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【映画にしたくなるホラーな夢】死者からの学び

 昼寝をしたときに見た夢をそのまま文字にしました。
 普段からストーリーのはっきりした夢を見がちなのですが、今回は内容がホラーだったので目を覚ました瞬間は鼓動が速かったです。
 登場人物は私以外すべて、夢の中で作り出した架空の人物です。

 温もり。

 月並みな表現だが、その写真を見たとき頭に浮かんだのはそんな言葉だった。

 * * *

 私は今、亡くなった祖父の田舎に来ている。目の前には、昔ながらの大きな一軒家。10年前に祖母が亡くなってからは、祖父がひとりで住んでいた家だ。築60年といったところだろうか。

 明かりが灯っていたときは温もりを感じた木造の古民家も、家主を失った今は寂し気な様相だ。貰い手がなく、一週間後には取り壊されてしまう。

 取り壊される前に、祖父の遺品整理をしなければならなかった。おじいちゃん子だった私はどうしても最後に祖父の思い出を拾いたくて、新幹線と電車を乗り継いで県外からやってきた。

 祖父は90歳だった。少しずつ体のあちこちに不調が出てきて、最後の3ヵ月は入院生活をしていた。もう長くないとわかっていたので、私は暇さえあれば祖父の顔を見ようと病院に足を運んだ。結局、祖父は家に帰ることなく、そのまま病院で息を引き取った――。

 数日前までのうだるような暑さはどこへ行ったのか、季節はすっかり秋だ。玄関の引き戸を開けると、薄暗い空間が広がる。私は、土の敷き詰められた玄関に一歩足を踏み入れた。この横に広い土の部分だけでも6畳ほどの広さはあるだろうか。

 3歩進み、膝より少し低いくらいの高さに作られたコンクリートの段の上で靴を脱ぐ。もう一段上がったところには、10枚の畳が敷き詰められている。私の腰の高さほどのところにあるこの畳に上るために、踏み台の役割をするコンクリート部分が作られたのだろう。

 昔の家は、なぜこんなに玄関が広いのだろうか。私が住んでいるワンルームの部屋がすっぽり入ってしまう。そんな玄関も、祖父が生きていた頃は次々と訪れる客人の靴が並んで賑やかだったが、今はシーンという音が聞こえてきそうなほど静かでだだっ広いだけの空間だった。

 湿っぽい玄関を抜けて、また引き戸を開ける。そこは祖父が一日の大半を過ごしていた居間だった。南向きの窓から太陽光が差し込んでいる。寂し気な外観、薄暗い玄関と、少し気持ちが落ちそうなところだったので、明るい部屋の雰囲気にホッとする。空気の入れ替えをするために窓を全開にすると、縁側に腰を下ろした。

 昔はよく、おじいちゃんとふたりでここに座って、スイカを食べたな。

 この家がなくなってしまうのは寂しいけれど、せめて最後におじいちゃんとの思い出をたくさん拾って帰りたい。さあ、暗くなる前にやってしまおう。

***

 祖父が入院してから、近くに住む祖父の娘である私の母、そしてその夫である私の父が、ふたりで少しずつ片づけていたこともあり、もう終わりは見えていた。あとは、祖父の趣味のものから私が残したいものと処分するものを分けるだけだ。まずは、本を見てみよう。

 本といっても、文庫本からハードカバーの本、雑誌などいろいろある。一番処分しやすそうな、雑誌から見てみようか。

 釣り、お酒、登山など、いろいろな種類の専門雑誌があって、祖父が多趣味だったことがよくわかる。正直どれも私の趣味とは違うので、すべて処分してしまって良さそうだ。これもこれも、これも処分して大丈夫かな。

 そのとき、ある雑誌のタイトルが目に留まった。

 『日本の職人たちー卓越した手業ー』

 色あせているところを見るとかなり昔の雑誌のようだが面白そうだ。手に取って、パラパラとページをめくっていく。その道一筋の職人たちが手業でものづくりをする様子が、写真と丁寧な文章でわかりやすく紹介されている。

 その中でも、特に惹かれたページがあった。野球の硬式球の手縫い第一人者、その道30年という佐藤さんのページだった。あの硬式球の赤い糸を縫っている写真が添えられていて、佐藤さんの経歴や手縫いに対する思いなどが綴られている。佐藤さんの縫った硬式球の印象、それが「温もり」だった。

