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今、外側に出ている自分は自分の全部じゃない

人って、
その人の中にすごくたくさんの顔を持っている。

その中には、良い自分も悪い自分も、自分が目指したい理想の自分も、自分のことを嫌いになる自分もいる。どれも自分で、どれも偽りのない本当の自分。

だけど、私は私の思う「良い人」でありたいから、外側に出る自分が「良い人」であるように努力し、自分が「良い自分」しか見えないように過ごしたい。



じゃあ、「外側に出る自分」がどんな要素で決まるのか、って。
「どの自分が外に出てくるかは、一緒にいる相手に依存する要素が多い」
と私は思う。


この人と一緒にいたら、理想の自分でいられる。
この人と一緒にいたら、嫌いな自分が顔を出す。

「類は友を呼ぶ」ってこんな節もあるんじゃないかと思うんだよね。


自分の周りを取り囲んでいてほしい人たちは、
自分で選ぶ。
人を選ぶとか言うと、友達をなんだと思っているんだ、って言われるかもしれないけど、俗に言う「自分に良い影響を与える相手」と「悪い影響を与える相手」を選ぶことは悪いことじゃない。

…というかむしろ、そうしないと生きづらくない??


一緒にいたら、私が悪い人になっちゃう相手って、私がどんな振る舞いをしたって、私が悪いヤツになるんだよね。”私が良いヤツになる相手”と同じ対応、同じ心持ちで接しようとしたって、どうしても悪いヤツになってしまう。
それは、まだ私が未熟だからなのかもしれないけれど、今の私には関わらない以外に、悪いヤツから脱却する方法が分からない。


私は『こんな人でありたい』という理想像がはっきりとある。
だからこそ、かもしれないが、理想の自分を引き出してくれる、理想の自分でいさせてくれる相手と長い時間一緒にいたい。


とにかくさ、
今外に出ている自分が全てじゃないと思うんです。
それが嬉しいことか悲しいことか分からないけど、それが事実だと思うんです。

でも、事実かどうかなんてどうでも良くて、自分が今見える世界を好きになれるかどうかなわけで、同じように、自分が今見えている自分が好きならそれでいいし。
そうじゃないなら、今の自分が見えていない「良い自分」を引っ張り出そう、誰かに引っ張り出してもらおう、引っ張り出してくれる相手探して、大切にしよう。




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