生成AIの台頭が引き起こす人類の自信喪失と虚無感の時代

近年、生成AIの発展はめざましく、その能力は日々向上している。しかし、この技術の進歩は、人類にとって必ずしも良いニュースばかりではないかもしれない。

私たちは長い間、労働や学習を通じて自己実現を図ってきた。努力を重ね、スキルを磨き、アウトプットすることに喜びを感じてきたのだ。しかし、生成AIの登場により、その価値観が根底から覆される可能性がある。

AIは瞬時に高品質な文章や画像を生成し、人間の長年の努力を一瞬で無意味なものにしてしまう。例えば、小説家が何年もかけて書き上げた作品も、AIなら数秒で生成できてしまうだろう。絵師が描いた絵画と見分けがつかない画像をAIが作り出せば、絵師の存在意義が問われかねない。こうした状況下で、人々は自分の存在意義を見失い、自信を喪失していくに違いない。「自分には価値がない」「何のために生きているのか分からない」といった虚無感に襲われる人が増えるかもしれない。

生成AIの便利さは、まるで麻薬のようなものだ。一時的な満足感や利便性を提供するが、長期的には人間性を蝕んでいく可能性がある。創造性や探究心、努力することの意義が失われ、ただAIに頼るだけの受動的な存在になってしまうのだ。「AIで宿題ができるなら、自分で勉強する意味がない」と言って学業を怠るようなことも起こるだろう。

また、生成AIが高度化することで、デジタル空間のあらゆるコンテンツを疑わざるを得ない世界が訪れる。ディープフェイク技術によって人物の顔が合成された動画や、全く実在しない人物の写真が作られる。真偽の判別がつかなくなり、デジタルコンテンツへの信頼が大きく揺らぐのだ。技術的には、Google検索した後のコンテンツすべてが実は虚構だった、なんてことが既に起こりうるのだ。

さらに、「AIに聞けばなんでも解決する」世界では、AI以外のものに頼らなくなり、人や組織との関係が希薄化していく恐れがある。情報の送り手と受け手のつながりが失われ、創作活動を生業とする人々の収入機会も奪われかねない。

もちろん、AIの発展自体は否定されるべきではない。しかし、私たちは今一度、人間らしさとは何かを問い直す必要があるだろう。AIにできないこと、AIだからこそ実現できる人間性の発揮の仕方を模索していかなければならない。そうでなければ、人類は自信と存在意義を失い、虚無感に支配された社会を迎えることになるかもしれないのだ。

#生成AI #人工知能 #AI #ChatGPT #創造性 #技術革新 #ディープフェイク #VUCA #労働 #自己実現 #存在意義 #虚無感 #便利 #人間関係 #情報 #デジタル

参考記事:
良いことばかりではない? 生成AIが普及することによる長期的な負の影響。デジタル空間の全てを疑いの目で見る世界と、人間の関係が希薄化する懸念
プロイラストレーターが最近のAI「どうすんだこれ感」について思ったこと

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?