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会社員を辞めて5年が過ぎて感じたこと

20年勤務した会社員を辞めて、独立してから5年と5ヶ月が過ぎました。久々の長文ブログです。


会社員を辞めた時のこと

 大学を卒業したのが1998年3月で、新卒で企業に入社したのが1998年4月。いろいろな事情があって、2018年3月に自己都合退職しました。ちょうど20年勤務したことになります。その間、いちども休職をすることなく働き続けて、有給もほとんど消化できなかったので、ちょっと頑張りすぎたかな…と、いまになっては思います。

 ただ、案件がMC(ミッションクリティカル)なものばかりだから、こわいお客様ばかりで、システムにトラブルが発生すると新聞の一面を飾るようなシステム開発だったので、「ゆるく働く」というのは夢の世界。これを古き良き時代というか、悪しき時代というかのは、受け取る人それぞれでしょう。
 
 ちなみに、早期希望退職に乗っかったわけでもなく、会社から退職勧奨を受けたわけではないです。とはいえ、そのまま会社に残っていても昇進できたかは怪しいですし、定年(60歳)まで働けたかも、すこぶる怪しいですね。いまとなってはifの世界。

 会社を辞めたことに後悔があるかって?
 いえ、まったくない。

 社会人になったときは「この会社で最後まで働くぞ」と意気込んでいたのですが、いつの間にかそのような気持ちはなくなっていました。気持ちの変化に自分でも驚きますが、自分でもドライだなと自覚しています。

人生初の無職になった

 退職してから、私は無職になりました。本当は次どうするか決めてからのほうがスムーズだったのですが、思うように決断ができていなかったのが理由です。
 幸いにも、20年間働いてきた貯蓄に加えて、退職金も出ましたので、しばらくは収入がなくとも生活はできます。ただ、これが精神的によくない。毎月、生活費としてお金はでていって、入ってくるお金がないというのが初めての体験なので、なかなか慣れませんでした。
 それに、世間的にも「無職です」ということを言いづらいので、ひっそりと暮らさなければならないという強迫観念があったように思います。
 
 次は会社員に戻るか、独立するか、まだ何も考えていなかったので、ひとまずハローワークに行って求職活動をしながら、じっくりと検討することにしました。20年間、毎月のお給料から雇用保険を払ってきたわけですから、ここでフィードバック(失業等給付)をいただいてもバチは当たらないでしょう。

独立起業して5年が過ぎていた

 これまでずっと会社員しか経験したことがないので、ここで一度「独立」というものをやってみることにしました。ダメだったら、すぐに会社員に戻るつもりでした。

 そして、いま気がついてみたら、5年と5ヶ月が過ぎていました。その間、いちども仕事が途切れたことはありません。自分の周りには、信頼できる仲間がたくさんいて、人に恵まれたのだと思います。なぜなら、仕事というのは人様からいただくものだからです。

 会社員をやめてだいぶ経ったこともあり、いろいろと変化したことをお話していきたいと思います。

メールを使わなくなった

 会社員時代は社内でのコミュニケーションはML(メーリングリスト)が主体でした。いつ頃だったか正確な時期はもう覚えていませんが、2013年か2014年ごろにMicrosoft Lyncが社内でも活用されるようになり、比較的すぐに「Skype for Business」に改名されたのを覚えています。
 ただ、Lyncはしょせんチャットツールなので、チャットでのやりとりはエビデンスにはならないという風潮でした。チャットでやりとりした結果を、メールにしたためてMLに流すというのが正式な流れ。こうしないとプロジェクトチーム内で情報共有がされないので、理屈としては筋が通っていますが、個人的には無駄な作業だなと思っています。
 
 ときどき問題となったのが、担当者同士でチャットで内密に話を進めて、開発へのインプットにしていたということがあり、偉い人から怒号が飛んでいました。責任者へのシェアは必須なのは当たり前のことなのですが、業務が多忙なので、つい忘れてしまうこともあります。人間ですから。
 
