自分という「主体」を強くするには

マーケティングの話ばかり投稿してても疲れるため、この投稿では最近自分が思っていることを書きたい。

よく、「自己肯定感を高める方法」といったフレーズを目にする。私はそのフレーズを見るたび、「そんな方法あるわけないだろ」と思う。

なぜなら、自己肯定感とは、「他人の言動や態度によって左右される」と思っているからだ。

私はもともと自己肯定感が高かったはずなのに、何年か前に他人からの心無い発言によって自己肯定感が大きく下がった。結局その自己肯定感を元に戻すために、これまで多くのお金と時間を使ってきた。

前置きが長くなったが、これから私の思う、「自分という主体」を強くする方法について紹介していきたい。

それは、端的に述べるならば、
「自分の取った行動、言動、思考が、全て正しいと本気で思い込むこと」
である。

さらにいうならば、
自分の取った行動、言動、思考「だけ」が、全て正しいと思い込むことだ。つまり、「自分以外の人が、自分に下す評価が、全て間違っている」と本気で思い込むことでもある。

非常に分かりやすい例を挙げたい。

私が空を見上げて、「今日は晴れている」と思うとする。
しかし、隣にいた友人が、「何を言っているんだ。今日の天気は曇りだよ」と言ったとする。

そこで、「ごめん、俺が間違ってた。君のいう通り、今日は曇りだね。」というのは、違う。
それでは、自分という主体が弱くなってしまう。

先ほども述べたが、自分という主体を強くするには、「自分の取った行動、言動、思考だけが正しいのだと本気で思い込むこと」なのだから、
自分が「今日の天気は晴れ」だと思ったならば、その意見だけが正しく、「曇りだ」と言った友人は間違っているのである。

先ほども述べた通り、自己肯定感は他人の言動や態度に左右されるものだと私は思っている。

しかし、自分という主体を強くするか、それとも弱くするかは、自分の意識次第でコントロールすることができるとも思う。

これは決して他人を傷つけたり、他者を落とすことによって自分を上げるということではない。

自分だけが正しいのだと「思い込む」ことにより、自分という主体を強くしていこうという話である。

よく、「自分の評価をするのは、自分ではなく他人である」というのを聞く。

まぁ、世間一般には、確かにそうだよな。とは思う。

がしかし、私は、自分のことを価値の高い人間だと思っているため、
「自分の価値を正しく評価出来ない人」や「自分を否定する人」のことをもはや人として見ていない。

そのため、自分という主体が他者によって淘汰されるという事態は発生するはずもなく、自分は自分の理想像を追い求めることができる。

その理想像を追い求め、その自分を正しく評価してくれる人を、大切にしていこうと思う。

今の世の中は、みんな「良い人」すぎるんだと思う。

しかし、これは私の好きなアニメのキャラクターのセリフだが、

「良い人とは、自分にとって都合のいい人のことを、そう呼んでいるだけ」なのである。

他人に迷惑をかける「自己中(自己中心的)」
は良くないが、誰にも迷惑をかけていないのであれば、とことん自己中でいようというのが、最近の私の考えだ。

みなさんがこの文章を読んで、もしかしたら、
「この人の考えは間違っている」と思うかもしれない。

しかしその考えが私という主体に届くことは決して起こらない。

それはなぜか。

私自身が、今現在書いた文章の内容「だけ」が、「全て正しい」と思っているからである。

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