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気ままな鑑賞エクササイズ#16 雪舟「慧可断臂図」

1時間でnoteを1記事作る、エクササイズのような鑑賞をやっていこうと思います。記事を読むだけでも、同じように時間を測って擬似体験してみても面白いかも。

<ルール2.0>
・以下の作品をまず3分鑑賞して、発見したことを書き出します。
・その後15〜20分、書籍やネットで作家・作品について調べます。
・さらに5分鑑賞をして、再発見したことを書き出します。
・25〜30分を目標に記事を編集します。
・気ままに不定期で続けます。
(2021.8.31改定)

では、まず作品を3分鑑賞して、発見したことを書き出します。
今回の作品はこちら

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・3分の鑑賞で気づいたこと

今日の作品も、どういう絵かってのは知ってる絵ですね。白いのが達磨大師で、そこ慧可(えか)って言う弟子になりたい人が来て、その覚悟を見せるために自分の腕を切り落としたっていうところです。

達磨大師は洞窟にいて壁に背を向けて座禅してるっていうシーンだったと思うんですけど、何だろ・・すごいこの洞窟の天井っていうのがグア〜って迫ってる感じですかね。樹にも見えますね。なんかすごく大きな樹のうろの中にいるような・・

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それは多分、上の方にこの丸い穴みたいなのが空いてるのとか、背景に描かれたテクスチャーがちょっと樹っぽい感じかなっていう・・

白黒の絵かと思ったら、大師の顔には何か肌色のような・・なんだろうちょっと茶色っぽい色が結構入ってたり、慧可さんっていう名の弟子の顔にもね、そういうのがちょっと感じられるかなーっていうところで・・

なんだろ顔のところはすごい細い筆でしっかり描いてあるんだけどこの、岩肌とかあと達磨大師の体の線とか、慧可の体の線っていうのはすごい大胆な太い筆で一気に描いてあるっていう違いもちょっと特徴的ですね。

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よく見るとの慧可の持ってる手の爪が結構伸びてますね。修行とかで爪とかあんまり切らないんでしょうかね。あとこの着物の縫い合わせの所が、リベットみたいな感じで点々・・ってしてあったりとか・・福耳だなって感じと、なんかこの坊主頭・・ちょっと画像ではそんなにアップで見れないけど、これもすごく細かく描いてあるのかなーっていう風に思いました。

地面もなんか独特なんですよね。雪が降り積もった上にいるような感じもあるし、水面のような感じもある。あと氷か、すごい氷の洞窟の上にいるような感じもして、それが結構不思議なんですよね。

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この背景の立体感とか、奥行きもすごいバラバラな感じがして、絵の下の部分を隠して上だけ見ると、すごいこう・・どういう空間なんだろうっていうのがいろいろこうちぐはぐと言うか、なんか不思議な空間になってているなっていう感じがします。


・作品・作家について

雪舟
「慧可断臂図(えかだんぴず)」1496

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・調べたこと

雪舟(せっしゅう、応永27年(1420年)[2] - 文亀2年(1502年)または永正3年(1506年)8月8日(諸説あり)[2]は、日本の室町時代に活躍した水墨画家・禅僧(画僧)[2]。「雪舟」は号で、諱は「等楊(とうよう)」と称した。

備中国に生まれ、京都相国寺で修行した後、大内氏の庇護を受け周防国に移る。その後、遣明船に同乗して中国(明)に渡り、李在より中国の画法を学んだ。

現存する作品の大部分は中国風の水墨山水画であるが、肖像画の作例もあり、花鳥画もよくしたと伝える。宋・元の古典や明代の浙派の画風を吸収しつつ、各地を旅して写生に努め、中国画の直模から脱した日本独自の水墨画風を確立した点での功績が大きい。後の日本画壇へ与えた影響は大きい。

