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能登半島地震の被災地へボランティアに行ってきました。

こんばんは。
夜分遅くに失礼いたします。

本当は、明日(?)というか今日、
寝て起きて書こうと思っていたのですが
記憶が薄れる前に残しておこうと思い。

駄文になってしまうかもしれませんが
お付き合いいただけますと幸いです。

※ここからは地震のお話をしますので
 もし気分が悪くなってしまう方がいれば、
 そっと閉じていただくようお願いいたします。




実は土曜日、能登半島地震の被災地へ
ボランティア活動をしに行ってきました。

石川県の健民海浜公園から
バスで2時間ほどかけて七尾市へ。

そこは、桜がたくさん咲いていて、
こんなことを言っていいのか分からないのですが
自然に溢れ、すごくのどかな街に見えました。

それこそ、震度6強の地震があった街とは
全然思えないほどでした。

ただ、屋根の瓦にはブルーシートが張られていて、
ところどころ瓦が抜け落ちているところも。

そこで、地震の影響を感じました。

私が行ったところは、七尾市でも南の方で、
目に見えて被害がひどかったわけではないようで。

(とはいえ、私が見た光景は一部なので
 もっと支援が足りず困っている場所も
 あるのかもしれません。)

ボランティアに来て2週間という
トラックの運転手の方のお話では、
更に北の輪島市やのとじまは
まだまだ支援の手が行き届かず、
瓦礫が道路を塞いでしまっていたり、
崩れた家屋がそのままになっていたりと、
3ヶ月以上経ったにもかかわらず
まだまだ支援が足りないとのことでした。

今回、私が参加させていただいたのは
石川県が公式で募集しているボランティア活動。

主に被災地の住宅にお邪魔して
使えなくなった家具や家電を運び出し、
処理場で分別をするという作業でした。

当日は土曜日だったからか参加人数も多く、
作業も割と短時間で終わりました。

おそらく地震から
3ヶ月以上経っているため、
家の中の掃除も整理も
一段落していたからだと思われます。

きっともっと早くに
ボランティアに参加された方は、
まずは必要なものと不要なものの
分別をすることが必要だったり、
土砂や泥をかき分ける作業が必要だったりと、
もっと大変だったのかもしれません。