 そう思った瞬間にはもう、私の心に佐藤さんが入り込んでいた。祖父を失ってぽっかりと空いていた心の穴に、「温もり」という言葉がちょうど埋まったのだと思う。どうしても直接会って、佐藤さんの作品はなぜ「温もり」を感じるのかを訊いてみたくなった。

 とはいえ、この色あせた雑誌に掲載されている情報は古い。佐藤さんの工房がまだあるかどうかもわからない。生年月日から計算すると、今は85歳のようだ。現役は引退している可能性の方が高いだろう。まあ、ダメもとでいいから電話をかけてみよう。

 私は、スマホを取り出し、雑誌に掲載されている工房の電話番号を打った。かかるだろうか。ほんのちょっとの間がとても長く感じる。かかった!

 プルルルルルルというコール音が鳴り始めた。3回鳴ったところで音が消える。つながったようだ。

 「もしもし」

 返事が返ってこない。

 「もしもし?」

 「はい」

 少し小さいが、男性の声が聞こえる。佐藤さんだろうか。

 「あの、私、やまもとゆうかと申します。日本の職人たちという雑誌を見てお電話したのですが、佐藤さんでいらっしゃいますか?」

 「ああ、あの雑誌ね。はい、佐藤ですよ」

 「良かった! 突然お電話して申し訳ありません。佐藤さんのお仕事の様子を拝見しとても感動して、工房に伺って直接お話を訊けたらなーと思ったんです。今も工房はやられているんですか?」

 「やっていますよ。私ひとりでやっている小さな工房だけど、良かったら遊びに来てください。いつでも待っていますよ」

 「え、本当ですか!? ありがとうございます! では…3日後の夕方ごろに伺います」

 「場所はわかりますか?」

 「この雑誌に書いてある住所をスマホに入れて、検索して行くので大丈夫です」

 「そう。便利な世の中になっているんですね。ただ、私の工房は山の中にあって、電車を降りてからロープウェイに乗り換えて、そこから20分くらい歩くんですよ。ロープウェイの終電が夕方5時なので、それに間に合うように来てくださいね。帰りのことは気にしないで」

 「はい、ありがとうございます! ちなみに、工房があるということは今も現役で縫ってらっしゃるんですか?」

 「まあ、昔みたいにはいきませんけどね。でも私にとってこれは生きがいですから。どうにかして続けていくつもりです。後継者も探しているんですよ。あなたはどうでしょう?(笑)」

 「えー私! 光栄です(笑)。本当に、お会いできるのを楽しみにしています!」

 「はいはい、お待ちしていますよ」

 「それでは失礼いたします」

 「はい、失礼します」

 興奮冷めやらぬまま、電話を切った。佐藤さんが85歳の今もまだ現役だなんて、とても嬉しい。もしかしたら作業をしている様子を見せてもらえるかもしれない。こんなにスムーズに話が進むとは思わなかった。3日後がとても楽しみだ。

 少し寒くなってきたようだ。窓を閉めよう。

 それから3日間、私は祖父の残した品を見ながらいろいろと思い出しては、泣いたり笑ったりと充実した時間を過ごした。

***

 約束の日。

 私は祖父の家に最後のお別れをすると、佐藤さんの工房に向け出発した。ネットで検索をしてみたが、工房のホームページはないようだった。佐藤さんの年齢も年齢だし、ホームページがなくてもおかしくはない。

 スマホの地図アプリに住所を入れてみたが、山の中だからか正確な場所はわからなかった。最寄りの電車の駅はわかったので、降りたらその辺で誰かに聞いてみよう。それでもわからなかったら、ロープウェイを降りたところで工房に電話をし、佐藤さんに誘導してもらって歩こう。

 祖父の家から佐藤さんの工房までは、かなり長い道のりだった。祖父の家の近くのバス停からバスに乗り、電車に乗り、新幹線に乗り、また電車に乗り、違う電車に乗り換えて終点で降りたら、4時間が経っていた。

 電車の改札口を出てぐるりと見渡してみると、右手の方にロープウェイの乗り場が見えた。ほんの50メートルほど歩くと着いた。今は夕方4時を少し過ぎたところだ。時刻表を見たところ、夕方5時の文字以外書かれていない。佐藤さんは終電が5時と言っていたが、そもそも1日にこの1本しかないようだ。帰りは気にしなくていいと言ってくれたので、ロープウェイ以外の帰り方もあるのだろう。

