見出し画像

書評 #70|セリエA発アウシュヴィッツ行き〜悲運の優勝監督の物語

 衝撃を覚える作品名。「セリエA」と「アウシュヴィッツ」の二つの言葉は僕にとって水と油のように交わらない。しかし、時代によって常識が変わることも事実である。第二次世界大戦が席巻した当時のヨーロッパにもサッカーは存在した。しかし、サッカーも、サッカーに携わる人々も、人種差別主義という名の圧倒的な力にひれ伏し、価値観をも覆された。それは世界各地であらゆる差別が横行し、戦争が続く現在も繰り広げられる日常だ。世を魅了し、喜怒哀楽を発露させるサッカー。その魅力と、それが平和の上に成り立つスポーツであり、その基盤が想像以上に脆弱であることにも本書を通じて気づかされる。

 ヨーロッパのトップリーグたるセリエA。イタリアを舞台に数々の栄光を勝ち取った、ユダヤ系ハンガリー人のアールパード・ヴァイスが物語の主人公だ。彼が指揮し、実践されたサッカーを眼にすることはできない。しかし、マッテオ・マラーニによって復元されたヴァイスの日々は彼の人柄は当然ながら、その人となりが反映されたサッカーをも浮かび上がらせる。「チームがたどり着く最後の港」と表現された守備を筆頭に、論理的かつ現実的な視座で選手たちの個性をチームに還元させたことが文字からにじむ。さらにその行為に本人が確かな幸せを感じていたであろうことも感じてやまない。だからこそ、後に起こる悲劇と対比して、その日々が色鮮やかに映り、同時に影が差したような印象も受けるのだろうか。

 周囲の信頼を勝ち取り、時間とともに丁寧に積み上げた人間関係とそれを土台にしたサッカー。重ねた幾重の思いを一瞬にして崩壊させ、光に満ちた世界を暗転させる暴力とその思想。客観的に見れば、それは狂気以外の何物でもない。時は過ぎた。しかし、先述の通り、その危険性は時代が変わっても存在し続けていることを歴史が証明する。また、ホロコーストはナチス・ドイツを象徴する事柄ではあるが、イタリアやオランダなどの国々への影響が濃かったことも見せつけられた。

 どんな時代にも光があり、闇が存在する。正義と悪が万国共通ではないのと同様に、簡単に割り切れるものではない。差別がもたらす惨き世界を一掃することはできないのかもしれない。しかし、否定的な言葉は続いたが、現代は個々人の声に耳を傾けやすくなったのも間違いない。アールパード・ヴァイスと彼の家族。悲劇を味わったあらゆる人々のために。そして、未来のために。些細な一歩ではあるが、ページを一つ繰るだけでも社会とその未来に前向きな前進をもたらすことができると信じたい。


いいなと思ったら応援しよう!