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宣誓!もう『先生』は必要ないのではないでしょうか?

先日、うちの高校で「なぜ学ぶのか」を研究し発表する、総合的な学習が行われた。
みなさん(もとい先生方)は考えたことがあるでしょうか。

その答えは大抵こうです。

社会に出たら役に立つから。


この答え自体はおそらく間違っていません。ですが、何がどう役にたつのでしょうか。
高校生も口にします。

古典ってなんの役にたつんですか?
使いもしない化学を勉強して、将来どうなるんですか?

私の授業”現代社会”でも言われました。
「現社の内容ってしらべたら出てきますよね?」

ずっとひっかかっていました。言うとおり、確かに調べたら出てきます。
で、出てきて役にたつのだろうか。
知識を知ってたら早い?隣の先生が言っていました。

先生になって感じます。先生は勉強した知識が役にたちます。
高校で勉強して、大学で勉強・研究して、教採のために勉強して、先生になって教えて。つくづく勉強しておけば良かったと、後悔します・・・。

もう”先生”になるのをやめませんか?

自分が先生にならなかったら、を考えてみてください。
本当に役に立つ勉強とは何なのでしょうか。

私は、データと経験をもとに1つの授業案を考えました。
(データはこちらを参考にしてください。)

考えた授業とは

「何の知識があれば」授業


答えではなく、
この授業では「何の知識があれば」という考え方を重要視します。

なぜなら社会に出たら、”答え”がわからないからです。

でも、答えがないかというと、答え自体はあります。
重要なのは「答えがわからないこと」「答えが答えであると言い切れないこと」です。

想像がむずかしいですよね。
実際に私が経験した話から想像してみてください。

僕が会社に入社してしばらくした時の話です。
大学を出てすぐでしたが、1人で営業先を回っていました。
結構値段のする広告を売っていました。

その時に、1つの取引先からこんなことを言われました。
「来年、ウチを受ける人を増やしてほしい。どんな広告がいいかな?」
1年目の僕はチャンスだと思いました。

さて、みなさん。答えはなんだと思いますか?

僕にはわかりませんでした。
でも、何か依頼をクリアする答えはあるはずです。実際に、世の中には時代を変える広告があります。「そうだ、京都 行こう」のような、一種の答えがあるのです。

少し話を戻します。
この現象を学校の学びと比較するとこんな感じです。

スライド1

これまでの学校の学びは、”答え”を重視します。

例えば
1467年、何があったでしょう? ー 応仁の乱
企業の独占を防ぐための法律は? ー 独占禁止法

テストで”答え”をこたえ、授業でも先生の求める”答え”を答える。
これで得られる力は何でしょうか。

ですが、社会に出るとその答えは、おそらくあるけどわからない。
でもでも、仕事ですから何らかの答えを出す必要がある。

では、答えに近づくために何が重要だと思いますか?

わからない答えに対し、

何がわかれば、その答えに近づけるのか。
どのように、その知識を効率よく得るか
得た知識を、どのように活用すれば、答えになるのか。

を想像・考え、行動できるか。
これを社会に出て、できることが重要なのではないでしょうか。

私が受けた「来年、ウチを受ける人を増やしてほしい。どんな広告がいいかな?」を例にすると、

そもそもお客様はどんな人が欲しいのか。
その欲しい人材はどのあたりにいるのか。
どうやってそれを調べるのか。
誰に、何を聞いて、何を頼めば早いのか。

必要な知識はたくさんあります。
それを想像できるかではないでしょうか。

スライド2


「何の知識があれば、問題を考えることができるか」
「どのようにその知識を得れば効率が良いか」
「どのようにその知識を活用するか」

「何の知識があれば」授業はこれを重視します。


あと、なにより!!!!
新しいことを学ぼうと思った時に、この考え方は強い。

大人になって時間のない中で、あたらしい資格を取ろう。
大人になって一気にいろんなスキルを身につけよう。

そんなとき、「何をどのように学べば効率的か」自分で考えられる人が有利です。

大人になったその時、答えをくれる先生はいないし、
先生が言う勉強法も、あなたに合っているかわからないですからね。

自分で考えられる人が、最強なんですよ。


簡易指導案もつけております。
現代社会の授業でつくっていますが、応用できると思います。
のぞいてみてください。


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