 新幹線の中でクロワッサンをひとつ食べたきりだ。小腹がすいたし、そこの喫茶店で何か食べながら待つことにしよう。その前に、佐藤さんに電話してここまで来ていることを伝えた方がいいかもしれない。私は工房に電話をかけた。

 「あ、やまもとです。佐藤さんですか?」

 「はいはい。ロープウェイのところに着いたんですね」

 「そうなんです。お知らせしておこうと思いまして」

 「もう少しですね。待ちきれませんよ」

 「そんな風に言っていただけて嬉しいです!」

 「久々のお客さんなのでね。次はいつ来てくれるかと待ち続けていたんですよ」

 「そうなんですか。じゃあタイミングが良かったですね! 私も、佐藤さんのお仕事への思いを早く聴きたいです」

 「そう言ってくれて嬉しいですよ。私なんて不器用でね、この仕事がなくなったら何もなくなっちゃうんです。この仕事を続けるためならなんだってするんですよ」

 「そんなに強い思いがあるから、あんなに素晴らしいものが作れるんですね」

 「まあ、来てからゆっくり話しますよ。時間はたっぷりあるので」

 「ありがとうございます。では、5時のロープウェイに乗っていきます。そこからの道がわからないので、またお電話してもいいですか?」

 「大丈夫、迎えに行きますよ」

 「え、いいんですか? ありがとうございます。それでは、のちほどよろしくお願いします!」

 佐藤さんにかなり歓迎されているようで嬉しい。早く工房に行きたいというはやる気持ちをおさえて、私は喫茶店に入った。

 * * *

 駅前にたったひとつの喫茶店は、カウンターとテーブル合わせて20席くらいとあまり広くなく、見たところかなり老舗のようだ。チェーン店で言えばルノアールのような雰囲気の店内でどちらかというと年齢層は高めだと予想したが、近所の若い親子連れのたまり場になっているようだった。

 「いらっしゃい。おひとり?」

 お店のオーナーと思われるマダムが、カウンターの中から声をかけてきた。

 「はい、ひとりです」

 「そこのテーブル席にどうぞ。この辺では見かけない顔ね。何しに来たの?」

 「東京から来ました。あのロープウェイの先にある工房にお邪魔する予定で」

 「え?」

 マダムが驚いたような顔をしたそのとき、5歳くらいの男の子がトコトコと歩いてきた。

 「ロープウェイ、ないよ」

 「ないってどういうこと?」

 男の子に尋ねると、答えを聞く前にその子のママと思われる人が近づいてきて言った。

 「あの、もしかして佐藤さんの工房に行こうとしていますか?」

 「あ、はい! 佐藤さんご存じですか?」

 「え、ええ。この辺では有名なので」

 「そうなんですか! 雑誌で佐藤さんの記事を読んで、直接お話したいなと思ってお電話したら快くOKしてくださって、今から行くんです」

 私が笑顔でそう説明している間に、お店の中にいた他の親子たちも集まってきた。カウンターの中にいるマダム、最初に来た親子、あとから来た2組の親子、全部で7人の目が私に向いているが、みんなまったく笑っていない。さっきまでみんなでワイワイしていたのにどうしたのだろう。

 「あの、お姉さんは佐藤さんと電話でお話したんですか?」

 最初に来てくれたママがまた口を開いた。

 「そうです。工房の電話番号にかけたら、佐藤さんが出られて。あ、さっきもここまで来たことを電話で伝えたら、待ちきれないって言ってくださって」

 そう言うと、ママたちはヒソヒソと話し出した。相変わらず笑顔はまったく見られない。私は何かおかしなことを言ったのだろうか。

 「あの、私、何か変なこと言いました?」

 「いえ、何からお伝えしていいのかわからないんですけど。あの、まず最初にお姉さんがさっき乗ると言っていたロープウェイは、もう動いていないんです」

 「え? 動いていないってどういう意味ですか? 時刻表に夕方5時に来るって…」

 「ええと、時刻表ももう取り外されたんです。だから、あなたが見たというその時刻表はあるはずがないんです」

 どういうことなのか頭の中が整理できない。私が何も答えられずにいると、ママは続けて言った。

 「それから…佐藤さんの工房ももうあそこにはないんです。10年前に取り壊されて。ロープウェイの先に残っている建物は佐藤さんの工房だけだったので、取り壊しと同時にロープウェイも廃止されたんです」

