見出し画像

#197 「オッサン」を作り出す中堅・若手世代

いかがお過ごしでしょうか。林でございます。

今日は、noteライター仲間のKASHIWAさんに触発されて、山口周さんの「劣化するオッサン社会の処方箋」からの気付きを書いてみたいと思います。

KASHIWAさんは独自に「オッサン学」を研究されていて、「オッサン」についてよく発信されています。

最近ご紹介した上記の本も手に取られていただいたようで、同じインプットであっても、おそらく私とKASHIWAさんの解釈でアウトプットが違ってくると感じており、その差分がどういうところなのか自分でも見てみたいという好奇心があります。
そのため、まずは私がこの書籍から得た気付きについて、文章にしてみることにしました。

「オッサン」の定義

「オッサン」の定義を簡単にご紹介しておきます。山口周さんは、「オッサン」をある年齢に達した性別の方全てを指しているわけではなく、次のような行動様式・思考様式を持つ人と定義しています。

・古い価値観に凝り固まり、新しい価値観を拒否する
・過去の成功体験に執着し、既得権益を手放さない
・階層序列の意識が強く、目上の者に媚び、目下の者を軽んじる
・よそ者や異質なものに不寛容で排他的

幸いなことに、私の周囲で上記定義に当てはまる「オッサン」は、そこまで多くないように感じます。
しかし、ニュースで「オッサン」が電車で暴れたとか、どこぞの市長が問題行動をしたとか、地域の「オッサン」ばかりの不寛容な組織や文化に嫌気が指して都会に出てくる若い人が多いとか、そのような話を聞くと、今でも相当数の「オッサン」がこの国に潜んでいるのであろうと推察できます。

私がこの本を読んで最も強烈に感じたのは、この国で「オッサン」を量産しているのは、「オッサン」そのものではないという指摘です。

「オッサン」を排除するための社会の自浄行動の選択肢は存在しているけど、それを行使していない周囲の「何もしていない人」に真因があるということです。

「オッサン」を作っているのは周囲の人間

一定数蔓延る「オッサン」は、その下の世代にとっては大きな悩みの種です。本人はわがままで頑固だから何より面倒くさいはずですし、そんな不寛容な組織にいては、自分も神経をすり減らします。

しかし「オッサン」を「オッサン」足らしめているのは、その周囲にいる中堅・若手世代にもその責任があります。

中堅・若手世代は、「オッサン」のおかしいと思う行動を見たら、「オピニオン」か「エグジット」のいずれかの選択肢が取れるのに、それらを選択することは少ないからです。

これらは、過去の明治維新や太平洋戦争を振り返ったとき、これまで社会で実権を握っている権力者に対して下の世代が圧力をかけ、一度社会システムをガラポンするときに繰り返し取られてきた手法です。

ちなみに明治維新は1868年、太平洋戦争終戦は1945年ということで、一度ガラポンして刷新した組織や社会システムが再び劣化するには80年あれば十分な時間ということになります。

次の80年後は2025年。歴史は繰り返してきたことを考えると、私たちが生きる現代は、まさに社会システムの改革前夜にいるとも言えます。

「オッサン」の言動に対して文句だけ言っていても何も変わりません。「オッサン」が構築した現代の組織や社会システムに対して「オピニオン」も「エグジット」もしないということは、「自分も権力者の言動を支持しているのと同じ」ということです。

「オピニオン」とは、「オッサン」のおかしいと思う言動や、既存の仕組みに対して「それっておかしいですよね」と言うこと。
「エグジット」は、そのようなおかしい組織や社会から、転職などの手段で離脱することです。

これも1つの「オーディエンスシップ」の形であり、周囲のROM(Read Only Member)専メンバーが「何も言ってないし、やってないから害はないでしょ」と考えて何もしない結果、結果的に自分も寛容性が低い組織、社会に加担する側になってしまっているということをよく認識する必要があります。

「オピニオン」と「エグジット」を行使するために

一定の「オッサン」が蔓延っていることを考えると、「オピニオン」も「エグジット」も行使していない中堅・若手も相当数いることが考えられます。

これらの選択を取ると、当然誰かに何かを言われたりしてストレスもかかりますから、タフな選択肢であることは事実でしょう。
でも、一番怖いのは、10年、20年・・と経った時に「必ず自分自身もオッサンになる」という事実です。

古い凝り固まった価値観で横柄に振る舞う自分自身の姿を、自分の子どもに、後輩に見せてしまうのって、私にとっては耐え難い恥ずかしさがあります。いわゆる「老害」。

どうせ歳を取っていくことが抗えないのであれば、自分の後進や子ども世代が「話を聞かせてほしい」と慕ってくれる、そんな「かっこいい先輩」であり続けたいです。

そのために、今必要なことは「オピニオン」と「エグジット」を選択できる自分でいること。

オピニオンを行使するためには、自分なりの価値観と判断軸で「いいこと・悪いこと」の線引きができることが重要です。
これは先日ご紹介した「自分のモノサシ」を持つために学び続ける、ということと同義で、単に「上が言っているから」という理由で日々の行動を決定しないことが大切です。

言葉では「それはそうだよね」と思える話だと思いますが、これを実行するのはとても難しい。これまで仕事で色んな現場を見てきましたが「上が言っているから」を判断軸にして現場の行動を決定する人が如何に多いことか。

管理職層のマネジメントクラスにいる人でさえ、平気な顔をしてそんなことを言っている人がいます。「私はマネージャー失格です」と公言しているのと同じなのを気付いていますか?と怒りすら感じることがあります。

「エグジット」を行使するために必要なのは、モビリティの高さであると指摘されています。モビリティとは、どこでも生きていける人的資本と社会資本を兼ねそろえることです。今の企業や部署でなくても、自分個人として周囲に価値貢献できる能力と人間性を持ち合わせること。そのためには当然ながら、自分の環境以外で何が求められているのか?社会はどうなっているのか?を理解する必要があります。

ただ、残念ながらこれも多くの人が行動できているとは言えない状況です。こちらの記事でも紹介した通り、「月に本を1冊も読まない人は47.3%、日本人のパスポート保有率は17%」と、私たちが外を知るために積極的に行動できているかと問われれば、疑問符が浮かびます。

「オッサン」を輝かそう

「オッサン」はダメだ、と文句を言っていても、「オピニオン」も「エグジット」もしなければ、やがて自分自身が「オッサン」になるだけです。
今後も「オッサン」が社会構造上の多くを占めることを考えると、「オッサン」輝かざるして、社会は良くならないのです。

「オッサン」の輝きどころは、人脈・金脈・知識・経験を「後進が必要な時」に、存分に供給することです。
そして、冒頭の「オッサン」には当てはまらない、素敵な先輩は年齢関係なく多くいることも事実です。

中堅・若手世代は、自分たちの教養を磨き続け、どこでも生きていける能力を獲得しながら、上の世代を上手く引き立てて自分たちがやりたいことを実行するという「したたかさ」を持つことが求められています。

それでは、今日もよい1日をお過しください。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!


この記事が参加している募集

#読書感想文

189,460件

もし面白いと感じていただけましたら、ぜひサポートをお願いします!いただいたサポートで僕も違う記事をサポートして勉強して、より面白いコンテンツを作ってまいります!