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PERFECT DAYS


*この記事は主に個人の考察内容になります。
  映画のネタバレを含みますので、予めご理解ください。


昨年の12月22日から上映されている「PERFECT DAYS」をやっと劇場で見てきました。

シネスコではなく、全カット贅沢に4:3で構成。
平山が使うカメラもフィルムカメラといい、流れる音楽も全てカセットテープ、平山が好き好んで読む本も全て古本屋で買う文庫本。
現代に生きていながらも色濃く残る「昔」を大切にされているのがとても伝わりました。


映画を見た率直な感想は、「めちゃくちゃ考察したい」ということ。
どうぞ考察してくださいと言わんばかりに含みを持たせているシーンだらけで、それも踏まえとても考えるきっかけをくれた映画でした。
自分の今の状況や環境、年齢など取り巻くものによってこの映画の見え方が変わるだろうな、とも思いました。

そして今回、どうして久しぶりにnoteを書いているかというと、素直にどうしてもこの考察熱が抑えられなかったからです。
なのでこの記事では、映画「PERFECT DAYS」を見た僕個人の考察をずらずらと書くだけの内容となっております。

この記事に書く箇所以外にももっと考察できる箇所はたくさんありました。
全部書いているとキリがないので、個人的にここがこの映画の鍵を握っているだろうとおもう重要なシーンのみ掻い摘んで考察してみました。


この映画を見ていない人はこれから書いてある内容が全くわからないと思いますので、是非一度映画を見てからこの考察を読んで頂けると幸いです。
また映画をすでに見たよって方は、この考察を読んだ上での感想をコメントなどで頂けるととても嬉しいです。

それでは考察していきます。



○平山の正体


平山は一見独り身だと思っていたが、突然ニコが平山の家に現れ、家出してきたという会話で平山には娘がいた事が発覚(=結婚していたいうこと)。
今は離婚しているのかどうかは定かではないが、ニコは母親(=平山の妻)と一緒に暮らしている。

平山とニコが銭湯に入るシーン。
平山が先に上がり電話をかけ、ニコを迎えに来るよう伝えていたように思える。

迎えにきたのは高級車に乗って来た平山の妹。
妹との会話では、平山が実父とソリが合わず家を出たということがわかる。そしてその父親は現在施設に入っている様子。どっからどう見てもお金持ちでしかないのだ。
つまり平山の家は超お金持ちである可能性。
なのに平山自身はオンボロのアパートに住み、トイレの清掃員をしている。

恵まれた家庭で育ったこと、敷かれたレールでの生活にうんざりした結果いまの生活を自ら選んだのだろう。
神社で頂いてくる小さな苗木を持ち帰り丁寧に手入れしている姿も、昔はなんでも欲しいものを手に入れられて物への有り難みを忘てしまった家に対しての反発なのかもしれない。


○11の物語


ニコが読んでいた本『11の物語』にある「すっぽん」とは一体どんな話なのか気になって調べました。

「すっぽん」
母親と暮らす11歳の少年ヴィクターはいつまでも自分を幼児のように扱い、まるで人の話を聞こうとしない母との関係に息苦しさを感じていました。
ある日母親が持ち帰ってきた生きた亀(すっぽん)を自分への土産物だと思い喜ぶヴィクターでしたが、それはシチューの材料に買ってきたすっぽんだというのです。
支配的な母親と暮らす少年が、食用に買ってきたすっぽんをきっかけに「暴発」してしまうという物語。
母親と暮らしながらも、自主性を圧殺され、孤独に暮らす少年の心理が痛々しく描かれています。残酷な少年小説です。

『奇妙な世界の片隅で』より引用

とのこと。

妹が迎えに来たとき、ニコが平山との別れ際に、「このままじゃ私もヴィクターみたいになっちゃうよ」と言う場面。
そして少し後のシーンで平山が自転車に乗り、ブルーシートのかかった空き地に辿り着きます。
そこで出会したおじいちゃんに「ここ昔は何があったんだっけなあ、歳をとるとなんでこうも忘れてしまうのかなあ」と言う会話。

ここからは僕の考察ですが、おそらくその空き地はニコが母親や妹と住んでいた家があった場所ではないでしょうか。
11の物語に習うのであれば、本当にニコはヴィクターになってしまい、自らの手で母親を殺害してしまったのではないか。
殺人現場となった家を残しておくわけにもいかず、家を手放しどこか遠くに言ってしまったのではないでしょうか。


そして映画のラストシーンである平山が運転する場面。
信号か街灯のような赤い光が平山の顔に反射し、その光に照らされた平山の目には涙が。

ここで思い出して欲しいのは、ニコと平山が自転車に乗って橋の上を渡る場面で「今度は今度、今は今」と大声で歌う場面。
そして、ニコと離れる場面では「また今度な」と平山が小さく呟く場面。

おそらくですが平山はもう二度とニコと会うことが出来ないことを悟り、あのラストシーンの表情なのではないでしょうか。



○フィルムカメラ


平山がニコに自分と同じフィルムカメラを昔プレゼントしていた。
平山自身は忘れてしまっていた様子だったが、おそらくニコに対し平山自身と同じものを感じ取り、仲間意識から同じカメラをプレゼントしたのではないだろうか。
結果、そのカメラのおかげでニコは人生初の家出を、父親である平山の家にしたのではないでしょうか。



○ラストシーン挿入歌 Nina Simone 「Feeling Good」


音楽についてあまり詳しくない僕も、この曲は何度も聞いたことがあります。
ですがこの曲の意味までは知らなかったので調べたところ、一言でまとめると「あらゆることからの解放」を意味しているようです。

劇中歌は全て平山のカーステレオから流れていますが、おそらく全ての楽曲がそのシーンごとに意味を持った曲たちでしょう。
ラストシーンでこの曲が流れるということも、つまりは平山自身が解放されたことを意味するのでしょう。
音楽に詳しい人はまた違う見方ができて楽しそうですね。




と、ここまでずらずらと勝手な考察をかいてきましたが、総じて言えることは「役所広司の演技が素晴らしい」ということ。本当に感動しました。


考察を書いていてまたこの映画を見たくなってきたので、映画館で上映しているうちにもう一度見にいきたいと思います。


では。


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