 「でも、佐藤さんは5時のロープウェイに乗って行ったら、降りたところで待っていてくれるっておっしゃっていて……。なんだかよくわからなくなってきたんですけど、じゃあ佐藤さんはどこにいらっしゃるんでしょう」

 私がそう言うと、ママは一度深呼吸してから口を開いた。

 「実は、佐藤さんの工房が取り壊されたのは、佐藤さんが亡くなったからなんです。工房の電話番号は今は使われていないはずなので、言いづらいのですがお姉さんが話したのは佐藤さんの幽霊ということになると思います」

 「え、亡くなっている!? 幽霊!?」

 サーッと血の気が引いてくるのがわかる。

 「この辺は田舎だから昔からみんな知り合いで、お姉さんのようにヨソの人が来るのは珍しいんです。前も一度、知らない人がこの町に来たことがあって、そのときは男の人だったんですけど、お姉さんと同じように佐藤さんの工房を訪ねて来たと言っていて。佐藤さんは亡くなったし、工房ももうないはずなのにおかしいなとは思ったんですけど、ロープウェイの時間だからとすぐ出て行ったので結局何も言えなかったんです」

 「で、その男の人はどうなったんですか?」

 「私が最後に見たのは、動いていないはずのロープウェイの乗り場に入っていくところだったんです。それがずっと気になっていたので、数日後そこにある神社の神主さんに話してみたんですよ。そしたらサーッと顔色が変わって、もう間に合わないかもしれないと言われて」

 「間に合わないって?」

 「その前に、佐藤さんのことをお話しますね。神社の人の話だと、佐藤さんは15年前に奥さんを亡くされたんですけど、それからも身の回りのことを全部自分でやりながら仕事を続けてたそうなんです。でも、佐藤さんの工房はロープウェイでしか行き来できないところにあるので、今まで佐藤さんの仕事中に奥さんがロープウェイで行き来しながら足してくれていた用事も自分でやらなければいけなくなって、相当参っていたそうなんです」

 佐藤さんの工房はやっぱりロープウェイでしか行けないのか。今注目するところはそこではないのかもしれないが、なぜかそこが引っかかった。

 「で、そろそろ引退かな、でも後継者がいないと引退もできないな、なんて話を周りにしていたようで。取引先の野球関係の人にもその話をしていたらしいんですが、なかなか工房を継いでくれる人が見つからなかったみたいなんです。そんなときに、事故が起きたんです」

 「事故、ですか?」

 「はい。ある寒い日にコーヒーを飲もうとヤカンを火にかけたら、佐藤さんの着ていたセーターの袖のところが火に触れてしまって燃えちゃったらしいんです。急いでセーターを脱いで、なんとか体に燃え移ることは防いだようなんですが、右手の一部に火傷をおってしまったんです。そのせいで、縫うという細かい作業ができなくなってしまって」

 「それは、つらいですね。佐藤さん、お仕事が生きがいだとおっしゃっていましたから」

 亡くなったはずの佐藤さんと電話で話したと知ったときは一瞬怖さも感じたが、生きていたころの佐藤さんの話を聞くうちにそんな気持ちもなくなっていた。むしろあるのは同情の気持ちだ。

 「そう、しかも後継者もまだ決まっていないうちに生きがいだった仕事が急にできなくなって、佐藤さんかなり落ち込んだようなんです。それからは町にも下りて来なくなって、週に1,2回役所の人が必要なものを持って行くようになったんですが、会うたびに『仕事がなくなった今、自分にはもう何もない』とか『生きていても仕方がない』とかネガティブなこと言うようになったらしくて。それで、ある日役所の人が佐藤さんを訪ねたらどの部屋にもいなくて、家の周りを探したら山の下の方に倒れている佐藤さんを見つけたらしいんです」

 「それって、山から落ちたということですか?」

 「そうみたいです。山の上にあるだけあって、佐藤さんの工房の周り結構高低差があるので、足を滑らせると転がり落ちてしまったりするんですよね。だから、決められたところだけを歩くようにしていたはずなんですけど……。病院に連れて行くにも、ロープウェイは当時3時間に1本しかなくてすぐに連れていけなくて、結局亡くなってしまったんです。まあ、見つけたときにはすでに心臓は止まっていたということでしたが。自殺説も出たのですが、わざわざあんなところを転がり落ちるはずはないということで、事故死ということになりました。それが10年前のことです」

