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書評 #21|舟を編む

 三浦しをんの『舟を編む』は美しい物語だ。登場人物たちの個性が輝き、成長を遂げていく。その成長は漢字や日本語が持つ美しさを引き出し、読者を作品に引き込んでいく。真剣に、ユーモラスに。地味に思われるであろう、辞書作りに眩い光を当てる。

 新しく刊行される辞書『大渡海』の編纂を軸に物語は展開される。その作業は名の通り、宇宙のように広く、深い海を渡る大航海と表現できる。

 その旅を通じて、登場人物たちは人間としての深みを増し、自らの可能性を広げていく。対人コミュニケーションに難があった主人公の馬締光也は自身が持つ言語に対する才能を輝かせ、他者をも輝かせる術を身につける。途中で他部署へと異動する西岡正志は自身の興味から外れる辞書作りに注力できずにいたが、没頭する馬締の姿を眼にし、対人スキルを活かして貢献することに目覚める。『舟を編む』は適応の物語でもある。その過程に自らの経験を重ね、感情移入する読者は多いのではないだろうか。

 その根幹にあるのは全身全霊の姿勢であり、飽くなき探究心でもある。どんな作業でも、何かに真剣に打ち込む姿は美しく、他者をも巻き込む力を持つ。著者は『風が強く吹いている』でも一人一人の力が有機的につながる美しさを描いた。情熱に情熱で応える。その連鎖に胸が熱くなった。

 「記憶とは言葉である」と馬締は口にする。僕はこの言葉を忘れないだろう。漢字と日本語が持つ、深みと無限の可能性。そこに人間を、そして、人の生を重ねてしまう。そんな壮大さも、この作品の大きな魅力である。


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