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3/27「夜桜とうんちく」短編小説

3月27日 さくらの日
1992年、日本さくらの会により制定
3×9(さくら)=27の語呂合わせと七十二候の桜始開の時期であることから


近所にちょっとした桜の名所があるが、混んでいる日中にいくより、人が少ない夜に見に行くのがオレは好きだ。
ちょうど夕食後の暇な時間を持て余していたのでふらりと散歩がてら見に行くことにした。

桜は昼と夜では違った表情を見せてくれる。
昼の桜は、清楚でかわいらしいイメージ。柔らかい薄ピンクに心も華やぐ。
しかし夜の桜はライトアップされてほんのり紫色に見えてしっとりと色っぽい。

そんな夜の桜をうっとりと眺めていると、ひとりでふらふらと歩く女性がこちらに近づいてくる。
「こんばんは。桜がきれいですね」
女性が話しかけてきたのでオレも答える。
「こんばんは。ちょうど見ごろですね」
女性からふわりとアルコールの香りが漂ってくる。酔っぱらいのようだ。
歳はオレと同じくらいだろうか、スエットの上下に、缶チューハイが見え隠れする袋を手に下げている。
家でのんでいて酒が足りなくなり、スエットのまま店に買いに行き、帰りに桜を見に立ち寄ったのだろうという予想がすらすらと思い浮かぶ。

「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿って知っています?」
女性は挨拶だけで去ってはいかず、会話を続けた。酔っぱらって気が大きくなっているのだろうか。まあいい。しばらく付き合ってみよう。
「いえ、知りませんが」
「桜は切るとそこから菌が入って腐ってしまうことがあるから、素人がむやみに切ってはいけないのです。でも梅は切った方がよく成長するのです」
「この前、折った桜の枝を子どもに持たせて写真を撮っている親がいたのです。もちろんその親や子が折ったとは限りません、最初から折れていたのかもしれません。しかし折っていたとしたらまさしく馬鹿です」

「全国のソメイヨシノは一本の木から増やしたクローンです。クローンってことは遺伝子同じですよね、じゃあ病気になったら大変じゃないですか。その遺伝子が対応できない病原菌にやられたら一気に広がって全滅してしまうかも。どう思います?」
どう思いますと聞いておきながらさらに女性は話続ける。

「川沿いに桜が植えられているのはですね、桜を見に来た大勢の人に土手を踏み固めてもらうためらしいですよ」

「桜が咲くのは春だけじゃありません。四季桜は春と秋、二回咲きます」

「ソメイヨシノは低温状態が60日続かないと開花しないのです。寒い冬を経験しないと春が来たことに気づけないのです」
女性はオレがそこにいないかのように一方的に桜のうんちくをつらつらと語る。

社会人やっていれば酔っ払いの相手など慣れたもの。むしろ彼女なんてかわいい方だ。
それに桜のうんちくがおもしろくてつい聞き入ってしまう。

楽しいひと時だったがそれは突然幕を閉じた。
「あ、話しすぎました、ごめんなさい、さようなら」
女性は話しかけるのも唐突だったが引き際も唐突だった。
ふらふらとオレから去っていく。
「大丈夫ですか?ちゃんと帰れます?」
その背中にオレが話しかけると、
「ありがとうございます、家、すぐそこなんで大丈夫です」
近くにあるアパートを指さして言った。
見知らぬ男に住んでいるところ教えるなよ、と思いつつしばらくその背中を見送っていると、宣言通りそのアパートの共有出入口に入っていった。
それを見届けつつ、もう少しお近づきになりたかったなあ、なんてオレは思っていた。
でもあんなに酔っぱらっているときにしつこくするのも相手に悪い。
残念に思うが美しい夜桜を眺めることでオレは気持ちを切り替えた。


数日後、近所の本屋に行ったら、店員としてそこで働く女性がいた。
近所に住んでいるし、ばったりどこかで会う可能性もあるかもしれないとちょっと期待はしたが、まさかこんなにあっさり会えるとは。

オレのこと覚えているかな。オレは営業職ということもあり、人の顔を覚えるのは得意だ。しかし彼女は酔っぱらっていたから記憶がないかもしれない。それに暗かったしどうだろう。
そう思って彼女を見ているとパッと目が合った。
彼女はいらっしゃいませと言いつつ照れくさそうに目をそらした。
これは、覚えている可能性大。オレは鼓動が早くなるのを感じた。

夜とは違って、働く彼女は清楚でかわいらしい。まるで昼の桜のようだ。
こんにちは。桜がきれいですねと声をかけたら彼女はどんな顔をするだろう。
春は新生活、そして新しい出会いの季節だ。そう思うとつい浮かれてしまう。
買う予定だった雑誌を手にオレは彼女に近づいていった。

おしまい


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