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あの日を忘れない:大川小学校編【ジオ散歩vol.4:宮城県石巻市No.1-2】

宮城県石巻市の被災地巡り2回目として、今回は大川小学校を紹介します。
前回の門脇小学校は避難に成功した事例でしたが、今回は多くの方々が亡くなってしまっています。
とても悲しい話になってしまいますが、亡くなった方々のためにも多くの人たちに知っていただきたく、記事にしました。

場所の確認

ではまず、場所の確認から始めましょう。

スーパー地形(カシミール3D)より抜粋した画像をもとに筆者作成。
なおカシミール3Dは元データとして国土地理院の「電子国土」を使っているそうです(出典:国土地理院ウェブサイト
※トップ画像や以下の地形・地図画像すべて引用もとは同じです。

北東の着色した地域が石巻市で、大川小学校はその北東部にあります。
公共交通機関では、JR仙石線(せんせきせん)の石巻駅からは車で45分、鹿又駅からは25分です。

大川小学校位置図:スーパー地形画像に筆者一部加筆

南西の青丸が石巻駅、その北の青丸が鹿又駅、北東の赤丸が大川小学校です。北上川が東に屈曲した下流の地域です。
実は北上川の東への屈曲は人工的なもので、もともとは南へ流れていました(※現在は旧北上川)。
これについての詳細は、以下の過去記事を参照ください。


震災遺構:大川小学校

では、現地を見てみましょう。

大川小学校:筆者撮影
大川小学校②:筆者撮影
大川小学校③:筆者撮影

大川小学校の場合は門脇小学校と違い、内部に入ることはできません。

大川小学校④:筆者撮影

その代わり、入り口から向かって右側の建物内に展示物があります。

大川小学校慰霊碑:筆者撮影

そしてさらに右奥には慰霊碑が建立されています。

大川小学校周辺の地形

大川小学校周辺の地形をもう少し詳しく見てみましょう。

大川小学校周辺の地形:スーパー地形画像に筆者一部加筆

海は小学校(上図赤丸)から北東へ約3km離れており、間には山があるため、学校からは見えません。
津波は北東の平野からのものと、北上川を遡上したものが合流したため、校庭で渦を巻いていたそうです。

大川小学校⑤:筆者撮影

そのためか、校舎をつなぐ渡り廊下が上写真のように大きく変形しています。

後世への教訓に

私が何よりもショックだったのは、校庭の隣接地には、避難可能な斜面があったことです。

小学校裏の斜面:筆者撮影

写真中央の白い看板が津波の到達点で、その少し上に小段があります。
この斜面は人工的に整形されたもので、下部には擁壁があります。しかし擁壁はこのすぐ左までしか施工されておらず、山へ入るための小道(未舗装の人が歩くだけの道)があります。
その小道の途中から小段へ上がることができます。

小学校裏の斜面の小段:筆者撮影

小段の幅は約2mで、長さもあるので多くの人が一時避難することができたでしょう。
ただし当時は雪が積もっていた可能性もあり、また小道と小段の間の区間は道ではなく、子供には厳しいルートではあると思います。
そういった理由のためか、先生方はここへの避難は選択しませんでした。

当時は全校児童108名中、78名が現地におり(他30名はもともと欠席していたり、保護者が迎えに来て帰宅した)、そのうち74名もの児童が津波の犠牲になってしまいます(うち4名は2021年6月末時点で行方不明)。
また同じく現地にいた教職員11名のうち、10名が犠牲になっています。

津波が到達したのは地震から51分後でした。
78名の子供達とともに避難するには、決して十分な時間ではなかったでしょう。やはり、あらかじめ具体的な避難計画を立てておくことの重要性を感じます。

なお大川小学校現地の状況を動画でもまとめています。
この記事にはない情報もありますので、ご覧いただけますと幸いです。

大川小学校で津波の犠牲になった方々、また東日本大震災で命を落とした全ての方々に、心よりご冥福をお祈りいたします。

お読みいただき、ありがとうございました。


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