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中間優善のnote

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中間優善から自他に対して思っていること、想っていること、考えていることなどをまとめたマガジンです.
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2021年2月の記事一覧

自分以外の「人」を考慮した生き方は、自然に死を意識させる.

自分以外の「人」を考慮した生き方は、自然に死を意識させる.

5年前の自分は、死んでもいいから何かを感じたいと思っていた.

今は死ぬのが怖いと思っている.
それは失いたくないものを多く持ったからだと思う.

自分とそれを死が分かつまで、失うことは万が一にもない、というところまで来たからだと思う.

守りたいものができた分、大胆なことが出来なくなり、身動きが取りづらいのも事実である.

5年前の自分は、何かを強く感じるためなら死んでもいいと思っていた.

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独りになるのが怖い人は次の対象を探すのをやめて自分に自信が持てるように何かを頑張ればいいと思う.

独りになるのが怖い人は次の対象を探すのをやめて自分に自信が持てるように何かを頑張ればいいと思う.

「良い知らせ恐怖症」というものがある.

これは架空の恐怖症などではなく、実在する恐怖症である.

良い知らせを聞くと、次に悪いことが起こる可能性に意識が働いてしまい、恐怖感に襲われたり、体調を崩したりする.

「良いことが起こると、必ず悪いことが起こる」という風に神経質になってしまうのだ.

「孤独」は、良い知らせ恐怖症における「悪いこと」と同じ位置づけかもしれない.
人に囲まれたり、誰かと寄り

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富裕層時代の親父から教わった「お金」のこと.

富裕層時代の親父から教わった「お金」のこと.

ギターとタイピングで手のひらが筋肉痛の中間優善です.

この写真は、僕が中学2年の夏(2014年)にフィリピンのマニラで撮られた写真です.
真ん中が僕で、右が2歳下の弟、左が3歳下の妹です.
写真の使用許可を取っていないので、モザイクです.

ちなみに後ろにいるサングラスの男性が親父です.
まず見た目が強烈ですね(笑)
使用許可は取っていませんが、たぶん気にしないので大丈夫です(笑)

髪の短い僕

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約3年ごとにストレートネックの痛みと再会し、その度にデジタルから離れて自然と対話している.

約3年ごとにストレートネックの痛みと再会し、その度にデジタルから離れて自然と対話している.

鶏の胸肉とグミばかり食らっている中間優善です.

近年はスマートフォンやパソコンなどのデバイスが普及したことで、視力に関する問題をよく耳にする.
それと同じくらい耳にするのは「ストレートネック」だろう.

ストレートネックは、人がデジタルデバイスを操作しているときなどに無自覚のうちに前傾姿勢になり、首が前に突き出ることで本来緩やかなカーブを描ているはずの頸椎(けいつい)という骨がまっすぐになってし

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