見出し画像

生きることに価値を見いだす偏見

 いくつもの言葉が呪いのように渦巻いて、私を捕らえて離さない。その一方で、言葉を使いつくしても自分にも他者にも伝えられないことがあるような気がして、途方に暮れる。声にならない言葉とともにあることは存外疲れるものだ。

 言葉にするということはなにかを決めること、可視化すること。書かれなかったこと、いわれなかったことと区別されるもの。なにを書いたか、あるいはなにをいったかではなくて、ほんとうに大切なのは書かれなかったこと、いわれなかったことなのに、書いてしまったこと、いってしまったことの間違いが気になってしまう。言葉は味方にすることができればこれにまさる友はいないが、そうすることができなければ自分も他者も傷つけてしまうだけのこともある。

 みずから立てた規範に従うことが私にとってささやかな矜恃だった。自分の力が及ぶものと及ばないものとの峻別は上手くできない心のなかだけの理想主義者だったかもしれないけれど、私が私のままでいることがもっとも大切なことだった。ほしいものはなにもなかった。ただ失くしたくないものがあるだけだった。だって私は幸せになりたかったのではなくて、不幸になりたくなかったのだから。

 目を逸らすことができないさまざまな問いに答えをみつけることをいったん留保して、もう少しだけ時間をかけてみようと思う。これまで私がこだわってきたものを捨ててまでそうすることに意味や価値があるとは思えないでいるが、今はそのような意味や価値を問おうとする姿勢を括弧に入れなければならない。ものすごくむずかしいことだけど、評価や解釈をしないで自分のなかにある声を聴くことができたらいいな、と思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?