柚子瀬

感じたこと、思ったことをつれづれに綴ります。抽象的な言葉によく思いを馳せます。ささやかだけれど、確かな喜び、スプーン一杯程度の幸せを大切にしています。

柚子瀬

感じたこと、思ったことをつれづれに綴ります。抽象的な言葉によく思いを馳せます。ささやかだけれど、確かな喜び、スプーン一杯程度の幸せを大切にしています。

    マガジン

    • 〈美学〉シリーズ

    • 「サクラダリセット」シリーズについて

    • 書評

      • 〈美学〉シリーズ

      • 「サクラダリセット」シリーズについて

      • 書評

    最近の記事

    固定された記事

    23歳の私へ

     いつだろう、私が私自身を確信したのは。確信というほど心の動きは能動的ではなかったかもしれない。それはあたかも天啓を受けるような感覚に近かっただろうと思う。私はずっとわからないでいたことに答えを出せた気がした。それ以来、私は私自身を確信するたびに微笑みをみせるようになった。  私は、どうして私が世界に存在しているのか、ずっとわからないでいた。そんなのは当たり前だ。生を授かること自体偶然の賜物で、一般的に人は後天的に自分を世界に定位して生きていくとされる。幼い頃から将来を見据

    スキ
    8
      • はじまりは唐突に:大学院入試まで残り27日

         こんにちは。柚子瀬です。noteでは触れたことがなかったように記憶していますが、タイトルにある通り、大学院を受験します。具体的には法科大学院を受けます。これも言及することがなかったのかな、と思いますが私はいちおう法曹を目指しています。そういうわけで、法科大学院を受験します。最初の大学院入試が10月29日にあります。10月に入り、それまで残り1か月を切ったので、これまで以上に自分を客観的にみつめるために試験までなるたけ毎日記録をしようと思ったわけです。  大学院は3校受験す

        スキ
        3
        • 内向に関する一試論

           私は自分のことを内向的な人間だと自覚している。「内向」を広辞苑で引くと、「心の働きが自分の内部にばかり向かうこと」とあるのが看取できる。対義語は「外向」だ。私が自分のことを内向的な人間だと考える理由は種々あるけれど、noteで文章を書くことに関連したことでいえば、自分を世界の側に引きつけたようなテーマを扱うのではなく、世界を自分の側に引きつけたようなテーマを扱うことが少なくないことが挙げられるだろう。  「外向」も「内向」もそれ自体では中立的である。すなわち、どちらが優れ

          スキ
          4
          • 言葉の余白

             自分自身ないし世界とうまく距離を取ることができる人ならば、たいていの問題はささやかに映るだろう。これは正確な表現ではない。自分という具体的なひとりの個人に焦点を当てるのではなく、もっと総体的な、たとえば政治の問題を考えるとそうはいえない。だから、一人ひとりの具体的な個人に限っていえば、という留保はつくけれど、個人が抱える問題というのはたいていささやかなものだと思っている。もしそうでないのだとしたら、いたずらに問題を拡大して捉えてしまっているのだろう。もっとも、政治的な問題と

            スキ
            11

          マガジン

          マガジンをすべて見る すべて見る
          • 〈美学〉シリーズ
            柚子瀬
          • 「サクラダリセット」シリーズについて
            柚子瀬
          • 書評
            柚子瀬

          記事

          記事をすべて見る すべて見る

            帆、音楽

             音楽について考える。本と同じように、私のそばにはいつも音楽があった。寄り添ってくれた。音は私の心を代わりに表象した。それはときには言葉よりも雄弁で、言葉を愛する私だけれども、その力は否定できなかった。  もちろん私は音楽の専門家でもないし、たくさんの音楽を知っているわけでも聴くわけでもない。世界にはいっぱい音楽があるのは知っているし、それらをすべて知ろうとする姿勢は尊いけれど、私は私にとって身近で、距離感を考えずに聴ける音楽を求めている。今日では、意識的に自分の領域に入れ

            スキ
            11

            偏愛の美学

             私の偏愛の対象となるのは本と珈琲だ。けれど、そんなことはどうでもいい。私が襲われた問いは、「なにかを偏愛するということはいったいどういうことなのか?」だ。だから、私がなにを偏愛するのかということよりもひとつ上の視座から考える必要がある。  広辞苑を引くと、偏愛は「かたよって愛すること。ある人だけを特別にかわいがること。」とある。2番目の意味をみると、偏愛という言葉は主に客体が人であることを想定されているようにもみえる。でも、私が「偏愛」という語を使うとき、想定される客体は

            スキ
            7

            私に優しさの美しさと悲しさを教えてくれた物語:「サクラダリセット」シリーズについて②

             私が「優しさ」という視座から「サクラダリセット」をみるのはきっと、「優しさ」のような抽象的な言葉には辞書的な意味だけをみるのでは切り取られてしまう方にその本質があるように映るからだと思います。「優しさ」に限らず、「愛」「信頼」「幸せ」等々、私たちが人生を通して選び取る価値の中には辞書で引けばその一義的な意味がわかるものの方が少ないでしょう。「優しさ」とはなにか? これは相当に難しい問題です。  私が「サクラダリセット」の相麻菫の姿に「優しさ」を見て取るのは、彼女が辞書的な

