秩父盆地は海だった:中西部平坦~中山間地域【都道府県シリーズvol.22埼玉県part1】
地形的特徴から11の地域に区分される埼玉県(※私個人の見解です)。
今回は中西部平坦~中山間地域の地形と地質を紹介します!
場所の確認
まずは場所の再確認から・・。
中西部平坦~中山間地域は上図の⑩地域です。いわゆる秩父盆地です。
また⑩地域は秩父市、小鹿野町、皆野町、横瀬町の一部地域です。
地形を見る
では行ってみましょう!
埼玉県西部の山地の中にポツリと平坦な地形があるので目立ちますよね。
なるほど!
いくつかの河川沿いに平坦な地形ができていて、山地~丘陵地がそれらにグルリと囲まれているのですね。
青線でなぞったのは荒川です。
荒川と言えば「【都道府県シリーズvol.9】東京都」で紹介した武蔵野台地の北東~東側のヘリを流れる河川です。
上流をたどると秩父に至るのですね。
秩父盆地の歴史
では秩父盆地はどのような歴史をたどって現在に至るのか?
うおお!
何だかすごくないですか?ハッキリと違う雰囲気ですよね。
秩父盆地とその周辺で、随分と雰囲気が違いますよね。周囲は濃い色系統が中心で、盆地内部は薄めの色。
この違いは何なのか?というと、時代の違いです。
ちなみに、もっと広い視点で見ると、ちょっと面白くなります。
どうも、地質の分布を見る限り、秩父盆地の内部だけが違う雰囲気で、周辺は一連の地質に見えませんか?
そう、実は周辺と違って秩父盆地は独自の歴史を歩んだのですね。
そんな秩父盆地の歴史は、大きく分けると3段階に区別できます。
順番に見ていきましょう!
①:古生代ペルム紀~新生代古第三紀
時代の幅がハンパない!!
約2億9千300万年~約5900万年前の間、まだ日本がユーラシア大陸の一部だった頃、海洋プレートにのっていた堆積物がペタペタと大陸にくっついてできた地質です。上図の灰色(泥岩)やオレンジ(チャート)、緑(玄武岩類)、青(石灰岩)など。いわゆる付加体です。
これらの地質が、秩父盆地の土台になっています。
赤線内が秩父盆地。その外が大陸起源の古い地質です。
この地域では、これを土台に新しい地質がつくられていきます。
②:新第三紀中新世(約2000万年~1600万円前)
ちょうど、日本列島が大陸から離れて今の場所に動き始めた時期。
この時期に、秩父盆地が沈下して海になります。
この時、この地域は「古秩父湾」と呼ばれているようです。
古秩父湾は、それなりに平穏な海だったのでしょう。
近くで火山活動は無く、砂や泥・遠くから降ってきた火山灰などが溜まりました。それらが砂岩・泥岩・礫岩・凝灰岩として現在も残っています。
秩父盆地内の「薄緑色」以外が、この時代の地質です。
周囲は陸地で内湾のような地形だったからか、多くの生物が棲んでいたようです。貝類や魚類、カニやカメ、クジラやその他の海生哺乳類などの化石が見つかっています!
③:新生代第四紀更新世
秩父盆地は再び、徐々に盛り上がって陸地になりました。
約77万年~1万年前です。
この時期に、河岸段丘がつくられ、秩父盆地の平坦地ができました。
この薄い緑色の範囲です!
海水面が徐々に下がり、それに合わせて何段階かの段丘ができたようです。
それについては、詳しくは、また後ほど。
以上のように、秩父盆地のメイン時代は内湾だったようです。
その当時やその後どうなったのか?
今後、お話ししていきたいです。
お読みいただき、ありがとうございました。
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