 従業員の数が多かったこともあり、1日に届くメールの量は100通超え。代休や体調不良で1日休むと、翌日は200通超え。土曜日や日曜日にも仕事をしている人たちがいるので、月曜日の朝からメールが溜まっていました。
 それらのメールは1通ずつすべてチェックする必要があります。スルーしてよいメールも多いのですが、回答必須なものが埋もれていて、見落とすわけにはいかないのです。
 いまでもよく覚えているのが、現場改善活動の成果発表会か何かが予定されていたらしく、チームリーダーである私のところにプレゼンの依頼が来ていたのにメールを見落としていたということがありました。
 
 発表会の当日、私は元請けからの指示で、超急ぎの作業をしていたのですが、知らない人から突然怒りの電話がかかってきました。「もうすぐ発表時間なのになんでこないんだ!」とご立腹。寝耳に水で、何のことかさっぱりわかりませんでした。うちの上司も忙しくて、メールに気づいていなかったようで、聞いたら他人事のようで「知らない」と言われました。
 しょうがないので、前回の発表資料をもっていって、口頭で補足するという恥ずかしい発表となりました。周りからは白い目で見られながら。

              *
 
 独立してからはメールを使わなくなりました。時々、新しい企業や個人様からお仕事の依頼をメールで受け取ることがあるので、そのやりとりに使うぐらいです。メーラーを使うほどでもないので、ブラウザでGmailを使っています。これで十分です。
 おそらく、私にとってメールやMLは長い間、重荷になっており、ストレスの種だったのでしょう。会社員をやっていたときはそのことにまったく気づいていませんでした。
 いまでは、ずいぶんと気持ちが楽になったように思います。
 
 ちなみに、新卒の頃に会社で使っていたメーラーは、シェアウェアのメールソフトで、元は社員の方が趣味で作られたものだと聞いたことがあります。それを社内のグループ会社が買い取って開発を行い、社内に展開していました。当然、無料というわけではなく、ライセンス料をその会社に支払っていたはずです。
 同じ会社でも事業部が変わると別会社。不思議な話ですね。

働き方改革の効果がわからない

 世間では企業に対して働き方改革関連法というものが適用されています。実は、私は働き方改革が導入される前に退職したので、肌感がよくわからないのです。
 大企業に導入されたのが2019年4月1日で、中小企業が2020年4月1日なので、比較的最近のことです。働き方改革というものが導入されるきっかけになったのは、長時間労働やパワハラに苦しんで亡くなる人が社会問題として取り上げられたからだと思っています。
 
 私が新卒で就職したときからそうでしたが、とにかく全員が異様な働き方をしていました。自発的に、というわけではなく、そうしないといけないという得体のしれない空気がありました。実際、仕事量がめちゃくちゃ多くて、いくら残業しても先が見えない状況でした。

 むちゃくちゃな働き方をしているので、当然倒れていく人たちも多数いました。行き先掲示板が「入院中」と赤くなっている人がいるのも、フィクションではありません。過労で亡くなる人もいたと噂には聞きましたが、当時はそうしたことは世間でも話題にならないのです。いまのようにネットやSNSが普及していなかったからでしょう。
 世の中には知らないほうが幸せなこともある、とはよく言われますが、逆に個人が声を上げるしくみがないと、世の中は変わらない、ということも、令和になったいまでは理解できます。

働き方改革のポイント

 さて、厚生労働省のサイトによると、働き方改革のポイントは下記になるようです。
 
  1.残業時間の上限は、原則として月45時間・年360時間。
  2.年次有給休暇の取得義務化
  3.雇用形態に関わらない公正な待遇の確保

時短ハラスメント?

 1番目は残業規制をするもののようです。元々、36協定というのがあり、無尽蔵に残業ができたわけではないのですが、それがさらに厳しくなるみたいです。月45時間とすると、1日平均2時間の残業になるので、夜20時に退社という感じでしょうか。朝8時半から出社しているのだとすると、もうちょっと早く帰りたいですよね。
 
 ただ、こうした残業規制をすることで仕事量が減っていないのだとすると大問題です。作業の進捗が遅れた場合、残業で遅れ挽回しないといけないのに、残業規制で残業をさせてもらえない。それでも納期が変わらない。いったいどうしろと?
 こうした窮地に陥ると、人間は何をするかというと、
 
  ・一部の作業が終わっていないのに完了したことにする(エビデンス不正)
  ・家にこっそり持ち帰って仕事する(サービス残業)
  ・納期を守ることを諦める(責任放棄)

 にんげんというのは汚い生き物なので、追い詰めると悪事を働くようになります。こういった悪いことをする人たちがでてくるので、私は目を光らせる必要がありました。
 
 もちろん、だらだらと残業して残業代を稼ぎたいだけの人間もいます。また、強すぎる責任感からか過労死するまで残業する人間もいます。残業規制は線引が非常に難しいのですが、それでも昔と比べて、少しはマシになったのでしょうか?
 