            スキ
            7

            私に優しさの美しさと悲しさを教えてくれた物語:「サクラダリセット」シリーズについて①

             河野裕『猫と幽霊と日曜日の革命 サクラダリセット1』(角川文庫)から始まる「サクラダリセット」シリーズについて語ることは、私自身について語ることとそう大差ないように思います。noteで便宜的に「自己紹介」を最初に書きましたが、他者を知るのにはその人が大切にしている本を教えてもらい、読んだ方がよっぽど雄弁に物語っているでしょう。そういう意味では、自分が自分について語る「自己紹介」は直接的な方法であるけれど、それはどこまでもその人を巡る事実に過ぎません。  本を読んで触発され

            スキ
            11

            だから私は法学部に入った

             ツイッターでもnoteでも法律のことにはあまり触れないようにしていた。それは、私にとって法律は、仕事や職業、あるいは大学と密接に結びついていて、休みの日に仕事の話をしたくもされたくもなかったりするのと似ていた。自分が好きな本や珈琲の話をするわけではないから、なんだかこそばゆく感じられて、そのことに触れるのが憚られていた。  結論。私が法学部に入ったのは、たまたま法学部に合格したからだ。それ以上でもそれ以下でもない。でも、私はたとえ法学部に入っていなかったとしても、法曹をめ

            スキ
            7
            有料
            100

            中村隆之『第二世界のカルトグラフィ』(共和国)を読んで

             人と出会うことで触発されるように、本との出会いも一人の人間の人生を大きく変えることがある。本との出会いの場は種々ある。書店に足を運べばそこには数えきれないほどの書物に圧倒されることだろう。インターネットが発達した今日では、自分の興味に適うジャンルのおすすめ作品をみつけるのも容易い。あるいは、友人に本を薦めてもらうこともあるだろう。  私が『第二世界のカルトグラフィ』を手に取ったのは、ひとえに著者の中村隆之先生に大学時代に語学や演習でご教授いただいた縁があったからだ。その縁

            スキ
            8

            生きてるなら、理想と綺麗事を信じろ

             生きるとはいったいどういうことなのだろう、と夜が来るたび考える。その問いに正面から答えることは難しいけれど、生きていることを前提に物事を考えることはできる。  生きるということは、いくつもの前提の上に成り立つ奇跡みたいなことで。それなのに、いざ生きるということになると、辛いことや苦しいことが第一に想起されることが多いように思う。別に私は誕生や生きていることを言祝いでいるわけではない。でも、たまにはそういう私たちの生のありえなさや偶然性に思いを致してみるのも悪いことではない

            スキ
            33

            愛に代わる信仰

             私にとっての恋愛というものを綴ってみる。  中学生くらいまでの私は、恋愛というものに寛容であった。そもそも、そのときの私は、恋愛に付随するものについてしか考えていなかったように思う。言い換えると、言葉を使って思考していなかった。感覚だけで動いていた。いまの私は、そうすることができないから、ほんの少しだけ羨ましくもある。  中学生以降というと不正確だけれど、それから私の価値観の根本を揺さぶるような本に出会ってから、恋愛というものに対しての私の向き合い方は一変した。価値観の

            スキ
            18

            ふたつの白い箱

             「選択」について考える。なにかを選ぶこと、選ばざるを得ないこと、あるいは選択肢なんてないこと。これまでいくつかの記事で「選択」について触れてきた。いつからか私にとって「選択」は人生におけるちょっとしたテーマになっていた。それはきっと、私がいわゆる「普通」といわれるような人生のレールから少なからず外れて生きてきた、生きざるを得なかったことによる側面があるのだと思う。私はある時期に一日のほとんどの時間をひとりで過ごしていた。課題や定期試験、あるいは仕事でも置きかえられるけれど、

            スキ
            6

            夏の夜に冬の朝を想うということ

             夏の暑い日に冬の寒さに思いを致すことは滅多にないように思う。暑い日は暑さに必死だし、寒い日は体を温めることに注力するから。季節の移り変わりを肌で感じて、それに伴って服装を変えて、また、心の持ちようも変わってきたりもする。夏は夏の楽しみ方、苦しみ方があって、もしかしたら、夏に冬に思いを致すことは愚かなことなのかもしれない。それでも私は、こんな夏の夜に冬を想って文章を綴ろうと思う。  私は、大学生のときにコーヒーチェーン店で働いていた。そこで私は早朝のシフトに入っていた。具体

            スキ
            14

            はい法学部外国語学科フランス語専攻です

             私の母校に入るのには注意深くなった方がいい。というのは、法学部なのに、1、2年のときに英語と第2外国語が必修で、そこそこの時間をかけて学修するからだ。  1年はまあ、許容できる人が多数だと予想される。語学は出席が第一で、とりあえず出席していればなんとかなる可能性は高い。もちろん、なんとかならない人もいるわけだけど。  英語は日本人の先生とネイティヴの先生の週2コマで、第2外国語(私の場合はフランス語)は文法が週2コマ、ネイティヴが週1コマの計3コマだった。1年生の語学は

            スキ
            23

            無限大の欲望

             私たちが生きる上で自明視しているものは、そうでないことが少なくない。私たちがまだ少年・少女だった頃は、職業に対して抱く感情は可能性に溢れていただろう。それは信念ともいえるかもしれない。何にでもなれるという全能感。  けれど、少年・少女は、ずっと少年・少女のままでいられるわけではない。幼い頃に抱いた願いをより一層確信することもあれば、それが幻想に過ぎないと結論付けることもあるだろう。なにかを選ぶということは、選ばれなかったことから目を逸らすともいえる。可能性の束の中から、リ

            スキ
            9