ただ、整理されている荷物を運び出すとはいえ、
その量は少なくありませんでした。

私たちは10人で1チームを組んで
一緒に行動をしていましたが、
人手が多くて助かったと思う場面もしばしば。

途中、被災地の住宅へ向かう際に、
神社の鳥居や標柱がたくさん倒れ、
折れてしまっているところも見かけました。

完全に根元から崩れてしまっている
納屋もすぐそばにありました。

当日は雲一つない快晴でとても暖かく、
春の陽気に満ちていましたので
何ともその光景が不釣り合いで。

地震の凄まじさを物語っていました。

これほど大きな石が倒れるとは、
一体どれほどの揺れがこの街を襲ったのだろうか。

木造の柱がぽっきり折れてしまうとは、
一体どれほどの揺れがこの街を襲ったのだろうか。

暖かな日差しの中ですが、
胸をぐっと掴まれたように苦しくなりました。

午前中は2件のお家を訪問し、
家具と家電を引き取りました。

そして収集場へ運び、それぞれ金属や木等、
材質ごとに分別していく作業。

午後は、地震で落ちてしまった
屋根瓦を拾い集め、掃除をする作業。

たくさんの瓦が玄関の足元に落ち、
そこは出入口として機能していませんでした。

また、割れてしまった瓦は鋭利で
素手で触れるものではありませんでした。

10人で手分けして瓦を拾う、運び出す。
ゴム手袋をした手で瓦を拾い、土のう袋へ詰める。

これが、一枚ではなんてことない瓦でも、
複数集まると重いのなんの。

おじいちゃん、おばあちゃんの手では
かき集めることも、運び出すことも、
きっと難しいのだろうなと思いました。

作業が終わって、瓦は跡形もなく消え、
綺麗な石の階段が見えてきました。

その瞬間、ほんの少しだけ役に立てた気がして、
ボランティアに来てよかったと思いました。

被災地のボランティアはどうしても
災害で発生した廃棄物の運搬、移動が多く、
大きいものや重たいものが多いため
女性はなかなか助けになれることが少ないです。

それでも、住民の方から
「ありがとう。本当にありがとう。」
そう言っていただけると、
何とも言えない気持ちになりました。

嬉しい、というのとはまた違った、
胸の奥からこみ上げてくる熱い気持ち。

それは、悲しみと、苦しさと、
それを上塗りする嬉しさとが合わさった、
なんとも複雑な感情でした。

また、運搬するときには活躍できない女性でも、
分別するときには大活躍できるのが女性。

できることが少ないから、と
つい遠慮してしまいがちかもしれませんが
被災地へ実際に足を運んでみると
女性でも役に立てるところはたくさんありました。

もし、女性だからとためらっている方は
ぜひ、現地へ足を運んでほしいと思いました。
(炊き出しの活動等もあるようです)

それに、荷物の分別をしたり、住民の方とお話したり、
土のう袋をたたんだり、救急処置をしたり。

女性でも、できることは多くあるように感じました。

ちなみに今回、私が参加したのは
震災から3ヶ月が経った後。
復興は少しずつ進んでいました。

輪島市やのとじまには行けておらず、
まだまだ北の地域は支援が足りないとのこと。

ただ、私が足を運んだ七尾市は、
少しずつ、少しずつ、町が復興に向けて
立ち上がっているような雰囲気を受けました。

とあるお店の前には、
「能登半島、復興!」の文字が書かれた
看板が立てかけてあったり。

桜がたくさん咲いていたので、
現地の方がお花見に来ていたり。

少しずつ、少しずつ、前を向いて歩いている姿は、
それこそ何とも言えない気持ちになりました。

そして、今回のボランティアを通して、
私は自分ができることが
本当にちっぽけで、無力だと感じました。

男性ほどの力もなく、
細々としたものを運び出したり
分別することくらいしかできない。

でも、そんな人たちも10人集まれば、
あっという間に家具や家電を運び出すこともできる。

自分の無力さと同時に、人が集まったときの
絶大なパワーも感じることができました。

また、”被災地の方々を助ける”という
同じ志を持つ仲間だからか、
特に誰から何の指示もなくても
各自が自分のやれることをやることで、
テキパキと行動することができました。

組織を作るうえで、
同じ目標を持つことは
大切なのだな、とも感じました。

ただ、ボランティアとはいえ
被災地の方々への十分な配慮が必要。

人を助けるということは、
ひとりよがりではいけない。

本当に救いの手を求めている人に対して、
手を差し伸べる必要があるのだなとも思ったり。

良かれと思ってやったことで
相手を傷つけてしまうことは
日常生活でも往々にしてあると思います。

きっと喜んでくれるだろう、
きっとこうしてほしいだろう。

そんな思い込みで、
相手のことを傷つけていないか。

今回のボランティアは、
そのように自らを顧みる、
一つのきっかけにもなりました。

自分がやったことは果たして
本当に人の助けになったのだろうか。

被災地から帰ってきて日常に戻った今、
なんとなくぼんやりと無力感を抱えたままですが。

これで終わったわけではないので、
遠くにいても自分にできることはやろう。

そんな気持ちを抱きました。

被災地の方々への支援。
実際に現地へ行けなくても、
寄付をしたり現状を把握したり。

やれることはそれなりにある。

今回、本当に貴重な体験をさせていただきました。

それと同時に、これでよかったのかな、と
心の中で落とし込めていない部分もあります。

ただ、そんなことは
被災地の方々には関係ない。

被災地の方々にとって、役に立てたかどうか。

気持ち云々を抜きにして、
結局はそれがすべてだと思うのです。

私はそのうちの、ほんの一部に参加しただけ。

それでも、4時間弱かけて帰ってきたこの地でも。
自分にできることを見つけていこうと思いました。

まずは、寄付をするところから。

なんとも、まとまりのない記事になってしまいましたが
今日はこれくらいで終わりにしておきます。

また、思い付いたこと、書きたいことがでてきたら
ボランティアの話をしたいと思います。

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

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