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 2番目の有給取得の話は、正直こんなことまで法律で決めないといけないのかと、呆れました。仕事が忙しいから有給取れないのに、強制的に取らせることに何の意味があるのでしょう?
 それに日本人は余暇の使い方が下手くそなので、平日に1日休んだところで、休みをうまく有効活用できないのですよね。ちょうどコロナ禍にはいって、外出も気軽にできなくなりましたし。有給で休んでいても、こっそりメールやMicrosoft Teamsなどを見ている人も多そうです。
 
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 3番目の話もよくわからないですね。同一労働同一賃金ってなんでしょう?
 そもそも企業が非正規や外注を活用するのは、人件費を抑えたいのが目的なので、プロパーより単価が安くなるのは当たり前のことです。だからといって、プロパーが下請けに対して酷い扱いをするようなことがあってはならないでしょう。

図書館に通うようになった

 若い頃は貪るように技術書を読み漁っていましたが、仕事が忙しい日々がずっと続いていたので、だんだんと本を読まなくなっていきました。どうも平日の夜や週末に、体の疲れが溜まり、読書する元気がなくなってしまったようです。
 そういった状況もあって、会社員時代は図書館を活用したことが一度もありませんでした。図書館で本を借りたのは、私が小学生の頃が最後だったような気がします。
 
 さて、退職してから突然、自由な時間が確保できるようになりました。することがないと、1日がすごく長いのです。新刊の本を買い漁る余裕はなかったので、地元の図書館にいくつか行ってみることにしました。
 ところが、それがきっかけで、毎週図書館に通うようになり、5年が過ぎました。図書館は古い本ばかりというイメージでしたが、毎週新刊をいれているところもあり、結構工学系や技術系の本もおおいのです。これは知りませんでした。
 また、ほしい本をリクエストすると買ってもらえるのも知りませんでした。
 
 それからコロナ禍になって、電子書籍も借りられるようになりました。自宅のパソコンやスマホからいつでも読めるというのが便利です。貸出期間を過ぎると、強制的に返却されるというしくみも面白いですね。
 
 おかげさまで、読書習慣が戻ってきたことで、幅広いジャンルの本を読んで楽しむようになりました。図書館は市のサービスであり、税金をたんまり払っているわけですから、こんごも積極的に活用していきたいと思います。
 
 そういえば、会社員時代、会社の中に図書館がはいっていたのですが、一度もサービスを利用することはありませんでした。今思えば、もったいないことをしたなと思います。

プログラミングが増えた

 独立してからは、予想以上にプログラミングをするようになりました。これが一番うれしいことかもしれません。
 
 会社員時代は今から思えば、たいしてプログラミングをしていませんでした。自分の職種としてはファームウェア屋さんなのですが、コーディングをしてテストしてデバッグして、ということをやっていたのは20代まで。
 
 30代を過ぎて昇進していくと、立ち位置が変化して、上流工程に接近していきました。仕様策定や仕様調整、仕様変更対応が主体となり、設計や実装は若手プロパーか協力会社さんにお任せ。
 それに加えて、多いのが揉め事のトラブル対応。プロジェクトというのはチームワークなので、みんな仲良くやってくれればいいのですが、現実はそうはならないのです。自分のチーム内でみると、担当者同士で言い合いや喧嘩をしていて、気がつくと仕事が進んでいません。
 
