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自分の未来が見えるなら

将来のためだと思って、踏ん張るとき。
正解が分からず、将来の選択をできないとき。
将来が分かったらどんなに楽だろうかと、考えがよぎる。

でも、私は、タイムマシンが発明されたからといって、自分の生きている未来を見に行きたくはない。


未来は、見えてはいけないのだと思う。
未来が不透明で、不安定だから、人は生きられていると思うから。


”他の動物と違って人間だけが将来を展望する。時間展望があるがゆえ、まだ見ぬ将来が不安にもなり、緊張もする。同じ理由で、夢や希望を持つ。”
どこかでこんな話を見たことがある。


未来への希望や期待感を人は常に抱いている。
今がどれだけ幸せだったとしても、
今がどれだけどん底だったとしても、
きっとこれから良いことが起こると誰しも、心のどこかでは、ほんの少しだけでも、信じているから生きていられる。

もしタイムマシンで自分の将来が分かったら、
例え自分が幸せ溢れる生活をしていたとしても、それ以上生きる意味を見いだせないのではないか。
そうなる未来を見えていながら、それまでの道のりを歩く意味はなんだろうか。

日々、いろんなことに悩まされながら、生きている。将来が分かったなら、こんなに悩まなくて済む。でも、それと同時に、希望や夢も同じ分量でなくなるのだろう。


未来が見えない限り、絶対に”不安”はなくならない。
そして、”希望”も同じく絶対になくならない。


だったら、
将来は分からないからと諦め、肯定し、
とことん悩んで、もがきながら、
とことん夢を描き、理想を語って、
生きている方がいいのではないか。


生きるのに、”想像力”は大切である。

自分の想像力のおよぶ範囲だけで、夢を描ける。
想像力の分だけ、未来を展望でき、未来に希望を抱くことができる。想像力が弱まれば、生命力も弱まる。

想像力を働かせて、子どものように、うんとおおきな夢を描けばよい。


将来は誰にも分からない。
先が不透明で、不確かで、不安定だからこそ、想像力の分だけ不安にもなり、それでも想像しうるだけの希望を求めて、
人は進んでみたいと思えるのかもしれない。


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