 やっぱり、佐藤さんには同情こそすれ恐怖の気持ちはない。私を待っていると言ったのは、誰かと話したかったからかもしれない。

 「それで、お姉さんの前に男の人が佐藤さんを訪ねてきたのが5年前です。私が最後にその人を見たのがロープウェイの乗り場に入っていくところで、数日後にそれを神主さんに伝えたら『間に合わないかもしれない』と言われた、という話をさっきしましたよね?」

 「はい。何に間に合わないのでしょう?」

 「私もそれを尋ねたのですが、すぐに家に帰るように言われて、次の日にやっとその言葉の意味を知ったんです。私、気になりすぎて次の日にまた神社に行ったんです。そしたら、神主さんに一緒に奥の部屋に来るように言われたので、ついていったらそこに男性がふたりいたんですよ。ひとりはこの町の交番のお巡りさんで、もうひとりは知らない人。神主さんがその人を紹介してくれました」

 「誰だったんですか?」

 「神主さんの知り合いの霊媒師さんとのことでした」

 「霊媒師さん?」

 「はい。私が神主さんに男の人がロープウェイ乗り場に入っていったことを伝えたあと、神主さんはお巡りさんと霊媒師さんに連絡して3人で佐藤さんの工房があった場所まで行ったそうなんです。と言っても、ロープウェイがないため行く手段がなく、お巡りさんが県警に事情を話してヘリコプターを飛ばしてもらったそうです。ヘリコプターから3人だけ降ろしてもらって、工房の跡地に行ってみたところ、すでにその男性は右手を切り取られて息絶えていたそうです」

 「右手? それは、佐藤さんの霊がやったんですか?」

 「はい、そのようです。神主さんの話では、10年前に佐藤さんが亡くなったころから工房があったあの山に嫌な気が流れている感じがあり、霊媒師さんに相談したそうなんです。神社って除霊とかできると思われがちですが、基本はできないらしいんです。だから、除霊して欲しいという人が来たときに紹介しているのがこの霊媒師さんとのことで。それで、霊媒師さんがあのロープウェイ乗り場のところまで行ってみると、亡くなった佐藤さんが地縛霊になっているのを感じたらしくて。元々地元の人しかいない町なので、みんなを怖がらせないように事実は伏せて、ただ『ロープウェイ乗り場は廃止になっていて危ないから近づかないように』と言っておけば、みんな近づかないのではという話になったそうです」

 「では、みなさんはロープウェイ乗り場には近づかないようにしていたんですか?」

 「そうです。はっきりは覚えていませんが、今思えば近づかなくなったのはその頃からだった気がします。もちろん、理由は知らなかったので、廃止になった乗り場は誰も清掃や整備をしていなくて危ないから近づかない方がいい、という程度にしか思っていませんでしたが。それから何事もなく過ごしていたのに、突然私が『男の人がロープウェイ乗り場に入っていった』と神主さんに言ったから危険を感じたらしいんです」

 「それで行ってみたら、やっぱりその男の人が亡くなっていたんですね。佐藤さんは自分が右手を火傷していたから、その人の右手が欲しかった。そういうことですよね?」

 「その通りです。佐藤さんは仕事が生きがいだったのに、右手の火傷のせいでそれができなくなってしまった。その悔しさを抱えたまま亡くなってしまったので、地縛霊となり右手を捧げてくれる人が来るのを待っていた。それからもうひとつ求めていたものが、後継者です。右手だけではなく、その男の人にここに残って欲しいという思いから命まで奪ってしまったようです」

 「なるほど。でも、霊媒師さんが一緒にいたのなら、佐藤さんの霊を成仏させることができたはずなのでは?」

 「そうなんですよ。神主さんの話では、成仏させたということだったので、今日お姉さんから佐藤さんの工房に行くと聞いてビックリしたんです。なぜ佐藤さんが成仏していないのかはわかりませんが、これだけは言えます。佐藤さんは楽しい話をするためにあなたを呼んだんじゃない。あなたを永遠にあの山から下りられなくするために呼んだんです」

 背筋がスーッと寒くなった。途中まで佐藤さんに同情して、霊だとしても一緒に楽しい話ができたら喜んでくれるかなくらいに思っていたが、そんな軽く考えていい問題ではなかった。

 佐藤さんとの会話を思い出してみる。

 佐藤さんは、私がスマホで住所を検索して工房に行くと言ったときに「便利な世の中になっているんですね」と言っていたが、今思えばこれは今の世の中を知らないということになる。「帰りのことは気にしないで」というのは、私を帰すつもりがないということ。

