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浅井長政攻めの足掛かりとなる山とは?:「姉川の戦い」を地形・地質的観点で見るpart1【合戦場の地形&地質vol.4-1】

歴史上の「合戦」を地形・地質の観点で考えるシリーズ。

これまで歴史上の「〇〇の戦い」の勝敗に関しては、兵力の差武将同士の駆け引き裏切りなどの要素で語られることが多いですが、各軍の平面的な位置関係や地形的要素も見ると、また違った発見があります。

なお「姉川の戦い」の前哨戦である「金ヶ崎の退き口(金ヶ崎合戦)」については、以下記事をどうぞ👇


姉川の戦いの概要

姉川の戦いは、金ヶ崎の退き口で何とか逃げ切った信長が体制を整え、朝倉氏・浅井氏に対して起こした戦(いくさ)です。
朝倉領である越前(福井県北東部)と織田領の美濃(岐阜県)は険しい山地で接しています。そのため戦国時代当時は、越前・美濃の国境で大掛かりな戦にはならなかったのでしょう。

そうなると、戦いの舞台は自ずと浅井領の近江と美濃の国境になります。

滋賀・岐阜県境周辺地形図:スーパー地形画像に筆者一部加筆

滋賀県(近江)と岐阜県(美濃)は上図のように接しています。
両県の県境では、南は鈴鹿(すずか)山脈、北は伊吹(いぶき)山地が連なっており、両者に挟まれる場所には、溝状の地形があり、小さな平野と丘陵地があります。上図赤点線のあたりです。

両山地に挟まったこの地は、交通の要衝になるとともに、戦いの場にもなりました。

織田信長を逃した朝倉浅井連合軍は、この県境の城の兵力を強化します。
しかし織田軍によってすぐに陥落してしまい、逆にこの城に織田軍が入ります。

滋賀・岐阜県境周辺地形図②:スーパー地形画像に筆者一部加筆

その城、長比城(たけくらべじょう)が上図赤丸のあたり。

滋賀・岐阜県境周辺地形図③:スーパー地形画像に筆者一部加筆

長比城から進軍した織田軍は、まず浅井長政の居城である小谷城(おだにじょう)のすぐ南西の虎御前山(とらごぜんやま:上図青丸)に陣を敷き、城下町を焼き払います。
その後、軍を戻し、南の横山城を包囲しますが、朝倉・浅井軍の南下に伴い、横山城の北の姉川で激突することになります。

それぞれ、詳しく見ていきましょう。

長比城周辺の地形

長比城(たけくらべじょう)は滋賀県(近江)と岐阜県(美濃)の県境に位置する山城です。

滋賀・岐阜県境周辺地形図④:スーパー地形画像に筆者一部加筆

長比城は上図の赤丸です。
ちなみに、その北東の赤点線で囲った範囲が「関ケ原」です。
あの「天下分け目の戦い」があった場所ですね。

上図の地形を見ると、平坦地と丘陵地が複雑に入り組んでいて、平坦地と平坦地の間は細い谷で接続されています。

現在でも平坦地と谷を縫うように道路や鉄道が入り組んでいて、まさに交通の要衝ですよね。

滋賀・岐阜県境周辺地形図⑤:スーパー地形画像に筆者一部加筆

上図を見ると赤りやすいと思います。
長比城を押さえてしまえば、浅井長政の本拠地である小谷城(上図青丸)まで大きな障壁はありません。
朝倉・浅井連合軍としては、赤丸の長比城は何としてども守りたかったことでしょう。この城を拠点にして付近の狭い谷を守れば、織田軍に対して有利に戦えますからね。

しかし、城主の堀秀村(ほりひでむら)の裏切りにより、あっさり陥落。
これは織田サイドとしては、相当に大きかったと思われます。
なぜか?

長比城周辺の地形①:スーパー地形画像に筆者一部加筆

長比城は上図の赤丸の山頂に建っていました。
標高は390.9mであり、周辺の平地とは約200mもの標高差があります。
しかも非常に急傾斜の斜面に囲まれた山ですので、これを力攻めすれば、たとえ陥落させたとしても被害は甚大だったでしょう。

長比城周辺の地質図:スーパー地形画像に筆者一部加筆

地質図です。
長比城周辺の山地一帯はオレンジ色に塗られています。
これは古生代石炭紀中頃~中生代前期ジュラ紀(約3億3000万~1億7000万年前)チャートです。

チャートとは、深海に降り積もったプランクトンの殻の地層が固まって岩石になったもの。
ハンマーで叩くと弾き返され、火花が散る程硬い岩石です。
そのため侵食に強く、急傾斜の山地をつくります。

織田軍としても、無理に攻めるよりも城主の説得に力を入れたのでしょう。

今回はここまで。
お読みいただき、ありがとうございました。

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