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富裕層時代の親父から教わった「お金」のこと.

ギターとタイピングで手のひらが筋肉痛の中間優善です.

この写真は、僕が中学2年の夏(2014年)にフィリピンのマニラで撮られた写真です.
真ん中が僕で、右が2歳下の弟、左が3歳下の妹です.
写真の使用許可を取っていないので、モザイクです.

ちなみに後ろにいるサングラスの男性が親父です.
まず見た目が強烈ですね(笑)
使用許可は取っていませんが、たぶん気にしないので大丈夫です(笑)

髪の短い僕が見られる滅多にない機会なので、思う存分見ておいてください(笑)


ここから本題ですが、今回は僕が親父から教わってよかったことの中で、ランキング上位に入るであろう「お金」の話です.

これはお金の稼ぎ方に関する話ではなく、ある意味「使い方」の話と言えます.


僕が小学校を卒業するころから、親父は仕事の都合で、よくフィリピンに行っていました.

中学に上がって早々、「海外興味ある?」と言われ、その時の僕は大して興味を抱いていなかったので「ない」と答えました.

ちょうど1年後、僕が中学2年に上がったときに親父が同じ質問をしてきました.

僕は「行きたい」と言い、親父は「手配する」と言いました.
そして、その年の夏休みの大半をフィリピンで過ごしました.

僕たちが泊まっていたホテルは、世界展開しているマリオットホテルで、子供にもわかるほどグレードの高い部屋でした.

親父は僕らが寝ている時間からスーツを着て外に行っていたため、ホテルのロビーを一緒に歩く機会は、ほとんどありませんでした.


ある朝、「連れていきたい場所があるから支度をしろ」と言われ、あまりないことにびっくりしながら急いで準備しました.

エレベーターを降りてロビーを歩いているとき、視界に入る全ての人が立ち上がり、「Mr.ナカマ」と、親父に向かって歓声と拍手を送っていました.

いつも見ていたロビーとは思えない光景にびっくりしましたが、そのとき親父が僕の耳元で「これがお金やで」と言い、どこか納得した自分がいました.


ホテルの外に出ると、1台の装甲車があり、それに乗るように言われました.
僕ら親子と、運転手が1人、機関銃を持った護衛の方が2人、いつも通訳をしてくれている男性の6人で乗り込みました.

手榴弾のダメージでも大丈夫なほど頑丈だと聞き、思わず「あれ、フィリピンで内戦起こってたか?」と少し不安になりました.

そこから3時間ほど走り、着いたのは戦場ではなく、何の変哲もない廃れた町でした.
こんなところに人が住んでいるのかと思うほど廃れていました.

親父に「よく見ろ」と言われ、何を見ればいいのか分からないまま、何かを必死に見ました.

そうすると、親父が見ろと言ってきたものが何かわかりました.
それは子どもたちです.

一般的には「ストリートチルドレン」と呼ばれたりしています.

よく見ると、20人ほどの子供たちが、路地や建物の中で、静かに生きていました.

当時の僕と年が近いと思われる人から、まだ3歳ぐらいだと思われる子もいました.
みんな痩せ細り、ただただ真顔で、楽しい雰囲気や幸せな何かを全く感じ取れませんでした。

何も考えられず、ただその光景から目を離せずにいる僕に、親父が「お前は不幸か?」と聞いてきました.

僕が「幸せやと思う」と言うと、「いや、お前は不幸や」と親父が言いました.

親父が何を言っているのか理解できず、でも何をどう質問すればいいのかわかりませんでした.

すると「お前はあの子たちを助けたいか?」と聞かれ、「当たり前やろ」と少しキレ気味で返すと、胸ぐらをつかまれて「それや、それがお前が不幸な理由や」と言われました.

またもや理解できず、なんだか怒りの感情がこみ上げてきました.
そのまま涙があふれ、親父も涙を流していました.

ホテルに戻り、テラスのソファで「優善の不幸とあの子たちの不幸は全く違う種類なのはわかる?」と言われ、「違うのはわかるけど、どう違うのかはわからん」と答えました.

すると親父は「あの子たちの不幸は、ひっくるめて言うと恵まれてないことで、優善の不幸は、例えあの子たちを救いたいと思っても救えないほど無力である事やねん」.

僕は車の中で理解できなかった親父の言葉を少し理解しました.

「朝のロビーで、お前は金の力の、ほんの一部分を見たと思う」
「うん、見た、すごかった」
「あれを見れば、金がどれほどの力と可能性を持ってるか分かったやろ」
「うん、すごく大きいと思う」
「一番重要なのは、その力を何にどう使うかやで」
「使い方が大事ってこと?」
「そう、使い方が大事」
「わかった、覚えとく」
「おぅ、死んでも忘れんな」


僕は親父から「稼ぎ方」を教わったことは一度もありません.
「使い方」を教わったのだって、今回書いたことだけだったかもしれません.

とにかく親父が言いたかったことは、今ならわかる気がするし、とても重要なことだと思います.
「死んでも忘れんな」と言われる前に、そもそも忘れられるわけがない体験をご紹介しました.

ちなみに、当時親父はホテル業をしていました.
今は色々とあって、のんびり暮らしています.


「富裕層時代の親父から教わった「お金」のこと.」

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