 まだ現役で縫っているのか訊いたときは「まあ、昔みたいにはいきませんけどね。でも私にとってこれは生きがいですから。どうにかして続けていくつもりです。後継者も探しているんですよ。あなたはどうでしょう?(笑)」と言っていた。改めて考えると、どの言葉も意味が違ってくる。

 「もう少しですね。待ちきれません」「久々のお客さんなのでね。次はいつ来てくれるかと待ち続けていたんですよ」「この仕事を続けるためならなんだってするんですよ」「まあ、来てからゆっくり話しますよ。時間はたっぷりあるので」

 あれもこれも、優しい言葉なんかではなかった。久々に来る獲物を待つ地縛霊の言葉だったのだ。顔面蒼白になっているのが自分でもわかった。

***

 そのとき、誰かが喫茶店に入ってきた。格好からして、たぶんママの話に出てきた神主だろう。

 「お姉さん、神主さんに来てもらいました。そこにいるママ友から一通り話はしてもらっています。これからどうするかは神主さんに直接聞いてください」

 「ありがとうございます。はじめまして。やまもとと申します」

 「やまもとさん、大変でしたね。今、霊媒師の友人もこちらに向かっています。そいつの話では、佐藤さんを成仏させきれておらず、眠らせた状態になっていたんだろう、やまもとさんの電話で目が覚めて再び地縛霊となったのだろう、ということです」

 そういうことだったのか。だから私が最初電話をかけたときに、すぐに話し出すこともなく、最初の一言も小さな声だったのだろう。眠っていた佐藤さんは一瞬自分に何が起こったかわからず、少し戸惑っていたのかもしれない。話していくうちに、これはまたチャンスがやってきたと思ったに違いない。

 「神主さん、私はこれからどうすればいいのでしょう」

 その問いに神主が口を開こうとしたとき、私のスマホの着信音が鳴り出した。画面を見てみると、佐藤さんの工房の電話番号だ。時間は5時。私がロープウェイに乗らなかったことに気づいたのだろうか。

 「ど、どうすればいいですか! 佐藤さんから電話です!」

 「出ないでください。もう少しで霊媒師が来ますから、一緒に対応しましょう」

 「わかりました」

 そんな会話をしていたら、電話が鳴りやんだ。みんなホッとした顔をしている。もちろん私もだ。でも、鳴りやんだのは電話が切れたからではなかった。

 「もしもし、やまもとさん?」

 佐藤さんの声がスピーカーから聞こえてくる。どういうわけか、勝手に電話がつながったようだ。相手はこの世の者ではないのだからおかしなことではないが、ルール違反をされているような気分になる。

 「やまもとさん、どうしたんですか? 私、楽しみに待っているんですよ。やまもとさんも私の話を聞きたい、楽しみだって言ってくれたじゃないですか。ロープウェイに乗っていませんよね? 裏切るんですか? 乗り遅れただけですよね? そこまで迎えにいきましょうか?」

 佐藤さん…の幽霊は、イライラした口調でまくしたててくる。さっきまでの優しい口調からは想像できない低く冷たい声に、恐怖を感じ鳥肌が立つ。神主の方を見ると、私の目を見ながら首を振った。何も答えるなということだろう。子どもたちも含め、みんなただただ黙って霊媒師が来るのを待つ。

 「やまもとさん、何か言ってくださいよ。私は、仕事に誇りを持っているんです。やまもとさんが、その仕事を褒めてくれていろいろと話を聞きたいと言ってくれた。私はやまもとさんを後継者にしてもいいとさえ思っている。それなのに、どうしたというんですか。あまりにもひどい態度をとるなら、私だって怒りますよ」

 怒気を含んだ声に、子どもたちが泣きそうになっている。このままにはできない。私は覚悟を決めて口を開いた。

 「佐藤さん、すぐにお返事できなくてすみませんでした」

 神主が、目を見開いたまま激しく首を振っている。もう話し始めてしまったので仕方ない。

 「やまもとさん、どういうことでしょう。何があったんですか?」

 「佐藤さん、まずお伝えしたいのは、私はあの雑誌を見て本当に感動したということです。これは嘘ではありません。佐藤さんが赤い糸を縫ったボールには温もりを感じました。祖父を亡くしたばかりでとても寂しかったのですが、佐藤さんのボールを見て温かい気持ちになり、祖父がいなくても頑張ろうという気持ちになりました。だから、佐藤さんのお話を聴きたいと思ったんです」