  「その作業は自分の担当ではありません」
  「忙しいのでできません」
  「その不具合は自分が作ったものので直せません」
 
 もう少し大きな視点でみると、部署間や事業部間でも似たような揉め事が日々勃発します。仕様や方針を決めようとしても、納得しない人たちがかならずいるので、F2Fで話し合いを行い、すり合わせをしないと話が先に進みません。
 揉め事の解決を行うため、ML(メーリングリスト)などのメールでやりとりしていても前に進みません。メール上でお互いに攻撃しあっているので、端からみていると爆笑です。この人たち、すごく仲が悪いんだなと。
 関係者で会議室に集まって、喧々諤々(けんけんがくがく)。会議室の外にまで聞こえるぐらい、怒号が飛び交っていました。
 いや、こういうのはとても疲れるんですよね。
 
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 プロジェクトがMC案件なので、社会インフラでシステム障害が発生したら、平日の深夜でも、休日でも呼び出されます。ログ解析をするために、です。まずは障害を復旧させて、お客様のサービスを再開させることが最優先。
 復旧後は障害が発生した原因を調査します。
 もし、自分の担当分野に不具合でも見つかるものなら、おおごとです。なぜなぜ分析を行い、お客様報告をしなければなりません。それも特急で。
 プログラマというより火消し対応要員という感じでした。
 いや、こういうのはとても疲れるんですよね。
 
             *
 
 さて、それまでたいしてプログラミング経験がない私が、独立してから予想以上にプログラミングを行うので、うまくやっていけるか心配でしたが、いまのところなんとかなっています。
 必要なことは責任感と忍耐。

会社員は仕事が無限に増える

 会社員を長年やっていてすごく不思議だなと思うのが、仕事がどんどん積まれていくということ。最初に計画を立てるわけですが、その計画が進行中に割り込みで仕事が増えていくのですよね。
 進捗を遅らせるわけにはいかないので、残業をしてなんとか凌ぐのですが、しばらくすると残業規制がかかります。「これ以上もう残業するな」と上司から言われるわけ。時代が進むとともに、残業規制が厳しくなり、昔みたいなハードワークにならないことはウェルカムです。しかし、仕事量は減らない。
 溢れた仕事は、「残業できないから、もうできません」が通用しないので、誰かに割り振ろうにも、他の人たちもキャパオーバー。
 
 結果として上司から私に対してくだされる評価は、 
  ・作業を効率化できず、工数を多大に使う、仕事のできない社員。

 これを受けて、 
  ・今後はうまく効率化して残業もせずに頑張るぞ!
と考えるか、 
  ・いや、もうこんな会社ではやってられない…。
と考えるかは、あなた次第。あなたはどっち?
 私はどちらかというか前者だったと思います。やっぱり、責任感からでしょうか。

ベクトルが変わった

 会社員時代と比べると、いまやっていることと大差はないのですが、自分の向いている方向が変わりました。
 
 会社員の場合は建前として組織に忠誠を誓っているので、会社から依頼された仕事は断れません。よって、仕事に困ることはないのですが、やりたくない仕事だとストレスの種になります。
 引っ越しを伴う人事異動を命じられた場合、こちらも断れないので、いま住んでいるところを引き払うか、単身赴任するかを早々に決めないといけません。家庭持っていると、いろいろと大変です。
 昇進して管理職になりたくないのに、上から説得されて渋々昇進する人もいます。在宅勤務がしたいのに出社勤務を命じられることもあるでしょう。
 
 なんだかんだで会社員は収入が安定していますが、それを引き換えに柔軟さや自由さがないと感じていました。それに加えて、40歳?45歳?以上は退職勧奨の対象になることもあり、定年(60歳)まで本当に働けるのかも疑問です。
 
 独立してから将来への不安がないというと嘘になりますが、心身ともに健康であれば、なんとでもなるという考えに至りました。地方在住でどこまで頑張れるかわかりませんが、いろいろな企業や個人の方といっしょに楽しく仕事や活動をやっていけたらいいなと思っています。独立したことで、もう私には定年という概念がなくなったわけですから。
 
 ということで、今後ともよろしくなのです。

筆者プロフィール

平田豊(ひらた・ゆたか)▼神戸大学工学部情報知能工学科を卒業後、日本電気株式会社に入社。20年勤務して退職後、独立起業▼YOULAB(ユウラボ)代表。事業内容は組み込みソフトウェア開発、市販書籍執筆、市販書籍の企画および編集。

貴重な時間を使って最後まで読んでくださり、ありがとうございました。 よかったら、記事の拡散もお願いいたします。