卒業、時が経った今もなお忘れられないメッセージがある
「ねー。明日遊べる?」
「明日は無理かなー」
「じゃあいつ遊べるー?」
「うーん、ちょっと分からない」
小学生女子の会話が聞こえてきて、思い出した。
わたしもかつては小学生だった頃がある。
受け身で消極的な性格だったため、友達との遊ぶ約束でさえ受け身だった。
「今日遊べる?」
この言葉を言うのにかなり勇気がいった。
断られたら悲しい。
とにかく傷つくのが怖くて、聞けない。
傷つくくらいならと自分からはなかなか誘えずにいたのだけれど。
消極的な子には積極的な友達が出来る(ような気がする)。
ありがたいことに、わたしと仲良くなる子は
積極的な子がわりと多く
「Yuuuちゃん遊ぼ」「今日うち来てー」と誘ってもらうことが多かった。
小学生の頃はそれに甘えることが多かったのだが
同時に、遊びたくない日に断るということが出来なかった。
消極的であり断り下手だったわたしは
遊びたくない日も遊んでいて、来てーと言われたら流されるまま行き、時には無理をしていたと思う。
友達のことは好きだけれど今日は遊ぶ気分ではない、とか
今日は他の子と遊びたかったな、とか
顔に出さないようにはがんばっていたのだけれど
今思えば失礼なことだ。
そんな状態は中学生頃まで続いた。
部活も、最初に入ろうかなと思ったところではなく
友達と見学に行ったところで、たしかに興味は湧いたけれども半分流されるようにして入った。
目立つのは苦手なので自ら表に出ようとはしなかったし、相変わらず自分からは誘えない。
なんだか自分に自信がなく、受け身。
友達は部活仲間と、気の合うクラスの子と、わりと限定されていた。一学年9クラスのマンモス校というのもあるのだが、話したことのない人が大勢いた。まだまだわたしの人生の人見知り期。
中学生生活は毎日部活で、毎日友達と一緒で、充実はしていたけれど、満足はしていなかった。
物足りなさを感じる日々。
このままではダメだ、ということは自覚していた。
誰かに何かを言われたわけではないのだが
自分で自分の毎日に、縮こまっている自分に納得がいっていなかった。
このままの毎日は嫌だ。
受け身をとってばかりの毎日。
もっと自分の意思を伝えたいし、
もっと「おもしろいこと」をしたい。
自らでワクワクするような、浮足立つようなことがしたい。
この毎日から脱却したい。
しかしそれに向かって行動が起こせず、“何か”も見つからず、どうしたら良いのか分からないモヤモヤとした日々を過ごしていた。
“何か”を求めているのに、受け身な性格を変える勇気はなかった。
そんな感情のまま中学3年生の卒業間近。
間もなく卒業式、という日にクラスの一人一人に当てての色紙に寄せ書きを書くことになった。
この子話したことないなー、何書こう、、なんて困ってしまい、仲良しの子以外にはありきたりなメッセージを書いてしまった。
そんなわたしでも卒業式は感動的で
生徒会長の言葉に涙。
モヤモヤはしていたけれど、やっぱり3年間の思い出は多いのだ。
卒業式の日、先生から先日の色紙が配られた。
クラスメイトからのメッセージを読む。
仲良しの子以外からはありきたりな言葉が並ぶ。
そりゃあそうだ。わたしもそう書いたのだから。
しかし、その中で毛色の違うものを見つけた。
「色々とできる人なんだから、もっと自信を持っていいと思うよ」
驚いた。
この言葉をくれたのは同級生の中でも大人っぽい、落ち着いた男の子で
たしか体操部のキャプテンだったか、同じ中学3年生とは思えないようなしっかりした子という印象。
あまり話したことはないはず。
ドキリとした。
見透かされていたのか。
わたしのこのモヤモヤを、物足りなさを、納得のいかない感情を。
この気持ちは誰にも打ち明けたことはないのに。
あまり話をしたことのない彼はわたしの自信のなさに、自信がなくて行動ができないことに、気がついていたのだろうか。
卒業後の進学先が違うということもあり、彼とはその後話をしていないので
どのように思ってこのメッセージをくれたのか、真意は分からないのだが。
思ってもみなかった人からのメッセージが、だいぶ年月の経ったいまでも強く印象に残っている。
いまのわたしは、自分からよく遊びに誘う。
断られるということに怯えなくなった。
断ることにも抵抗がなくなった。
断られるのも、断るのも、マイナスな感情だけではないということを知っているから。
そして自分の意思を人に伝えられるようになった。
好きなものは好き。
嫌なことには流されない。
自分のことをただの受け身だとは思わなくなり、楽しむことを探すのが上手になった。
卒業をきっかけにメッセージをくれた彼にはとても感謝している。
本人は覚えていないと思うのだけど
わたしが変わったのは、あの時の彼からのメッセージも少なからず影響しているはずだ。
そして、色紙や手紙を書くときにはありきたりな言葉ではなく“自分の言葉”を意識するようになった。
誰とも異なる、自分だけのメッセージを贈りたい。その方が伝わると思っているし、たとえ読んだ一瞬の間だけでも相手の頭にわたしの言葉が残るのはうれしい。
卒業を終えた方もこれから迎える方も。
たとえもう会う機会がなくなってしまう人だとしても
相手に何か気になるものがあったのなら
伝えたい言葉があるのなら
メッセージを贈ってみるのはいかがでしょうか。
わたしのように、そのメッセージを大切にして過ごす人がいるかもしれません。
そのメッセージに救われたり、行動を起こすきっかけをもらう人がいるかもしれません。
仲が良い人ではなかったからこそ
伝えたり伝わったりするものがあるかもしれません。
誰か見ていてくれる人がいるというのはうれしいものです。
言葉の力は大きい。
ご卒業おめでとうございます。
みなさまにとって良き春となりますように。🌸
わたしの中学時代の思い出はこちら
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