 「では、なぜロープウェイに乗っていないんですか?」

 「それは、佐藤さんが10年前に亡くなったとお聞きしたからです。佐藤さんと私はもう違う世界にいます。佐藤さんは素晴らしい職人さんでした。私はそのことをたくさんの人に伝えていきたいと思います。だけど、佐藤さんはもうこの世の人ではありません。せっかく素晴らしい功績を残されたのだから、もう成仏してゆっくりお休みになられたらどうでしょうか」

 「ふざけるな!」

 「キャー!」「ウギャー!」

 佐藤さんの突然の怒号に、子どもたちが叫び、泣きだした。大人たちもみんな震えている。私もだ。

 「俺はまだ生きている! まだ作れる! この右手さえ復活すれば、もっといいものが作れるんだ! それに後継ぎもまだ決まっていないんだよ! おまえが俺に右手を差し出し、俺が十分にいいものを作ったら、おまえに右手を返すから俺の後を継げばいいだろう! 早くここに来い!」

 「さ、佐藤さん。でもロープウェイも終わっちゃいましたし、今日はもう行くことができません」

 「ロープウェイは俺が動かしてやる。早く乗り場に向かえ。今すぐ向かわないと、俺がそっちに行って町をめちゃくちゃにしてやるぞ!」

 やっぱり地縛霊の声は、冷たくて嫌な感じで心臓に響いてくるんだなーなどとどこか冷静に思いながら、震える体を両手で抱きしめて何かいい方法はないか考える。町の人を巻き込むくらいなら、いっそのこと私が犠牲になった方がいいのだろうか。

 もう、それしかない。そう思い、立ち上がった瞬間だった。

 「大丈夫? どうなってる?」

 ひとりの男性が息を切らして駆け込んできた。たぶん、霊媒師だろう。

 「今電話がつながっている。やまもとさんが来ないと町に来て暴れると言い出したところ」

 神主が急いで答えると、霊媒師が言う。

 「佐藤さんは町には来られないよ。亡くなるころはロープウェイで町に下りずに過ごしていただろう? だから、あの山から下りることはできないんだよ」

 「誰だ! 勝手なことを言うな! 俺は何でもできるぞ!」

 霊媒師の声が聞こえているのか、地縛霊は電話の向こうで怒っている。でも、実際に電話をしてくるだけでここまで来ないところをみると、下りられないというのは本当なのかもしれない。

 「ちょっと電話代わってもらえますか? 簡易的なものになるけど、除霊しちゃいますね。後日また、工房の跡地に行って、今度はちゃんと成仏させますから」

 「よろしくお願いします」

 私は霊媒師に電話を渡した。霊媒師は何か呪文のようなものを唱えだした。その場にいたすべての人が、いつのまにか呼吸をするのさえ止めて見守っている。小動物のように鼓動が速くなっているのがわかる。

 しばらくすると電話からプツッという音が聞こえ、通話が切れたのがわかった。霊媒師が何も言わなくても、除霊が済んだのは明らかだった。

 「やったー!」「良かった!」

 みんな口々に喜びの声をあげ、笑顔で祝福し合った。全身から力が抜けていくのがわかった。

 「みなさん、本当にご迷惑をおかけしました。霊媒師さんも神主さんも、本当にありがとうございます」

 「いえいえ、やまもとさんも電話した相手が幽霊だったなんて、本当に災難でしたね。無事で良かったです」

 神主さんが、優しく微笑みながらそう言ってくださった。

***

 今回は本当に怖い思いをしたが、私は佐藤さんを憎むことはできなかった。佐藤さんは、本当に素晴らしい職人だったのだと思う。何十年もひとつのことを継続すること、究めていくこと、それは並大抵の努力ではできない。だからこそ、現実を受け入れられずに地縛霊となってしまったのだろう。

 今までの自分を振り返ったら、これだけは頑張ると決めたはずなのに言い訳を探してはやめて、を繰り返してきた人生だった。いろいろなことに挑戦するのは悪くないが、もう少し芯をしっかり持って、何かひとつでも「これだけは自信がある」と言えるものを作っていかねばならないと思った。

 佐藤さん、ありがとう。

 私は、あなたから恐怖と学びをもらいました。

 

 


 


 

 

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