手段にもなる)」だそう。隣の小さな液晶ではコンセプトムービーが流れていて、そこで動き回るCanguRoの様子は完全に大型犬。

真ん中下のスケッチあるじゃないですか、この姿そのままのポーズをとる瞬間がムービーの中にあって、それがもうそのまんま「飼い主を遊びに誘うわんこ」だった。かんわいいい!!
ペットロボットってあまり興味がなかったけど、この子には確かにそばにいてほしいな……と思ったのでした。

同じエリアで印象的だったのは、8つのタイヤを持つHalluc IIχ(ハルクツー・カイ)。8つのタイヤそれぞれに7つのモーターがついていて、タイヤでの走行だけでなく車軸での歩行(!)もできるらしい。実際ムービーでは車軸を曲げ伸ばしして器用に障害物を乗り越える姿が映っていた。
この場では「うわー、すごいなあ」としか思えなかったんだけど、最後のほうにこいつの3Dモデルが縦横無尽に架空のアートギャラリーの中を走り回る映像作品が流れており、それがまたとってもかわいい。ぽよんぽよん跳ねたり積み木を崩して遊んだり、小動物を見守っているみたいな気持ちになって何周も見てしまった。

金属や樹脂の塊で、目や鼻もなくて……という無機物に、こうして「かわいさ」を見出してしまうのって、いったいなぜなんだろう。そこに覚える愛おしさの正体を知りたくて、展示により一層惹き付けられるのかもしれない。

そして、スケッチ!

作品のそばには関連するスケッチが贅沢に展示されていて、吸い込まれるように見入ってしまう。それを描いたときの山中先生の手の動きがそのまま見える気がするような、そんな躍動感を持った筆致。

私の写真だと伝わりにくいのがすごくはがゆいのだけれど、線に、インク溜りに、淡く施された陰影に、なんとも言えない色気があるのだ。無生物の素描になぜそんなものを感じるのだろう。ああ、このスケッチなんて、信じがたくセンシュアルだ。

曲線が人間の身体を想起させるといったような、単純な話ではなくて。なんというか、あえかなバランスをあやうい状態で保った存在がそこにあるという感じ、この世に確かに生み出された存在がどこか揺らぎを孕んでいる感じ、にどきどきしてしまうのだと思う。つまりは、生命力のようなものに。

昔観たSFものの映画やアニメでは、「未来の世界」はたいてい、いきものらしさ――いきものの生命力を想起させるような要素を排除したデザインで溢れているように見えた。人は頭から足先まで、つるんとした素材の肌を見せないスーツに身を包み、動植物は金属製で、流線型の車はタイヤを持たずにチューブのなかを滑る。

逆なのかもしれない、と、山中先生の展示を見るたびに思う。
この空間、未来におそらくいちばん近いこの場所では、無生物のほうが生物ににじり寄ってきている。いきものとそうでないものの境界線がとろけて揺らぐ。ひとの五感や身体が拡張され、「わたし」が広がってゆく。

逆なのかもしれない。いきもののなまっぽさ、いきものらしさを排除してすべてをコントロールしようとするのではなく、生命の、いきものの定義が少しだけ広くなり、その分人が共生できるものたちの範囲も広がる。未来にはそんなことが起こるのかもしれない。

そんなことを考えながら見ていく中、少し危うさというか、ほのかな怖さを感じてしまった展示作品もあった。ヒトの脳のニューロンを培養したものに話しかけて、その反応を可視化するというインスタレーションだ。

人の声に反応してニューロンが発した電気信号を解析し、上の写真の丸い部分に音と色が生まれる仕組み。
もちろん培養されたニューロンが人の言葉を解しているわけはないのだけれど、話し声に反応してさまざまな色や音が現れる(しかも、ひとつとして同じものはない!)様子はなんだか思った以上に「コミュニケーション」に見える。

だんだん親しみがわいてきて、離れがたく眺めていたら、「あなたは誰?」というような問いかけにニューロンが強く強く反応した場面を目撃してしまい、その瞬間鳥肌が立った。反射的に、怖い、と思った。従順だった猛獣に、がばと牙をむかれたような感覚に近かった。

完全に人工物とわかっているロボットにはかわいらしさしか覚えず、ヒトIPS細胞を培養して作られたニューロンとのコミュニケーションには、どこかでうすら寒さを感じてしまう。

この差も、未来には縮まるのだろうか。
ぼんやりそんなことを考えながら、いつまでも目が離せなかった。




こういう「最先端!! テクノロジー!!!」みたいな展示を見るたびにPVをもう一度見たくなってしまう、SUSHI SINGULARITY。
ネガティブ・スティフネス・ハニカム蛸の語感が好きすぎる。

同じく「無生物と生物のあいだ」について考えさせられたテオ・ヤンセン展のレビュー

以下、あとから見返す用。


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