作品のうち『天橋立図』『秋冬山水画』『四季山水図巻』『破墨山水図』『慧可断臂図』『山水図』の6点が国宝に指定されており、日本の絵画史において別格の高評価を受けているといえる。この他に『花鳥図屏風』など「伝雪舟筆」とされる作品は多く、真筆であるか否か、専門家の間でも意見の分かれる作品も多い。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%AA%E8%88%9F
禅宗の初祖・達磨が少林寺において面壁座禅中、慧可という僧が彼に参禅を請うたが許されず、自ら左腕を切り落として決意のほどを示したところ、ようやく入門を許されたという有名な禅機の一場面である。リアルにあらわされた面貌と一点を凝視する鋭いまなざし、そして動きの少ない構図が画面全体に息苦しいまでの緊張感を生み出している。77歳の老禅僧雪舟のたどりついた境地がここにあらわれているとみるべきであろうか。

なお本図は、幅裏の墨書から、雪舟没後まもない天文元年(1532)、尾張国知多郡宮山城主・佐治為貞によって斎年寺に寄進されたことが知られる。
https://www.kyohaku.go.jp/jp/syuzou/meihin/suibokuga/item06.html
山下
この絵では言わゆる説明的な描写はどうでもよくなっちゃってると思うんですよ。普通は「これはこうですよ」とちょこちょこ描きたくなるものですけど。それを線とか面とか色とかに思い切って置き換えてグラフィックになっている。この時代にここまで行っちゃってるのは他にはいませんよ。
「日本美術応援団」

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・さらに5分の鑑賞で考えたこと

資料にはこの達磨大師の鋭い眼光のこととか、登場人物のことについて書いてあるものもあったんですけど、自分がさっき見た時は、こうあんまり・・なんだろうな人物が中心に描かれている絵なんですけど、そんなにこの二人に・・この人たちの気持ちがどうだろうとかってのは思わなかったんですよね。

そういうことを感じないと言うか、あんまりそこが気にならない感じだったんですよ。もちろん、すごく衝撃的なエピソードだとは思うんですけど、あんまりそれを・・なんだろうな、「こんな事がありました!」っていう風に描いてないし、達磨さんも別に手を切ってきたからってそんなにそれにこう囚われてないっていうか、全く気にしてないっていうか・・何かそんな感じがして・・

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だからさっきこうちょっと風景が気になったっていうのは、やっぱり重要なのは人物とか達磨大師っていうものじゃなくて、もうちょっとこの全体的な世界と言うか・・そういうことなんじゃないかなってちょっと見ながら勝手に思いました。

仏教って別に仏陀自体が大事なのではない・・その人物そのものが大事じゃないっていうところであったりとか、縁起っていう考え方だったりとか、その道元さんの禅とかだと仏性っていうのがいろんなところにあるって言うか、世界自体が仏性であるみたいな感じだから、なんかそこにいる人間とか、偉い人とか有名な人自体が大事なわけじゃなくて・・

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その大事なものが遍在しているみたいな感じっていうのが、むしろこの風景と言うか、この絵の人間じゃない部分の方にこう色々もしかしたら力が入ってるのかなってちょっと思っちゃいましたね。

そういう・・なんかこの達磨さんの背景にある洞窟の形なのかな?ここら辺がなんか彼がこう纏ってるオーラの形みたいに見えたりとか、あとこう左上から達磨さんの方に向かっているこの亀裂みたいなのが、こうなんかイナズマなのか、天啓の形なのか、そんな風にも見えて・・

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なんかこっちが洞窟で、こっち誰でっていう違いが、もっとはっきりじゃなくて、ごちゃごちゃに・・それこそこの背景の遠近感も分からない、どういう空間なのかよく分からないこの感じ・・そんななんかなんかぐちゃぐちゃにして捉える感じなのかなーっていう風に・・このエピソードとか、人物とか、なんかそういうところじゃない・・

そんな感想が解説もありましたけど、なんかそういう説明って事なんかも通り越して、このこういう世界そのものとして・・なんだろう難しいな・・・なんかもっとぐちゃぐちゃのものとして捉えた方がいいんじゃないかなっていうふうに思いました 。

以上
あなたにはどう見えましたか?
また次回!



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