【.*常識を覆す。躾の入らない犬が私にとって最高の相棒である理由*.】

隠していくこともつらいので赤裸々に話したいと思います。
尖り続けたその先に、誰かの心が救われて
自分も生きやすくなりますように。

マジョリティ(多数派)
マイノリティ(少数派)

私はマイノリティである自分を隠して
マジョリティの中で穏やかに生きていきたいと思っていました。
自分の中の当たり前と
他人の当たり前が違う。
それも気付いていました。

違うことは当たり前なのです。

ただ、今の日本社会は特にですけど、
当たり前が多い方が当たり前になっています。
コロナの流行が収まりきらない理由もこの心理にあると思っていて
みんながこうだから、こうでいい。
みんながなってるから、しょうがない。
国が悪いとみんなが言うから、感染は国のせい。
気づけばそれが正しさになってたりする。

話を戻します。

冒頭でお話ししたマイノリティな自分を隠してマジョリティに生きる。
それでもボロは出ます。
当たり前だと思っている人が多いから、マジョリティ。
私の当たり前が当たり前じゃない環境なので、
言葉をよく考え発さないと間違ったら空気が凍る。
外国の重要な会議に、現地語をあまり知らない私が乗り込む感覚。

伝えるには相手を知り
とても慎重に発する言葉を考える。
大体が自分の考えと違うので
もちろん切り込めずに終わることもある。

そんな人生でした。

自分が悪い、自分が黙ってればいい。
それでも解決するにはこの考えがいいのにどうしてそうしないんだろう?
そう言う思いは止めどなく溢れてくる。
その溝が年々深くなっている中で犬を拾いました。

マナーという言葉はもちろん知っている。
うるさくて捨てられたこの子を里親に出すには?
もう捨てられないようにするには?

吠えなくするしかない。

そう思い、躾をしようと観察していると
とにかくうるさいんだけど、いつもうるさいわけではない。
犬も用事がある時に話しかけてくるんだなあと思いました。

声を小さくしてと言っても、
坊ちゃんは自分を大事にしているので
とにかく自分の主張を優先する。ひたすらうるさい。
願いが叶えば天使なのだ。

それはきっと彼らから見た人間も同じなのだろう。

お手をしてあげれば喜ぶ。
ギブアンドテイクでしょ。
人間は自分主体で考えすぎなのだ。

それでもまだマジョリティに生きられると思っていた私は
しつけ本を買ってみては
要求吠えに応えたらダメだ。
吠えなくなったら里親に出そう。
1人暮らしで犬を飼うなんてかわいそうだ。
うるさくしたらダメだ。なんて思っていました。

そんな毎日が続き、とうとう里親に出すのは無理だと悟りました。
きっかけは「しつけ教室に出せば?」という話でした。

私も考えてはいました。
ただ、私は長く一緒に暮らす中で気づいたのです。

この子にも感情がある。用事がある時しか吠えてない。
その吠えを強制するとしたら?自分が察し続けるしかない。
もしそれを私もしくは里親に出した先の人ができなかったらどうなる?

極論かもしれませんが、
そういう考えに至り、しつけをすることをやめました。
だってこの子はしっかり私の日常に困らないように寝食を共にし、留守番も一人でしていて、トイレも自分でできている。
置いていかれて怒るのは人間だって一緒だ。


他人から見れば、しつけの入らない犬。
うるさい、黙っていられない。
でも飼い主からすれば、ただ思ってることを教えてくれてるだけ。

マジョリティに適応することが善、自分が悪だと思って押し殺していたけど、本当は私だってわがままで傲慢でうるさい。
意味わからないことを押し付けてくる人には噛みついてやりたくなる。
それでも、それをしない理由は、そこまで表現してもマジョリティは向き合わない。
スルーして村八分。私は自分が存在しない世界で存在価値を否定され、そのバーチャルが現実にまで及ぶのだ。
それが、現代のいじめ。


この子のように生きられたら、楽だったのかもしれない。
そう思ってからは、犬と2人で細々と暮らしている。


「自分の感情を知る」
「自分の感情を伝える」
してはいけないと思っていたこともこの子ならできる。
犬は嫌なことは嫌って言ってくれる。
間違ってる時は言ってくれる。
人は言ってくれないこともある。
気付いたら自分の場所がなくなったりする。
そのリスクがある限り、表現はしない。


わたしは犬を拾った。
助けた形になったけど
心が救われたのはわたしの方だ。

今でも毎日喧嘩はしているけど、わたしは犬は捨てない。
その度に、自分を捨てなくていいって言っている気がする。

一応社会に生きているから騒音問題には気を使っている。
でもご近所さんがいいよって言ってくれているからいい。
それで、いい。

ネットなどでそれでもちゃんとしろ!とか言われるんだろうな
って思ったりもするけど適材適所だ。
いいならいい。ダメって言われたらごめんなさいって出ていく準備は常々している。
それがマイノリティがマジョリティ側に対するせめてもの償いと礼儀だと思って生きている。
自分の責任でちゃんとするから、それ以上は踏み込んでこないでと思っている。

犬と自分の心を守るためにすることは、躾じゃない。
自分で居場所を見つけて、作ることだ。
※最終的には山奥でキャンピングカー生活が一番平和だと思っている。

金髪OKの学校で金髪にして何が悪いの?というの一緒。
金髪にしたいからその学校を選べる子は強い。
それを金髪NGの学校の黒髪の子に否定する権利はない。
権利というと表現が少し傲慢かもしれないごめんなさい。
何が言いたいかって、黒髪の子は金髪を否定して自分が正しいと思いたいのだろうと思うけど、金髪にしたいなら学校を選ぶか校則を変えるなど行動した方が自分のためになるよって話。
校則を変えるのも根拠がないただのしきたりならきっとできるよ。

一番難しいのは、自分を押し殺そうとする自分と向き合って本当の感情を探ること。
願いに気付いて、でもそれが叶わないことだったらつらいよね。わかるよ。
でも、本当に叶わないことなのかな?
やってみないとわからないよね。

そんなことを、犬の躾問題を通して考えてた。
とりあえず、人それぞれ状況が違うことを
少しは理解しようと思えたらいいな。